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ボーっと生きてる

久しぶりに書くnote

6月下旬まではバタバタと忙しい日が戻ったものの、今はまた落ち着きを取り戻している。

と言っても、この年齢で3〜40代の時の様にそうそう呼ばれることもないので、色々とやりたいことや未来像を模索してる最中。
ライヴを演れてないのは正直寂しい。

東京都で感染者243人

う〜ん、、、解ってはいても、こたえる数字。
都民としては出来るだけのことはやってるつもりなんだけど、人口も多いし緩めると出るのは仕方ないかな。
自分的には「新しい生活様式を」って漠然と言われるより、時にはキッパリ言い切って、方向を示して欲しい。色んな職種の方々に気遣っての事とは理解出来るが、右?左?前?どっち?ってコチラが考えるようでは船長要らずの個人任せになる

ただどっかの国の主みたいに「マスクは必要ない!これは風邪だ!」的な半ば強引な論理、そう思いたい気持ちはあるけど、再度流行の波が来た時のダメージを最小限にしたいし、もうこれ以上仕事を失いたくないからマスクは外せない。

最初は当然葛藤したものだけど、折れる心も無くなってくると不思議と落ち着いてくる。諦めにも似た感覚だけど、2ヶ月かかってやっと自分の中でふんぎりがついた。

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6月の終わり頃から時間が沢山出来て、TVや映画を観たり、ギターを弾いたりする毎日が戻ってきた。隠居生活って感じ 笑。時間を持て余してる。

運動不足の解消にゴルフしに行こう!とか釣りしに行こう!とか思うけど、いざとなると足が重いというか、腰が重い。寂しがり屋なのに…笑

時間があるっていうのもあって「マスやんちゃんねる」なるYouTubeチャンネルも、作ったは良いけどマメな性格じゃないので中々更新出来てない始末。
やりたい事はあるけれど、カタチにしようとすると難しい。そもそもの見どころのポイントが解ってない。
自分がYouTuber向きでないのが分かった分だけ良かったが、YouTubeで惹きつける動画を作れる人はホント天才だなと改めて思った。

ギタリストのチャンネルや釣り、車のチャンネルと趣味のYouTubeは良く観てるが、彼らの動画観てると本当ヤバい。面白い。
音楽モノだとあまりのテクニックに凹まされ、車だと物欲を刺激され…笑
釣りは、、、その点は安全(๑˃̵ᴗ˂̵)

あんな動画、作れるワケない!

まあ、のんびりやっていくか…

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来週になればちょっとした告知が出来る予定。連日良い話も悪い話も飛び込んで来るが、ちょっとでも以前みたいな時間が作れればいいなと思う。
最近はテレビ観ててもちっとも楽しくならないし楽しい話題も少ないように思う。
毎日悲しくなる知らせが多過ぎる今の日本。
ウイルスの上に災害も深刻な状況。心配な事だらけ。毎年気象現象も深刻な事態になった来てる。

だから?と言っては何だけど、近頃地上波は見なくなった。観ても「テレ東」を観る率が高い。何故か、テレ東。

先ず有名人に頼ってない。企画自体のスケール感がネットっぽい(失礼)
何かね、ホッコリする番組が多い。ブレない安心感をむしろ感じている。

何の話してるんだ?笑

そうなんだよ、テキパキやれる性格じゃないから、腰上げるのが遅い。なので…
自分にいよいよ課題を出してみた。少しずつでも具現化していこうと、ここに記しておこう。

前々回での話の続き

前々回、東京に出てからの出会いが私の人生を加速させた…と終わったのだが、この18歳から22歳までの4年間が、今の自分の基礎となってるのかも知れない。話をキッチリ終わらせておかねば。

上京した学校で、同じクラスの男(鍵盤奏者)から声を掛けられ「ギター弾ける?バンドやらない?」とライトな感じで誘われた。その男が出入り(バイト)してたのが池袋のイケベ楽器。
それからは良くある話でお店に入り浸った。

今でも当時のクラスメイトとは繋がってるし、同じ業界の人間もいる。仕事で会ったりもした事あるけど、みんな偉くなってて何か羨ましいし妙に気恥ずかしくもある 笑
その仲間たちから色々な人脈に繋がっていって、在学中にプロになることを再度、意識し始めた。

