【マイナス人生オーケストラ】曲が愛されている限り音楽は過去にならない
マイナス人生オーケストラは2019年に解散したヴィジュアル系のバンドだ。
私は彼らのことを、LIPHLICHの対バン相手として2013年頃に知った。
両腕に蛍光の腕輪を何十本も付けて、両手全ての指にそれぞれ2つずつキラキラ光を放つ指輪を付けたマイナスの客席が、全員凄い笑顔で楽しそうに踊るのを見て、圧倒されたのを憶えている。
僕の神様
この歌詞の引用を一読すれば伝わると思うのだけど、マイナス人生オーケストラは
「この世の不幸の具体的な切り取りを行い、キャッチーなメロディーに乗せて歌にして、形に残す」
ような活動を行っていた。
どんな不幸も幸せも、形に残らなければ、元からなかったように消え去ってしまう。
誰かの生きた証とでも呼べるような物語を、マイナスは多く作品に残した。
結果として、私は彼らのライブに熱心に足を運ぶようなファンにはならなかったものの、彼らのCDが出るたびにAmazonで買い、手に入る音源は聴きこんでいた。
人生がうまくいかない数年間、私は彼らの曲ばかりをリピートして聴き続ける生活をすごした。今になって思うけれど、彼らの音楽を求めていた時期、私は辛かったのだと思う。
「自分より不幸な人を見て安心する」
一言で言うと悪趣味ともいえる慰めではあるが、それが音楽という形にパッケージングされていると、「誰かの言葉で辛さを代弁し、代謝して、日常をやり過ごすという面は確実に私を含む、多くの人を支えて助けた」という事実があると感じる。
私が彼らの音楽を知ったのは大人になってからだったが、それがもし自信も人生の実績もない、視野が狭く思い込みが強く絶望しやすい十代の頃に出会ってしまっていたとしたら、もっと盲目に貪欲に彼らの音楽を求めていただろうと思う。
私にとって、それが幸か不幸かはわからないが、結果として私は彼らの、特にボーカルで曲の内容を描いているハルさんのやろうとしていることと、具体性の高さ誠実さに共感と敬意を強く覚えた。
これはおそらく、一般的に小説や文学に求められる役割なのではないかと思う。
少女、時々雨。
「少女、時々雨。」はそれこそ自分の恋愛がうまくいかなかった時期に毎日聴いていた。
上で抜粋したフレーズは、曲を聴いていないときでも、常に耳の中に残っていて、何か辛いことがあると、安易に再生されて、私はその度に「そうだね…」と納得していた。
自分の言葉で辛さを言語化するのは、つらいものだ。
作品からの借り物の言葉でも、自分の辛さを言語化して代謝する。
自力ではできなかったそれを助けてくれる歌として、マイナス人生オーケストラはあの時期の私を支えてくれていたと言える。
*
少女といえばすごく好きな歌がある。
桃太郎
*
マイナス人生オーケストラは、2015年に事務所に所属し、2016年に活動休止し、2017年に活動再開をして、2019年には最終的に解散してしまった。
個人的な仕事や生活でバタバタしているうちに、気が付くと彼らは解散ライブまで終えて、過去の存在となってしまった。
「結局ライブにちゃんと足を運ぶことができなかったな、聴きたい曲がたくさんあったのにな」
と思っても後の祭りだった。
好きな曲がたくさんある。それらをこうやってnoteで記事に書くことも考えたけれど、そのことを相談した友人には「過去の話書いてもしょうがないじゃん」と言われ、「そうだね」と応えた。
「マイナス人生オーケストラはもうないんだ、好きな曲もライブで見ることはもう叶わない」
そう思っていた先日、ハルさんのソロでの単独ライブが催されることを知って足を運んだ。
バンドではなくソロ。だが、サポートとして、もともとマイナスのメンバーだった小川さんと生虫さん、それに現在ハルさんと別のバンドを組んでいるクマさんという人が楽器隊で入るのだと告知には記載があった。
台風による大雨の中、何とか会場につくと、開演前の客席では
「飛行機が飛んで良かった」
「休みがとれて良かった」
「新幹線が動いて良かった」
という会話が交わされながら、蛍光色のブレスレットを箱から取り出し、折り曲げて両腕に装着する人たちの姿があった。
そういえば、マイナスのライブってそうだった。
はるか昔に見た記憶を思い出し、懐かしく思うと同時に、あの時の人たちは私が見ていなかった間も、終幕までマイナスを見守っていたんだなと敬意と羨ましさを感じた。
演奏が始まり、知っている曲たちが演奏される。
