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丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』1988年10月1日~10日

         ☆
 
 私は風です。
 
 うたかた湖の長命な湧水から生まれて
 穏健なる思想と控えめな恒常心を兼ね備えた
 名もなき風です。
 
 気紛れ一辺倒の私としましては
 きょうもまた日がな一日
 さながら混沌に支配されたこの世界よろしく
 特にこれといった意味もなく
 曲がりくねった岸辺に沿ってひたすらぐるぐると回るつもりでした。
 
 ところがです
 一段と赤みを増した太陽が連山に向かってぐっと傾くや
 本当はどうでもいい存在の人間をひとり
 結構長生きしているくせに
 世情に通じているとはとても言いがたい男を
 いとも簡単に
 というか
 まったく無意識のうちに
 あっさり過ぎるくらいあっさりと殺してしまいました。
 
 充分な重ね着をして
 毛糸の胴巻きに懐炉まで忍ばせていたのですが
 遁世者に限りなく近い
 その釣り人の使い古された心臓は
 私の易々たるひと吹きを浴びるや
 だしぬけにぴたりと停止したのです。
 
 不憫としか言いようがない老人は
 声も上げずにどっと前のめりにくずおれたかと思うと
 目出し帽をかぶった頭部を冷水にどっぷりと浸けこみました。
 
 ほどなくして
 そうした運命の仕打ちになんの異存もなさそうな様子で
 あまりに呆気なく息絶え
 見事に湾曲した彼の腰骨の辺りでひと休みしようと
 青々と美しいイトトンボがひっそりと羽を畳んだのです。
 
 その代わりと言ってはなんですが
 ほどなく私は別の命を救うことになり
 つまり
 もし私の情操がさほど濃やかではなくて
 かなりの気配りの持ち主ではなければ
 そのちっぽけな野鳥は
 間違いなく湖面に落下していたことでしょう。
 
 ほとんど風前の灯状態にあった幼鳥は
 どことなく三日月を想わせる死者の背中に辛うじてしがみつき
 ぐったりとしたまま
 非情な成り行きに身を任せていました。
 
 活でも入れてやろうかと
 私は少しばかり力を込めてびゅっと吹きつけ
 するとそいつはひと声「寒い」と鳴き
 最後の力を振り絞るようにして
 往生したばかりの人間のまだ生温かい懐中へすっと潜りこんだのです。
 
 どこまでも天界に迫る峰々の紅葉が燃えに燃える
 静寂と絢爛の錯綜に終始した
 なんとも優雅にして平和な
 掛け替えのない黄昏時の出来事でした。
(十月一日 土曜日)
 
         ☆
 
 私は闇です。
 
 険しい山岳地帯と神秘的な山上湖
 そして静謐と倦怠に包まれた田舎町
 存在感の薄いこの〈まほろ町〉を
 一喜一憂の名残ですっぽりと覆い尽くす
 いつもながらの闇です。
 
 そんな私は
 天体の取るに足らない輝きや
 倦みもせずに汀を洗うさざ波と力を合わせて
 釣り用の折り畳み式の椅子に腰を下ろしたまま
 ジャックナイフよろしく二つ折りになっている骸を
 これ以上は望めないほどの優しさを込めて包みこみました。
 
 しばらくの後
 呪わしげな夜明けがすぐそこまで訪れ
 麻痺している脳のせいで
 意志に無関係な動きを選択しがちな肉体を授けられ
 半ば悲しく半ばふざけた所作でもって
 昼は光を夜は私を撹拌し
 地上の至る所に
 楕円銀河を彷彿とさせる不可視の渦を発生させずにはおかぬ
 かの少年世一が
 こんもりと繁った松林の奥からぬっと現れたのです。
 
 すると彼はすぐさま
 尋常ではない姿の祖父を発見して素っ頓狂な声を張り上げ
 こだまが引き継がれてゆく最中
 死体に潜りこんでみずから命を守った幼鳥が
 その絶叫に呼応するかのように「ちっ ちっ ちっ」と鳴き
 ソラマメに似た頭部を
 ろくでもない世間へぐっと突き出しました。
 
