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書くモノ

noteをはじめて、「書く」という時間に向き合う感覚を、手探りで思い起こしている。
お茶を、特に自分の場合は焙じ茶を啜りながら、昔の事に思いを巡らせると、その解像度が上がるのだが、「書く」という記憶を辿ってみたら、その最初の記憶が鮮明に蘇ってきた。

小学校に入り、それまでの奔放な毎日から、皆と歩調を合わせる日々がスタートしたが、相変わらず、自分視点全開で過ごしていた。

学校までは、大人ならば15分の道のりのはずが、自分は平均1-1.5時間。まるで毎日が一人旅気分。木の実や昆虫採取、粗大ゴミの山からの宝探しなど、なりきりマインドセットには自信があった丸若少年は、テーマを探して、一心不乱に気持ちだけは冒険活劇を楽しんでいた。

他人への配慮を大切にしていた両親の元、なんでこの様な”フーテン”が育ったのか。物心付いた時からの旅好きの起点は、今でも謎である。

そんな小学一年生の夏、数ある憂鬱な宿題の中で最も困ったモノが「読書感想文」。
その存在を無かったことにしていたが、盆の時期をすぎると、足音が大きくなって迫ってくる、人生で体験した事の無い強迫観念と戦いながらも、結局は、その軍門に降るのである。

そして生まれた作文がこちら。

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そもそも読書感想文に選んだものが、図鑑という斬新な本のことはさておきで、毎日の旅の産物である「クモ」の飼育日記。その上、語り口調という見事なコンボな作品となった。

色々な場面で「なんで?」という発言によって、周りの大人や同級生を悩ませていた自分は、今に至るまで、正直否定される事が多い。だけれども、その先に何か抜けた瞬間に ”常識”や ”周り”が 、まるで煙の様に消えてなくなる瞬間がある。

そんな人生最初の記憶として、この作品は今でも自分の脳裏にはっきりと刻まれている。
親や先生、クラスメイト、選考の結果が分かった時の驚きの表情は、皆朗らかだった。

些細な出来事ではあったが、これに気を良くしてからの6年間は、読書感想文だけは欠かす事なく真面目に取り組んだ。その反動からか、極端な性格も相まって、文章を書くことを避けられるだけ避け、今の自分に至っている。そして今では、女郎蜘蛛を飼いたいという欲求も起きない毎日である。

この歳になり、noteという場を持つ事で ”書く” というモノを得た。少しづつ変化を重ねていく事で、いつか ”楽しみ” になる事を願うばかりだ。

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