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【喫茶店紹介】画廊喫茶Zaroff/退廃と美学の潜む五差路

 以前より、画家である友人たちの展示が度々行われる場所として、その都度訪れていたザロフの記事を改めて書こうと思った時、この場所を正しく
(正しくというにも個人的な印象が入るものなのでどうしても語弊を含んでしまうものではあるけれど、私個人の受ける印象を誤解なく伝えるという意味での正しさとして)
伝えるために、はて、何という言葉が『相応しい』かしら、と考えてみて、掲題の言葉を思いつきました。

 ザロフは京王新線初台駅より数分歩いた場所にある小さな画廊喫茶です。
 『凛とした』という背筋の伸びた言葉がこれ以上似合う場所も他に思いつかないほどに『凛とした』佇まいで、住宅街の中の五差路の畔に佇む場所です。

 黒い壁に囲まれた三角形の敷地の店内の一階は喫茶室になっており、数人掛けのテーブルが数席とカウンターが配されています。


 黒い外壁に対比するように窓に掛けられた華奢な白いレースのカーテンに象徴されるように、
入口に掲げられた黒い板に白い文字で強く描かれた『美』という文字に象徴されるように、
店内のそこここには店主が己の審美眼で選んだものが配置され、この場所が『美』というものへの憧憬のためだけに存在する場所であるということを示しているように思われます。

 店内に多く積み上げられた本や写真集、骨格標本や石膏像、少女人形などのオブジエは総て壁と同じ色の黒い影を深く纏っているように思います。
 江戸川乱歩や澁澤龍彦に代表される『美』の崇拝者たちの著書を読んだことのある方には伝わる部分もあるかと思います。この場所は、禁欲的に『美しいもの』を求めた先人たちの魂を継いだ場所だと、いうのが恐らく私にとって一番この場所を正しく言い表すための言葉になるのではないかと思います。

 なんだかお客を狭めるようなことを書いてしまって心苦しいながら、矢張りここは大衆に向けられた場所ではないように思えます。
 世の中の人々の中に居る、ごく一握りの退廃的で絶対的な『美しいものへの信仰』を胸に抱く人々にとっては、救いになるべき場所だと感じる反面、乱歩や澁澤のような美学への敬虔な愛好心を抱かぬ人々には、無縁の場所なのかもしれないと思うのです。

 喫茶入口と反対側にある二階画廊への入口となる階段へは、階下で靴を脱いでから上がります。
 広いとは言えない階段を上りきると、左手には喫茶室の真上に当たる三角の小部屋が展示室として設けられています。展示の内容は週ごとに変わりますが、そこに展示されるものたちには、それぞれに凛とした魂が宿っているように思われます。

 大正時代のデカダンスや、白黒写真に現れる少女の面影、夕暮れ時のサーカスの電飾や、闇夜に浮かぶ金魚たち。はたまた少年たちの憧れた冒険譚へのオマージュや、吉屋信子の描いた昔の乙女小説から抜き出した聖母像など、あの小さな小部屋で私の目にしたものたちは、それぞれに凛とした美学を秘めて、それぞれにいろいろな形や景色に表出していました。

 思わず息の止まるような神々しいユリの花。誰も居ない場所に残された造形。
 この場所に展示されるものたちに共通しているのは、一階で珈琲を注ぐマスターの美学なのかもしれないと思う傍らで、私はこの部屋自体が、それぞれの作家の中へ通底する『美しいものへのアプローチ』のために用意された小箱のように思えるのです。
 天井が低く、擦りガラスに閉じ込められたこの小さな部屋は、どこかの大きな建物に秘められた愛好者のための屋根裏部屋のようにも思えます。日差しの差し込む窓の下には別珍のソファーとテーブルが備え付けられ、この場所へ迷い込んだ少女たちに安息と手引きを与えているように、思えるのです。

 この場所を非日常の場所として、着飾って集う少女たちへ、私は共感と愛情を覚えます。
 自分が美しいと信じるものを身に着け、自分が美しいと見出したものを信じる独立したその審美心に、心からの拍手を送りたいと思うのです。清く正しく在りたいと、自分で美しいと信じたもの、正しいと信じたものを胸に貫くようにして生きる私の中のかつての少女が息を潜めてしまわぬよう、私はこの場所を時折訪れることにしています。

 一階の喫茶室で供される珈琲は熱く濃く、珈琲が日本に紹介されたころに引用された『珈琲は、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い』という文言を思い出してしまう一杯であることを書き添えておきます。
 他店では味わうことのできないものも多い種類豊富に取り揃えられたココアがあることも添えて、このつたない紹介文が、美しいものへの信仰を胸に秘めた人がこの場所の扉を叩く道標になることを祈っております。

(2012年WEB掲載記事より再掲)


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