 双方の目と目が重なると
 鳥は鳥であることを忘れ
 少年は人である立場を忘れて
 祖父が置かれている厳しい状況までも忘れてしまいました。
 
 世一は息も絶え絶えの小鳥を慎重につかむと
 首に巻き付けていたおんぼろのマフラーでそっとくるみ
 それから
 酔いどれよりも無様な
 しかしけっして倒れないという奇怪な足取りで
 やってきた小道をそろそろと引き返して行くのです。
 
 孫に置き去りにされた孤独の限りの使者はといいますと
 ほどなくして
 あたかも重大な責務でも果たし終えたかのようにどっと横倒しになり
 わが身の重みにより手製の釣竿をぽっきりと折りました。
 
 ついで
 私といっしょに輝ける昩爽へすっと呑みこまれたかと思うと
 大気を満遍なく染める黄金色の坩堝に無造作に投げこまれて
 どろどろに溶かされてゆくのです。
(十月二日 日曜日)
 
         ☆
 
 私は棺です。
 
 並みのサイズの
 これまた並の価格の
 ささやかな幸福を全うした貧者にこそ相応しい
 白木の棺です。
 
 そんな私としましては
 淡水と小鳥の匂いをほのかに漂わせるその屍を
 熱誠をたっぷり込めて歓迎したつもりなのですが
 残念と言いますかなんと言いますか
 小高い丘のてっぺんにある一軒家に集まりました
 ごくごく普通の親戚縁者の反応は
 少なくとも私ほどではなく
 事務的と思えなくもない冷ややかなものでした。
 
 硬度の高い小石を使って金メッキされた釘を私の蓋に打ち付けたかれらは
 さっさと階下へ降りて居間と兼用の客間にたむろし
 三百六十度のパノラマを肴に酒を酌み交わし
 葬式用の料理で腹ごしらえをしながら
 麓で待機している霊柩車まで死者を運ぶための体力と気力を確保したのです。
 
 独り仏間に居残った少年世一は
 指先の出血を止めようとぺろぺろ舐めています。
 
 のべつ幕なし突風に煽られた若木のようにぐらぐら動いてしまう
 そんな特異な体でもって釘の頭を叩くこと自体が土台無茶でした。
 
 やがて彼ははたと思いつき
 よれよれのジャンパーのポケットから無造作につかみ出した一羽の幼鳥を
 私の上の花束の隣に置きました。
 
 餌はおろか水すら受け付けそうにないそいつは
 衰弱の極に達していて
 ほとんど死にかけていたのです。
 
 ところがどうでしょう
 瀕死のはずの小さな生き物が
 やにわに首を伸ばしたかと思うと
 世一が近づけた人差し指にまだ柔らかい嘴を寄せて
 滲み出る赤いものをすすり始めたではありませんか。
 
 その際にこぼれ落ちた鮮血の一滴が
 私の面にささやかな染みをもたらしのですが
 幸いなことに
 列席者たちに不吉な凶兆と思われて
 葬儀の進行に支障を来すほどではなかったのです。
 
 世一自身には気づかれませんでしたが
 よくよく目を凝らして見ますとその染みは
 どういうわけかうたかた湖の形状と瓜ふたつで
 私はその偶然をよしとし
 ほぼ望み通りの最期を迎えた死者自身もまた
 それをよしとしました。
 
(十月三日 月曜日)
 
         ☆
 
 私は鳥籠です。
 
 もう大分長いこと物置の片隅で埃をかぶっていて
 だしぬけに出番が訪れたことに戸惑いを隠せない
 むしろ骨董品に近い鳥籠です。
 
 入念に水洗いされてから
 私は小一時間ほど天日に干され
 午後にはもう生きた鳥と生きた虫と生きた水を納められ
 東に面した二階の窓辺に置かれました。
 
 そこからは
 輝くことしか知らぬ湖全体と
 どうでもいい営みを反復する田舎町の北側半分と
 在るとも無いとも言える
 現世の三分の一がなんとも鮮やかに見て取れたのです。
 
 そして私は
 伝統ある工芸品として復活し
 今ではもうほとんど製造されていない
 漆塗りの和籠としての誇りを
 瞬時にして取り戻し
 併せて
 そんなおのれに似つかわしい鳥であるかどうかに思いを巡らせてみました。
 