私が全く足を運べなかった時期にリリースされたアルバム『その心は。』『死期折々』には華やかな楽曲に彩られた陰鬱な歌が多く、「ライブで聴いてみたかった」と思っていたその願いが、叶っていることにハッとする。
印象に残ったのは『8月32日』
これは「ぼくのなつやすみ」という有名なゲームのバグで、9月1日のかわりに8月32日になってしまい、抜け出せなくなるという話が基になっている曲だと思う。
8月32日
今、歌詞を抜粋していて鳥肌が立った。これは作中の親と自分が恐らく同世代だからかもしれない。
誘拐された子供の目線で描かれたこれだけグロテスクな歌は、作ろうと思ったこともすごいと、曲の持っている力に愕然とした。
それをすんなりと、受け取り手に伝えることもすごい。
*
静かな曲も華やかな曲も、元気な曲も、客席はずっと全力で。
ステージの中央で、誕生日であるというハルさんは華やかな存在感を放っていて、一曲一曲が、演者からも客席からも愛されて大事にされていることが、見ていて強く伝わった。
曲が愛されている限り、バンドが解散しても音楽は過去にならない
このこと驚かせられながら、その日一日のライブを見届けた。感動的だったと言ってしまってもいいと思う。
バンドという存在を信じて愛を注ぎ、自分の人生よりも大事にするファンにとっては、「解散」ということは、実家を失うことのような絶望だと認識していたけれど、解散から4年の時間を越した後でもファンの中に曲が息づいていれば、メンバーたちの中に曲を愛する気持ちが続いていれば、バンドという存在が解散という形を迎えても、曲は過去のものにならないのだということ。
何年越しでも、遠方から飛行機や新幹線で駆け付け、台風の大雨の中でも新宿のライブハウスに集った満員の客席の一糸乱れぬ全力の振付も、かつての通りだったと思う。
これらのことを考えていると、この日にも演奏された彼らの代表曲の一つ『タイムマシーンを待ちながら』の内容が重なってくることにハッとする。
タイムマシーンを待ちながら
「その未来に貴方が居ないなんて」
の『貴方』は解散したマイナス人生オーケストラというバンドそのものと重なって見える。
それは、彼らを信じて解散を嘆き悲しんだファンたちをはじめ、バンドとしての活動を止める決断をした本人たちにとっても同じ気持ちだったのかもしれないと、この日のライブを見て感じた。
「その日はきっと来るわ 大逆転!」
はこの日のライブで、実証されたのだ。
曲が愛される限り、解散してもバンドは過去の存在にならない。愛したことがなかったことにはならない。二度と会えない訳ではない。何も残さなかった、残せなかったということにはならない。過去のものとして諦める必要なんて何一つないのだということ。
これからも曲を愛していいし、それが誰かに届く可能性も多分にあるということ。
そんなことは、自分の目で目の当たりにしないと、信じられなかったと思う。
もしこの記事で、マイナス人生オーケストラの存在を知り、興味を持った人が居たら、サブスクやYouTubeで探してみてほしい。
私は、マイナス人生オーケストラでは、上で挙げた以外では、以下の曲が特に好きです。
舌打ちのオーケストラ
ひかりごけ
サビ頭のキラキラはKILLERKILLERと書くと知ったとき衝撃でした。
この歌が実在の食肉事件として有名なひかりごけ事件が元ネタなの知ってる人はどのくらいいるんだろう。
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盛者が殺しにやってくる:『失心』収録 2016/5
霧島、人間やめるってよ:『失心』収録 2016/5
絶命、絶対。:『その心は。』収録 2018/3
君に眠剤をあげよう:『その心は。』収録 2018/3
凡才テレビくん:『その心は。』収録 2018/3
花よ 蝶よ:『その心は。』収録 2018/3
お構いなく:『凡ての狂人は天国へ向かう』2009/10
ヰらない子:『凡ての狂人は天国へ向かう』2009/10
鳥人間たかし:『人間の証明』収録 2012/6
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この日のライブで、ドラムの生虫さんのシンバル使いが凄く鮮やかだったことに気付きました。
マイナスの曲だからなのか、生虫さんの持ち味なのかはわからないのですが、ご本人が動画を上げていましたので引用しておきます。
めちゃくちゃ格好いい。
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