演劇倶楽部新1期新人公演『クラウチング・門出』


千秋楽を観劇してきた。
座組の皆様、お疲れ様でした。


東亰演劇俱樂部旗揚げ公演
『  ・  』(スポット) を観劇して以来となった。
とあることから丁度10年の月日が経っており、少し懐かしく感じながら観ていた

早速の感想を書くと、not for me
少なくとも自分にとっては面白いと思えなかった

内容はさておき、演出家の悩みを感じながら観る作品となった
これは新人公演であり、これに向けて練習を重ねてきた新人たちを全員出さないといけない

その上で、演出家の気持ちとして全員をできるだけ多く登場させたいし、見せ場も作りたいというのがあったように思えた。
これは他の公演でも感じることだが、それ故に全体としてのクオリティを下げてしまうことに繋がってしまっている

一言でいうと、約100分の公演の中でこのシーンいるか?
そもそもここって必要なのか?
と悪い意味で考えさせられるシーンが多く
そこで集中し難くなってしまった。

そこには前述の演出家の苦悩があったように思う

極端な話、あまり出ないキャストがいたとしてもキャストを含めた座組全員と無関係な自分からしてみたら気にならないのだが、いざ中にいて新人たちと距離が近いとなった時、ドライな選択を取りづらかったのだろう

ここをどう解決するか?というのが例年の課題なのかもしれない
自分が考えるとしたら、全部ナンセンスコメディにしてしまうのがいい
つまり、大筋の話(今回で言えばメタバース空間という設定)だけ残しておいて、後の細かいところ、いわゆる各論的なところは全て(面白いかどうかは置いといて)ギャグにしてしまうのがいいのではないかと考えた

実際に髪色が緑の新人の子のネタはウケていたように思われる(二列目に座っていたが、最前列の観客が大爆笑して後ろにいる自分に思い切りぶつかってきたくらいだから)

言ってしまえば全てナンセンスコメディでいい(これはエンクラの新人公演がそうだったから)のだが、そこにやはりヒューマンドラマやその他の要素を入れてしまうからか、自分の中で全く引っ掛からなくなってしまった

テーマについては、劇中で何度も語られていたように(正確な台詞は忘れた)
日々の別れが突然最後になるかもしれない、それは分からないものだというところ

これは、恐らく最後のテロップで紹介されたように2021年から廃部の危機に瀕していた早稲田大学演劇倶楽部に対して言及する意図もあったのではないか

つまり、OBOGやその他、現役生からしてみてもいつまでも続くと思われていた演劇倶楽部という団体も、いきなり解散という形になり、何が、いつ、最後になるか分からないということ

だいたいこんな感じのことを伝えたいのだろうなと思ったが、あまり楽しんで見られなかった

新人公演にあるあるの、ダンスもなければ、最後のシーンで舞台のパネルが開くという仕掛けもなく「新しく」はあれど、過去に観てきた演劇倶楽部の公演はもう受け継がれておらず、観られないのだなという気持ちになった。
そういうのも含めて『クラウチング・門出』なのかもしれない

以下、細かいところで気になったポイント

・劇中にミュージックステーションが採用されていた 今現在でもあるのか分からないが、演出家の担当者が20代前半であるとすれば、少し古い世代のことを知っているなと感心した

・アイドルの子が歌を歌って、それに感動するファン役の子が、サイリウムを使ってオタ芸を披露するのだが、もっとキレがほしい
頑張ってやったのだろうし、大事なシーンではないのかもしれないが意識したらもっとクオリティを上げられたのではないかと思わざるを得なかった

参考までにイメージしていたのはこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?