 それというのも
 このおよそ百年のあいだに私が受け入れたのは
 コマドリとウグイスに限定されていたためで
 つまり
 飼い鳥と呼べるのはその二種類しかいないと頑なに信じていたからなのです。
 
 ところがそいつときたら
 残念にもどこからどう眺めても
 コマドリでもなければウグイスでもありませんでした。
 
 そうはいいましても
 望みがまったくないというわけではなく
 じっくり観察してみると
 すべての羽毛がくすんだ色をしているのではなく
 翼のほんの一部ですが
 刮目に充分値する青色がひと筋すっと入っていました。
 
 けれどもその青が
 私の期待通りの広がりを見せてくれるかどうかということになりますと
 今の段階ではなんとも言えず
 もし青が紺を招かず
 群青色が瑠璃色へと発展しなかったならば
 ふたたび物置に放りこまれて
 またもや百年分の埃にまみれても
 一向に構いませんでした。
 
 おまえはさて何者なのかと
 そう私は尋ね
 ところが正体不明の鳥はうんともすんとも言ってくれず
 それでも
 餌鉢にまだ黄色い嘴を近づけて
 逃げ出さないよう肢を全部もぎ取ってある大小のクモをつつき回し
 食べられると判断するや次々に呑み下し始めたのです。
 (十月四日 火曜日)
 
         ☆
 
 私はボールペンです。
 
 書くために生きるのか
 生きるために書きつづけるのか
 長年執筆生活に明け暮れているくせに
 その辺りのことが未だにろくすっぽわかっていない
 というか
 わかろうともしない小説家に愛用されて久しい
 水性のボールペンです。
 
 彼は行き付けの文具店で私を手に入れ
 初めて使用した途端に
 片時もそばを離れてはならないと命じてきたのです。。
 
 自分にとって森羅万象は凝視に値し
 目につくすべてを書き止めておかねばならない発見がごまんとある
 そうきっぱり言ってのけたものだが
 はてさてどこまで本気やら
 真に受けてもいいのでしょうか。
 
 真意はどうであれ
 以来私はずっと彼に付き添い
 書斎においては言うに及ばず
 子熊にそっくりな黒いむく犬をハンドルにしがみつかせて
 おんぼろのスクーターを突っ走らせるときも
 およそ悩みらしい悩みを知らぬ妻とふたりきりで
 粗末であっても幸せな食事を取るときも
 現実の余りの重々しさにふと気づき
 過酷な世間に圧倒されて正体もなく眠りこけるときも
 常にいっしょでした。
 
 そして彼は今もまた
 数々の物象と命あるものとが複雑にして巧みに構成する
 山国におけるちっぽけな
 それでいて全世界を表象するかのようなまほろ町を
 学者さながらの集中力を発揮してつぶさに観察を加えています。
 
 風がそよとも吹かない日であっても
 強風が荒れ狂う山畑に佇む案山子のごとく全身を打ち震わせ
 魂そのものさえ痙攣させずにはおかぬ障害を負った少年と
 彼が生まれて初めて飼育に挑むことになった野鳥を通して
 自我のうちにはけっして見いだせない
 精神の奇跡と不変の答えを探り当てるべく
 大それた文学的企みを抱えこんでいるのです。
 
 これは長年の夢であり
 野望のなかの野望でもあるのだと
 彼はそうのたまい
 そうした宣言にも似た大仰な言い方に対して私は
 すかさず土台無謀な試みではないかと言い返し
 なぜとなれば
 言葉に頼り過ぎて本質を見失った文学者があまりに多過ぎるからです。
 
 しかしながら案に相違して
 彼は私に否定の鉄槌を下したりせず
 旭日の神々しい光に彩られた天に向かってぺっと唾を吐きました。
 
 ついで
 新たな決意の元に私をぎゅっと握りしめて
 安物の原稿用紙をぐいと引き寄せ
 蚊の鳴くような声で
 「それでも書いてやる」と二度三度とくり返したのです。
 (十月五日 水曜日)

