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私を構成する5つのマンガ

はじめに

マンガや小説は作品より作家で選ぶ傾向にあるため「藤子・F・不二雄」や「いしいひさいち」「萩尾望都」「岩明均」など、作家買い各氏の諸作品は選外となりました。
みごとに昭和の作品だらけとなってしまいましたが後悔も反省もいたしません。(順不同・敬称略)

「童夢」(大友克洋)

大友克洋の諸作は「AKIRA(1982〜1990)」以前以後とみるか本作以前以後とするかで意見が分かれますが、個人的には後者を支持します。マンモス団地や核家族など普通の人々がおくる日常の生活が、文字通り木っ端微塵に吹き飛ばされるモダンホラー作品で、社会的弱者(子供や老人)が超能力を操るというシニカルな視点や細緻を極める建造物破壊などをクールな筆致で抑制的に描く、その終末観や虚無感はいっそ痛快で、下手な映画よりも映画的であるという意味で衝撃を受けました。一言でいうなら大人のマンガです。「AKIRA」以外の大友克洋のコミックス単行本は、現在絶版状態で読む機会が限られている(無い)のが非常に残念ですが、中古書店等で探してでも読んで欲しい作品は多いです。(特に短編集がおすすめ)

「アップルシード」(士郎正宗)

攻殻機動隊(1989〜2001)」シリーズで、電脳空間や義体などハイテク時代(死語)の作家と勘違いされている節がある士郎正宗(本人曰く、攻殻は「軽めのサイバーパンク」を目指したとのこと)ですが、氏の代表作といえば今問われても迷わず本作を推します。80年代中盤の、もっといえば「AKIRA」以後に粗製濫造されたポストアポカリプスものの一作と見做されながら、緻密に作り込まれた世界観やデザイン、はたまた尋常ならざる作者の妄想力の産物である脚注に埋め尽くされた紙面の圧倒的な情報量など「文字の本より読むのに体力・知力を使うマンガ」の嚆矢として記憶に残る一作です。メジャーデビュー(「攻殻〜」)以前も以後も、士郎正宗の描くマンガは「美少女がカッコいい拳銃をガンガンぶっ放して丸まっちいメカに乗って大暴れする」という快楽原則のみで終始一貫しており、衒学など(表向きは)微塵も感じさせない、そのスタイルは今もって全くブレておらず、そこがたいへん素晴らしいの一言なのです。描き下ろしという破格の刊行スタイルも魅力のひとつ、と言いたいところですが第5巻(「アルテミスの遠矢」)はいつ出るのか……とヤキモキするのもそろそろ飽きてきました。

「風の谷のナウシカ」(宮﨑駿)

宮﨑駿が不世出のアニメーターであることに異論を挟む余地はない(アニメ監督としては以下自粛)と思いますが、(絵のプロである)アニメーターは優れた作家(漫画家)たりうるかという問いに対する答えの方向性を示す一作です。映画になった部分はほんの序章にすぎないと読者が知るころには、主人公であるナウシカが遭遇する境遇は苛烈を極め、彼女の絶望や無力感は、映画のその後を知るために手に取った青少年をして「読まなければ良かった……」と言わしめる凄まじさで、その勢いは倦むことなく最後まで突き進みます。読み終わるころには完全に打ちのめされる、はっきり言って狂気の沙汰以外の何ものでもありません。「風の谷のナウシカの子、オーマ(その正体は本編でご確認ください)」の健気さに救われる思いはする一作なのでお勧めはしたいのですが、物理的な製本の悪さが新規あるいは再読の邪魔になっているので何とか改善して欲しいところです。

「ファイブスター物語」(永野護)

「年表があるマンガ」「デザイン画・設定の先行公開」などなどマンガの枠に収まらない「アニメ世代の天才デザイナー」(第1巻の帯より抜粋)である著者畢生の超大作(現在も連載継続中)で、俗にいう「読み終わるまで死ねないマンガ」不動の第一席の座に30年以上(!)居座っています。迷惑で……いえ、なんでもありません。ジャンル的にはSFファンタジーとなるのでしょうが著者がいうところの「神話」が一番ニュアンス的には近いです。要するに何でもありで節操のない内容とも言えますが「永野だったら仕方ないか……(なぜかタメ口)」と言わせるだけの不思議なバランス感による説得力がある作品です。癖のある絵柄や説明を省く作劇(例えば「第1話で最終回を描く」)など凡そ万人向けの作品とは口が裂けても言えませんが、ハマればとことんハマれる中毒性は一度は体験して欲しいと思える一作です。

「バオー来訪者」(荒木飛呂彦)

「自らの身体を守るために宿主の肉体そのものを変化(=バオー武装現象というイカすネーミング)させる寄生虫」という、ぞわぞわする皮膚感覚(最終的に宿主=主人公は死ぬという非情な設定)に痺れた一作です。寄生された主人公の少年と、すこし生意気な性格の予知能力を持った少女ヒロインの逃避行は、スティーヴン・キングの小説「ファイアスターター(1980)」の影響を指摘されるところですが、乾いたユーモアや理詰めで隙のない設定など凡百の少年マンガとは一線を画した、優れたストーリーテリングをもつエンターテインメント作品だとも言えます。一種独特な擬音(オノマトペ)やセリフ回し、空間の歪みを活かしたダイナミックな作画など、著者の特徴的な演出は既に確立されており、時を見て読み返すことの多い一作となっています。

最後に

思いつくだけ5作で挙げてみましたが、実のところ明日は違う作品を選んでいると思うので自分を構成するものを探す作業は果てがない、というのが結論となります。どっとはらい。(了)

#私を構成する5つのマンガ

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