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非合法の失敗作「アマビエ」は、なぜ180年後に復活したのか

 新型コロナの感染拡大が長期化する中、予言する妖怪「アマビエ」が大人気だ。人魚のようなウロコと長い髪、鳥のようなくちばしを持つ3本足の妖怪で、江戸時代に肥後(熊本県)の海に現れて疫病の流行を予言したという。

 アマビエはむろん想像の産物だが、この得体のしれない妖怪が登場した時代背景を知りたくなった。ブームが起きる前から、地道にアマビエを調べていた研究者にも取材した。

読売新聞オンラインのコラム本文

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アマビエ替え

    肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵)

肥後の海中が毎夜光るため役人が見に行くと、図のような者が現れ、「私は海中に住むアマビヱという者だ。今後6年の間、諸国は豊作だが、あわせて病が流行する。早く私の写し絵を人々に見せなさい」と告げて海中に戻った。これが役人から江戸に送られてきた写しだ 弘化3年4月中旬

 だが、役人が検分したほどの大騒ぎの伝承が、肥後には一切残っていない。弘化3年(1846)に疫病が流行した形跡もない。奇談の発信地は、どうやら熊本ではない。

予言獣の“先輩”の元ネタとは

 江戸後期の文人、加藤曳尾庵かとうえびあん(1763~1829?)の随筆『我衣わがころも』には、文政2年(1819)に神社姫じんじゃひめ(姫ひめ魚うお)という妖怪が肥後ではなく肥前(佐賀、長崎県)の平戸の海に現れたという話がある。

姫魚

    神社姫(姫魚)の図(『以文会随筆』西尾市岩瀬文庫蔵)

 神社姫は、「今年から7年間は豊作が続くが、コロリという病が流行する。私の姿を写して見せれば、その病を免れ長寿が得られる」と告げたという。

 アマビエが現れたとされる2~3年前には、「アマビコ」という3本足の猿の妖怪が複数登場する。

海彦(『越前国主記』福井県立図書館蔵)

  「海彦(アマビコ)」の図(『越前国主記』福井県立図書館蔵)

 「海彦」「尼彦」「あま彦」など当て字はいろいろあり、姿かたちや話の中身に細かい違いはあるが、「病で日本の人間の6~7割が死ぬ」が、「書き写した自分の姿を見れば、疫病を逃れられる」という話は大筋では同じだ。時系列で並べると、神社姫の予言がアマビコに、さらにアマビエへとコピーされていることがわかる。

3匹の妖怪

作者は江戸の瓦版職人

 予言獣のストーリーを創作したのは、江戸時代に瓦版(摺物すりもの)を制作して売り歩いた職人とみられている。「疫病がはやる」と予言させて不安を煽った上で、「姿を写せば救われる」と告げて妖怪を描いた絵を売り、ひともうけしようとしたわけだ。

 当時、摺物の発行は非合法で、不安を煽って売りつける行為は取り締まりの対象になっていた。アマビエは摘発のリスクを冒してひそかに描かれたわけだ。

 アマビエの名はアマビコの話をコピーした際の誤記といわれているが、アマビエを研究している福井県立図書館学芸員の長野栄俊さんは、「以前の妖怪とは違うことを示すため、わざとコをエに変えた」とみている。

 妖怪研究で知られる兵庫県立歴史博物館学芸課長の香川雅信さんは、「アマビエが肥後の海に現れたことにしたのは、神社姫が現れた肥前を少しもじったか、江戸から遠く離れたところに現れたことにしておけば、真偽を追及されることはないと考えたからではないか」と話す。

深海魚か、中国の猿の妖怪か

 香川さんは、「神社姫は自ら竜宮城からの使いと名乗っており、深海魚のリュウグウノツカイが原型だろう。アマビコは古代中国から伝わる『猩々しょうじょう』を連想させる」という。

リュウグウノツカイ_s

             リュウグウノツカイ

 リュウグウノツカイは深海魚で、北陸から九州にかけての日本海側でまれに水揚げされる。日本に古くからある人魚伝説では、人魚の肉を食べると不老不死や長寿になるとされる。豪農や商家に人魚のミイラとされる剥製(はくせい、むろん本物ではない)があるのも長寿にあやかる願望の表れだが、この伝説のもとになったのはリュウグウノツカイではないかという説がある。

人魚のミイラの精巧な模写(『梅園魚譜』国立国会図書館蔵)

   人魚のミイラの精巧な模写(『梅園魚譜』国立国会図書館蔵)

 一方、西洋の人魚は(日本の人魚伝説も)マナティーのような海獣がもとになったとする説もある。 猩々は中国の猿の妖怪で、顔が赤、黄色いのが特徴で、ショウジョウバエの名はこの妖怪からついた。中国では山中にいる妖怪だが、日本ではなぜか住処は水中とされることが多いという。

猩々(『和漢三才図会』国立国会図書館蔵)

       猩々(『和漢三才図会』国立国会図書館蔵)

 アマビエのウロコと毛むくじゃらの3本足は、神社姫とアマビコのパーツを切り貼りしただけにもみえる。

アマビエは何を予言したのか

 アマビエの予言をもう一度“先輩”の予言とよく比べてみると、神社姫やアマビコの話にある被害状況の予言(6〜7割の人が死ぬ)や、姿を写し見る効験(疫病から逃れられる)が欠落している。

 「アマビエはコレラを予言した」と言われることが多いが、日本に虎列刺(コレラ)が初めて長崎から上陸したのは文政5年(1822年)、第2次流行は安政5年(1858年)で、弘化3年前後には流行していなかった。

 神社姫は「コロリ(虎狼狸)」を予言しているが、コロリは赤痢のような疫病で、コレラとは別の病だ。しかも神社姫が告げた年にはコロリはすでに流行していたから、「予言した」というのも違う。ましてやアマビエがコレラを予言したという根拠は、実はどこにもない。

 姿も予言も“先輩”の受け入り、しかも出来が良くないとなれば、人気が出ないのも当然かもしれない。神社姫やアマビコの摺物や写しが複数残っているのに、アマビエの絵が1枚しかないことをみても、摺物が売れなかったとみられる。

 長野さんも香川さんも「アマビエはほとんど売れなかった失敗作だった」とみている。京大附属図書館の1枚がなければ、アマビエは完全に歴史から消えていただろう。

江戸にヒットしていたら今のブームはなかった?

180年近く後に厚生労働省(つまり、政府)公認のキャラになったのを知ったら、アマビエを描いた職人は「あの失敗作が」とさぞ驚くことだろう。

厚生労働省啓発アイコン

 失敗作だったからこそ、自由なデフォルメがしやすく、今のブームにつながった面もある。昔は粗雑で見向きもされなかった描写は、今は「ヘタウマでかわいい」となるわけで、もし過去にヒットしたキャラだったら今のブームはなかったかも知れない。過去に非合法の失敗作だから、と、今のブームに水を差すつもりはない。

 ちなみに昔の人も、予言獣たちの予言を本気で信じていたわけではなかったようで、「こんなものを信じる人がいるとは」とあきれる人が多かったという記録がある。少しでも気休めになるなら、効験がないと目くじらを立てるのは無粋でしかない。


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