         ☆
 
 私はため息です。
 
 まほろ町のあらずもがなの図書館を
 たったひとりでもう十数年間も維持管理している女が
 少なくとも日に百回は漏らす
 やりきれないため息です。
 
 これまでの私の累計ときたら
 館内に収納されている本のページ数と肩を並べられるまでか
 あるいはそれを上回っているかもしれません。
 
 そんな彼女はひたすら待ちつづけ
 待ちくたびれるほど待ち
 待つことに生きる意味を探ろうとしているうちに
 とうとう三十の坂を越えてしまいました。
 
 残念ながらいくら待ち侘びたところで
 眼鏡に適った
 倹しい暮らしにであってもささやかな哀歓を分かち合えそうな
 そんな異性は一向に現れてくれないのです。
 
 ほとんど読まれずに朽ちてゆく本の山と
 顔見知りだらけの狭い生活空間と
 虚ろに過ぎる仮初の日々から連れ出してくれそうな相手は
 結局のところ夢のなかでしか登場しませんでした。
 
 そのせいで年々歳々私の数が増えてゆくことになり
 それに反比例して図書館の利用者が激減していったのです。
 
 玄関辺りに珍しく人の気配を察した彼女は
 乱れてもいない髪を慌てて手櫛で整え
 ところが
 足音の顕著な特徴によって相手の正体を知るや
 思わず舌打ちをしてすまし顔を瞬時に弛めました。
 
 彼女はそっぷを向いたまま
 ろくすっぽ口も利けない少年世一から苦労して用件を聞き出し
 備え付けの脚立を利用して高い棚から引きずり出した
 ずっしりと重たい鳥類図鑑をテーブルにどんと置き
 読みかけの恋愛小説の甘ったるい世界へと引き返しました。
 
 ところがどう集中しても自己愛の異次元へ戻れず
 それというのも
 図鑑と大格闘する少年のいかにも動物的な唸り声に妨害されたからです。
 
 業を煮やした彼女は
 かれこれ十世紀にも亘って読み継がれてきた
 低俗故に人気が衰えないロマンスの塊の本を
 荒々しくばたんと閉じました。
 
 そして
 「よだれで汚しちゃ駄目よ!」と尖り声で弟を叱り飛ばし
 すかさず私に救いを求めてきたのです。
 (十月六日 木曜日)
 
         ☆
 
 私は九官鳥です。
 
 ミニチュアダックスフンドの間抜けな声しか真似られず
 そのせいでいつまでも買い手が付かない
 少々だれ気味の九官鳥です。
 
 ところがきょう
 日々平安の退屈をいささか紛らわせてくれる
 ちょっとした事件がありました。
 
 まほろ町に一軒しかないこのペットショップに
 まるで亡霊のごとき身ごなしでふらりと現れた珍客の聞きづらい言葉を
 なんとたった一度で覚えてしまい
 それもひとつ単語ではないのです。
 
 おまけに
 店の仕事を手伝ったのですから
 我ながら驚きです。
 
 「これなんて鳥?」を
 私が執拗に反復してやらなかったら
 店主は客の言わんとするところを永久に理解できなかったでしょう。
 
 休むということを知らない奇妙な体を持つ少年の手から
 古めかしくも立派な籠を受け取った店主は
 そこに納まり返っている小鳥をしげしげと眺めていましたが
 ややあって得意げに鼻翼を膨らませ
 「ああ、わかった。オオルリの幼鳥だな」と言い切ったのです。
 
 「コレナンテトリ」と
 私がもう一度覚え立ての言葉を発すると
 その奇跡に店主は仰天し
 ついで満面に笑みを浮かべました。
 
 私に初めて人間の言葉を覚えさせてくれた珍客に礼をしたいと考えた店主は
 飼育のコツを授けようと
 九官鳥の餌を水で練って与えてみたらと言い
 それをひと箱無料で分け与えたのです。
 
 おまけに
 餌の食い付きが悪いときなどにやれば食欲が戻って元気になるという説明を足し
 私も嫌いではない〈ミールワーム〉をひとパックくれてやりました。
 
 それにしても
 町一番という噂の吝嗇家にしては思い切った大盤振る舞いです。
 
 その後店主はかなり芝居がかった口調で声を潜めつつ
 これは
 捕まえることはむろん
 飼うことも法律で禁じられている種類だから
 他人の目に触れぬようくれぐれも注意しなくてはならないと忠告をし
 籠全体を包装紙でくるんでやりました。
 
