コマリスト、反省文を書く
【ラジオ体操78日目】
こんにちは。
学生時代にバンド活動にハマり、毎晩仲間で集まって練習していたのに、一度もライブをしないまま解散してしまった経験があるコマリストです。
今日は『音楽性の違い』というテーマで書いていきたいと思います。
小説やアニメの中に出てくるバンドマンに良くある話ですが、メンバーが将来的に向かいたい方向性が違うことを原因に、解散してしまうということがあります。
”音楽性の違い”などというカッコつけたような言葉で表現されることが多い解散理由ですが、現実世界において、この理由で解散したバンドっているんでしょうか。
噂レベルでは聞いたことはありますが、公式の理由としては別のものが発表されてしまうので、”ちゃんとした理由”にならないのかなと思っていたりします。
けどね、バンドマンに限らず、複数人の人間が集まって組織を作った時に、一番多い失敗の理由は人間関係といわれていて、蓋を開けてみると『音楽性の違いじゃん!』みたいなケースって意外とあるんじゃないかなと思うんです。
実際、私が2018年に立ち上げた会社も、似たような理由で解散していて、解散から1年が経過したので、当時のことを振り返りながら、反省文として書いていきたいと思います。
世界を変える!
2018年8月15日(終戦記念日) 私を含む5人のメンバーで、東京都を本社とする会社を立ち上げました。
#終戦の日に開戦
会社メンバーは、全員が”専門家”と呼ばれるような有資格者で、それぞれにお客さんとのつながりを持っている個人事業主でもあるという異質な組織。
立上げ時点で、それなりに多くの企業と取引関係を持った状態でスタートしたため、初年度は最高とまではいかないまでもそれなりの売上を計上して、バタバタと仕事に勤しむ日々を送っていました。
経営理念のようなものは掲げていなかったものの、このメンバーで世界を変えてやるんだという意気込みだけは持っていて、とにかく新しい事業に次々と挑戦していきました。
某スポーツのプロリーグやプロチームとの連携、芸能関係者の出版記念イベント、落語会の主催、プレスリリース等のセミナー、大学での講師などなど、本当に何屋なのか分からないレベルで、たくさんの人と出会い、たくさんの仕掛けを打っていました。
今思えば、それらの施策の先に”どんな世界を創りたいのか”ということを明確にできていなかった私たちは、戦艦としてではなく、5艘の手漕ぎボートで戦争に向かっているという状態だったと思います。
変化の兆し
初年度を何とか渡り切り、2期目に入った私たちはお客さんの量と、これから力を入れていきたいエリアを考慮して名古屋支店を開設します。
これだけ書くと、すごく順調だったように見えるかもしれませんが、この頃の状況といえば、代表(私とIさんの2名)がバタバタと動き回って、頭を悩ませながらプレイヤーとしても動き回るという状態。
他メンバーとの距離感のようなものを感じていたことを覚えています。
銀行からも借り入れをし、これから事業を拡大していこうというこのタイミングで、組織内に亀裂が入った状態で支店を開設。
こう書けば、どんな状況だったのかが少し伝わるかもしれません。
#ひいき目に見てもヤバい
ちょうどこの頃、メンバーの1人が別のメンバー経由で出会ったお客さんと、個人的な取引をしているという情報が入ってきて、社内の雰囲気が殺伐としていました。
そんな状況を打開すべく、まずは社内のコミュニケーションを見直す必要があると考えた私たちは、月に一回だったミーティングを増やすことを決めます。
このミーティングの中では、情報共有をするのではなく、これから実現していきたい未来について、何時間も語り合いながら、組織としての方向性を模索していました。
そのやり取りの中で、各メンバーが向かいたい未来が、どうやら違うんじゃないのかということに気づき始めます。
そして、ここから約半年後、全メンバー一致で、組織を解体するという決定をすることになります。
軌道修正、そして解散。
2期目に入った頃から、何度も何度も軌道修正を試みてみましたが、やはり方向性が異なるメンバーがどれだけ話し合ったところで、妥協案しか出ません。
妥協案でいいんじゃないの?という意見もありそうですが、世界を変えたいと集まったメンバーが、互いの考えに気を使いながら妥協案に落ち着いていたら、それでは世界は変わるはずもないんです。
ちょうど二期目に入ったあたりから、私はメンバーに”〇日時間をくれ。それで成果が出なければ、組織を抜ける”と宣言していました。
その結果どうなったかというと、全く成果が上がらず、宣言通り抜けることを相談するという場が設けられることになります。
#本当にダサいですよね
全力で止められましたが、その時点で私の心はボロボロで、結果を出せなかった自分の責任を強く感じながら、組織に残るという選択肢に対して前向きな気持ちを持っていませんでした。
そして、その会議のすぐ後に、体の良い理由を見つけ、組織の外で収入を得る手段に逃げてしまいました。
この時点で、組織内に私の席は残っているものの、この組織の長としての私は存在していなかったと思います。
もちろん、そのあとは崩壊に向けて整理に近い活動が始まるわけですが、最終的には、もう一人の代表であったIさんが、組織変更(合同会社→株式会社)して会社を引き受けるという形での幕引きとなりました。
結果的には、未回収の売り上げを含めると、収支は黒字のまま解散したので、負債を背負うことにはなりませんでした。
これを踏まえると、早めに決断をしたことについては唯一の救いだったのかもしれません。
まとめとその後
今日は『音楽性の違い』というテーマで、私自身が立ちあげた会社の結末に至るまでの話について、創業者の一人であるコマリスト目線で振り返ってみました。
細かいことについてはあまり触れていませんが、中途半端な気持ちで挑んだわけではありません。
なので、それなりの成果みたいなものもちゃんと残していますよ。数字的なことを言えば、資金調達の支援では総額で1億を超えていたり、プロの試合の集客支援では500名以上を集めたり、、。
なので、今振り返ってみると、『何をするのか』という点はあまり重要じゃなかったなと思っています。
もっとも重要だったのは、私を含めたメンバー全員の『なぜ、これをやるのか』『何のためにこれをやるのか』というマインドが一致していなかったことだと思います。
正直、まだ”若手”といっていただける年齢で、明確な失敗を経験できたということは大きな資産になったと思っています。
同世代で、会社を興して解散した経験をしている人はほとんどいないですからね。
そして、各メンバーとも関係性が切れているわけではありません。一部、連絡を取っていない人もいますが、今は”良きライバル”として、互いを意識しながら切磋琢磨しているという状態です。
いつか、互いに当時のことを振り返って、笑いながら未来の話ができる日が来ることを楽しみにしながら、これからも新たな戦いを続けていきます。
こんな雨の日なので、少しだけしんみりとした気持ちで、振り返ってみましたが、もちろん、気持ちは前に向いているので、明日からも挑戦を楽しんでいきますよ。
じゃ、またね!
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