プロへの道はどうやって?と話してたら自然と「やっぱボーヤじゃね?」ってなり、友人の薦めで門をたたいたのがYOUというインストバンドの斎藤英夫氏。氏のアシスタントを約2年やらせてもらい沢山学ばせて貰った。

スタジオミュージシャンの仕事のやり方やライヴ現場など、沢山見させて頂いたし勉強にもなった。そして沢山のプロのミュージシャンの方々と知り合いになれたのも大きな財産になった。スタジオの世界はとても華やかだったし、実際この世で最高の仕事に思えた。良く遅刻したり失敗ばかりして叱られもしたけど(苦笑)、とても充実した時間を過ごさせて頂いた。

昔から「苦労は買ってでもやれ」とはいうけれど、そんなに苦労だとも思わなかったし、何よりもいっぱしの業界人みたいな気分になれたのが嬉しかったな。

だけど、いつまでもボーヤ稼業をやるわけにはいかない。
学校も中退というカタチで親にも頭が上がらない。とにかくギターで金稼がないと!と本格的にやる気SWITCHを探して押しまくった。

その後、その友人が関わっていた事務所のミュージカルをやらせて貰ったり、幸運にも仲間たちと実習って名目でデモテープ作れたり、そのテープを色んな人に聴いてもらえるようになって、アイドル歌手のバックバンド・CM・TVの歌番組と、色々な仕事を回してもらえるようになった。
そのデモテープは門外不出でカセットテープで残ってる。

当時の自分の演奏スタイルは今とほとんど変わらないロック主体のコンテンポラリー系音楽。でも16もののカッティング系が得意だったかな。

ヴィンテージギターがまだ「オールド」と呼ばれてた頃。当時60年製のGIBSON Les Paul stdを100万円で買わない?と声をかけてくれた人もいたけど「車買うわ〜」と断った自分に、今からタイムマシンに乗って「絶対買え!!」と言いたい(笑) 本当今の様な状態になるとは夢にも思わなかった80年代。

アメリカの音楽…特にAORやソフトロックに影響を受けてきたので、当時のアメリカのセッションマンの使うギターにばかり興味を持って、カスタムギターばかりを集めていた。
あの頃のスタジオ系のミュージシャンが持ってるギターはどこか特別で、普通の楽器屋さん吊るしてあるモノとは別モノだ、あの美しいトーンの秘訣はそこにあると信じて疑わなかった。
今みたいに何でもネットで調べられる時代じゃないからこそ想像力が豊かになったし、良く研究したし試行錯誤の連続だった。
実際にコンサートに行って確認して、それを基に自分で分析して試す・・みたいな日々。悩ましいんだけど楽しくてね。
それは今でも続いてるワケなんだけど…笑

そんな感じで、プロって言えるのかどうか分からない感じで始まった音楽ライフ、色んな方々の支えもあり、セッションマンとして活動してた時に、あるバンドもののレコーディングに参加した事がきっかけで、そのバンドの一員となった。

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東芝からデビューし、売れるのか?と期待したけどアルバム・シングル数枚出したが鳴かず飛ばずの結果。思う様な結果を残せなかった。けど、活動自体はとても楽しかったしツアーも精力的に行った。今思えば"売れる曲"を意識し過ぎていたのかも知れない。ってか、私のこの感じ…売れないだろ!ってね(爆)。まぁバンドの方向性も自分達自身が見失っていたのも失敗の原因かな。

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そんな中、そのバンドのキーボード奏者の方から当時サポートしてたアーティストのコンサートのトラの話を頂いた(エクストラ=代打ね)
そのアーティストの方とその後もこんなに長続きするとは、当時は思いもしなかった。

その後も色んな方達と音楽や遊び、楽しい時間を過ごさせて頂いたのだけど、自分の人生にとって最大とも言える衝撃的なサウンドとの出会いが…

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日々の思いを綴ってます。趣味の事、音楽や楽器の事、そして今までの経験の事。何かの役に立てれば嬉しいです