 意気揚々と引き揚げて行く少年の背中に
 私はたった一度で習得した言葉「コレナンテトリ」を自慢げに浴びせました。
 
 すかさず店主が
 「オオルリに比べたらおまえなんぞ鳥でもなんでもないよ」などと言ってのけ
 その直後に
 あれこそが鳥のなかの鳥だと決めつけて
 うっとりと目を細めたのです。
(十月七日 金曜日)
 
         ☆
 
 私は雨です。
 
 ときにはしめやかに
 またときには濛々と降り注いで
 まほろ町の夜を一段と玄妙な雰囲気に変えてしまう
 秋の雨です。
 
 私は偶然に身を任せてうたかた湖の面をかき乱し
 その片手間にニキビのごとき小さな丘を奇襲して
 てっぺんに建つ一軒家を連続音で包みこんでやり
 もう長いこと生活にくたびれ果てていることにまったく気づいていない
 所帯臭さまる出しの母親の目を覚まさせました。
 
 彼女はまず
 トタン屋根を乱暴に叩きながら
 「辛い思いをしでまで生きる意味などないぞ!」だの
 「人生なんて徒労にすぎん!」だのとわめき散らす私に気づくと
 しばし寝ぼけ眼で暗い思いに振り回され
 ついでなんとも意味不明な声を察知し
 不審顔でそっと床を離れました。
 
 ひょっとすると天国とやらに通じているのかもしれない
 かなり急な階段を忍び足で上がって行き
 二回の奥の小部屋の襖をほんの少しだけ開け
 慎重に目を押し当てたのです。
 
 そして
 灯を点けたままでなければ眠れない末の子
 十年前に高齢出産による悪影響が原因ではないかと診断されて以来
 どこの誰よりも自由奔放に自身の命の糸を紡ぎ
 昼といわず夜といわず哀愁の気配を濃厚に漂わせている我が子の
 親ですらまともに見たくないその寝姿を久方ぶりに観察します。
 
 少年世一は
 私が立てるリズミカルな音に合わせて地鳴きをくり返し
 尾羽を扇状に開いたり閉じたりする小鳥の姿に
 うっとりと見惚れて我を忘れています。
 
 思えば
 世一の母が見苦しく取り乱して私に八つ当たりしたのはもう遠い昔で
 よりによってこんな不完全な子をなぜ授けられたのかという
 切々たる抗議と愚痴を真剣に取り合ってやったのは
 正直私くらいなものでしょう。
 
 忍び足でその部屋へ侵入した彼女は
 睡眠にさえ救われていない不憫な息子に布団を掛け直してやりながら
 深夜の闖入者に怯えてばたばたと暴れる鳥の瞳をじっと覗きこみ
 ほとんど哀願の物言いで
 「この子はあんたに任せたよ」と
 あまりに無責任な言葉を半ば本気で囁きました。
 
 すかさず私はその投げやり気分を覆い隠し
 半分を丘の地中深く浸透させ
 残りの半分をうたかた湖へ向けて一挙に押し流して
 そのあとはもう事もなしといった塩梅です。
(十月八日 土曜日)
 
         ☆
 
 私は風土です。
 
 まほろ町の住民を
 まほろ町の人間たらしめて止まない
 まほろ町の風土です。
 
 ほかのなによりも曖昧と中途半端をこよなく愛する私としては
 さっぱり要領を得ない話や判然としない説明といったたぐいを
 好んで受け容れ
 一言一行と慎み
 健康を気遣って節食し
 暗々のうちに重大な決定を下し
 不偏不党の立場を厳守するような
 そんなお堅い連中を常に忌み嫌います。
 
 そして
 ひたすら権門に媚び
 後難を極度に恐れ
 弱者の心を汲み取るような気高い観点が大の苦手です。
 
 そこへもってきて
 金銭はともかく
 時間を空費する達人でもあるのです。
 
 おまけに
 余所者の敏腕家の出現を待ち侘び
 あこぎでろくでもない策略をもって善良なる相手を幻惑し
 権力と金力を背景に国家を牛耳ろうともくろむ野心家に
 一も二もなく盲従する態勢を常に整えています。
 
