立ち止まるコト

EN TEA、GEN GEN AN幻がスタートして5年が経った。
自分の中にある最高のお茶の姿を追い求めて、開発チームと一緒に気付いたら今。

まだまだ思い返す時期では無いが、今の自分が考えている事を残していくのには良い時期である気がして、いつも通り何となくで、この”備忘録”を書く事にした。

元来、飽きやすく、しかも文章を書くことが極度に苦手な自分がどこまで続けられるか分からないが、楽しいと思える間は続けるつもりだ。

飽き性の自分が、何でお茶に対しては異常な興味と、絶える事が無いアイデアが浮かぶのか?

20代半ばまでは、漠然と受け身だった自分が伝統文化や工芸を通して、作り手や伝え手の人々と接する様になって学んだ事をようやくではあるが、お茶というキャンバスに思い出す様に一筆一筆描いている感覚を時折おぼえる。

「EN TEAやGEN GEN AN幻で開発されるお茶がどう生まれているのか?」と、よく聞かれる。
人のことだと、どうにかして素晴らしさを伝えたいという衝動と行為が自然と生まれるのに、問われてみれば「何となく」で済ませてきていた。物臭な自分に毎度嫌気が差す。

ご存知の通り、自分が畑で茶の木を育てたり、製茶をしたりする事は無い。
これは自分のポリシーなのだが、職人の作る素晴らしい品々に触れる中で、知識を深める為に体験する事はあっても素人の自分が何かを真似る事は、何だかその道のプロフェッショナルに対して申し訳無い気持ちになってしまうからだ。

実際には、お茶の取り組みを始めたきっかけである松尾俊一、後から参加してくれた野辺翔平が365日を掛けて開発を行ってくれている。

つまり品質や味わいなどは彼らの創意工夫の産物なのである。
鋭敏な嗅覚、味覚を持ち、専門的な現代技術や伝統的製法への造詣も深い、そして、自然の仕組みを体で理解している彼らとは異なり、自分がお茶に対して出来る事はほとんど無い。

なのに寝ても覚めても、お茶漬けの毎日。
何をしてるのかと言えば、”ほとんど無い”この可能性をひたすら掘り続けているのです。

お茶という存在は、まるで空気です。
あるのが当たり前。この前提をどう覆すか。

日本にお茶が伝わって煎茶が少しづつ広がり、現代のように空気の様な存在になるまで約400年。お茶は人間でいうと16-18代くらい前のお爺ちゃんがいた頃から代々、日本各地で繋いできた存在なのです。

単純な自分は、その魅力には飲み物+αの魅力が備わっていたからでは無いのか?
そんな疑問と希望を感じながら、お茶を飲んでは考え、お茶にまつわる様々な歴史的文献を読む。ここ数年は中々自由には出来ないが、少しでも時間があけば、地方の文化に触れそこで育まれたお茶の有り様に触れる事を続けている。

「なぜ、お茶は日本人を魅了してきたのか?」このテーマを掲げ
当時の人がどういう心身の状態で、どうお茶に触れていたのか。考えるだけで眠りにつく事が出来ない。

子供の時に憧れた考古学者が毎日発掘作業を続けその成果を論文にまとめる様なイメージで、自分なりにまとめた研究レポートを皆さんとどう共有出来るか?再現するか?
当たり前になってしまったお茶。ある角度からしかその魅力に触れていない事を、先人の残した足跡から多くの気付きをもらう。

こんな変な癖がある自分と、身内自慢ではあるが最高の開発チームとの日々の中で念仏の様に繰り返される”お茶談義”から、全てのEN TEAの茶葉は生まれているのです。


※何か感じたこと質問頂けたら、気まぐれでお答えします。

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