 しかも
 周知の事実に寄りかかって
 世のハッタリ屋が常套句としてのべつ口にする
 いかにも怪しげな説に雷同し
 そのくせ
 自分から論断を下すことは滅多にありません。
 
 そんな私はいつも話の重要点をぼかして語り
 発生した問題が大きければ大きいほど内聞に済まそうと
 当然の帰結として顕わになった秘密を
 性懲りもなくもう一度隠ぺいしようと努めます。
 
 こうした私には
 情念を払って事に当たることも
 理不尽な仕打ちに厳然たる態度で臨むことも
 不眠不休の努力を重ねることもできません。
 
 それでもなお
 毎年百種を超える候鳥が通ってきてくれますし
 除け者扱いされがちな少年世一のような存在にも居場所をちゃんと確保しているのです。
 
 さらには
 芸術家にあるまじき堅物でありながら
 病的なほど詮索好きな小説家も
 私のことを文学の宝庫と買い被ってくれています。
 
 彼に言わせると
 知性と理性の極端な欠落によって
 生々しい本性を剥き出しにする私が堪らなくいいのだとか。
 
 思うに
 人間の現実と本質を文学的な書き言葉を駆使して一網打尽にしたいのでしょうが
 こっちとしてはただ「お好きにどうぞ」と言うしかありません。
(十月九日 日曜日)
 
         ☆
 
 私は口笛です。
 
 少年世一が日の出の力を借りて気随気ままに吹きならず
 下手くそのひと言ではとても片づけられそうにない
 切々たる響きが込められた
 どこまでも情緒的な口笛です。
 
 けっしてきのうの延長などではない
 未知なるきょうに向かって吹かれ
 控えめな進行ではあっても
 確実に狂ってゆくこの世に向かって吹かれるのです。
 
 人に拾われるまでの経歴が定かでない
 籠の鳥のために吹かれる私が
 いくら問うてみたところで
 そのオオルリは頑なにだんまりを決めこんでいるばかりです。
 
 誰のおかげで命拾いしたのかよくよく承知し
 さえずるための完璧な器官と能力を十全に具えているにもかかわらず
 人前では沈黙を守り通し
 たまに声を発したところで
 せいぜい地鳴き程度でしかありません。
 
 とはいえ
 私に込められた純一無雑で度外れの慈愛ときたら
 きっとこの不幸な生い立ちの幼鳥に一脈通じる何かがあると
 そう思いたくもあり
 そう願いたくもあります。
 
 きらきらと輝く陽光がもたらす風によって遥か遠方まで運ばれ
 亡き者の面影を偲びたがる人々が仰ぐ高峰
 うつせみ山に撥ね返された私は
 ふたたびこの片丘へと舞い戻って
 まだ惰眠を貪っている世一の家族
 漫然と生きているだけの三人
 両親と姉の
 広くも狭くもない
 生傷の絶えない心の深奥に
 ぐんぐん浸透してゆきます。
 
 ほどなくしてかれらは目を覚まし
 「あの子が口笛を吹けるようになるなんて」と呟いて母親は声を詰まらせ
 「静かにしろ、聞こえんじゃないか」と父親が言います。
 
 男に縁が薄いせいで疑い深くなり
 毎朝鏡台の前で理解不能な媚態を作る姉は
 自身にさえ届きそうにない小声で
 恋愛小説の女主人公になりきりつつ
 「幸福の青い鳥が舞いこんできたってことよ」と芝居染みた物言いを試し
 しばしのあいだ放心状態でささくれたその心をそっくり私に預けるのですが
 その目は朝っぱらからとろんとして虚ろの方向へどんどん傾いてゆきます。
 
 その一方
 当のオオルリはといいますと
 与えられたばかりの練り餌と生き餌を交互についばみ
 合間に水を飲んで
 希望にあふれた成長へ刻一刻と突き進み
 私のことなど完全に無視して
 命の膨張に余念がありません。
(十月十日 月曜日)

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