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「親捨て」のススメ《親子の法則》を読んで!

「親捨て」とはちょっと過激な言い方。

でも、場合によっては親子の関係を断つのも確かにアリなのか。

自分の親のことを悪く言うようで気が引けるが、小学生時代の母は確かに「毒親」だった。

なので、この本には共感できた。

我が家の場合は最終的に「親捨て」までは至らなかったが、そうなりかけた気がする。

一歩間違えれば、間違いなく捨てていただろう。

というのも私と母は、かなり歪《いびつ》な母子関係で濃密でドロドロしたものだった。

父は昭和の仕事人間で家の事には一切無関心。

中学生の姉はいたが、優等生タイプで部活が最優先、夕飯まで家には戻らない。

私と専業主婦の母は、学校が終われば家の中で二人きり。

母子カプセルで正にマザコンそのもの。母は気性が激しく、手のかからない姉には無関心で私には過干渉だった。

男兄弟のいない母には、男の子の育て方がわからなかったのだと思う。

特に躾《しつけ》には厳しく、お仕置きと称して、毎週のようにお尻を叩かれていた。

裸でお尻を打たれるなんて、今では問題になりそうな行為だったが、当時はまだ許されていた。

小学校が終わるまでは、ずっとそうだった。

そんな母との「べったり関係」を終わらせてくれたのは祖母だった。

近所の祖母の家に行くことで、次第に母から離れることができた。

毎日学校帰りに祖母に会う。物理的に母と離れるのだ。

今思えば、これは母にも良い事だったのだと思う。

一時は「息子を祖母に取られた」と母に勘違いされた時期もあったが、結果として、母と息子の距離を離してくれたのだ。

私と母、両方の熱を冷まさせてくれた。

その後、祖母が亡くなり、私はまた母に戻った。

でも、かつての関係ではなく、母と対等に接することが出来るようになった。

おかげで、私の場合は「親捨て」はしなかったし、今は母とは良好な関係を保てている。

でももし祖母がいなかったら、母との距離を縮めることはできず、ドロドロとした関係は続き、お互いを憎む関係になっただろう。

幸い、「親捨て」は経験しなかったが、だからといって「毒親」に苦しむのは嫌だ。

場合によっては、自分を守るために「親捨て」も必要なのではないかと思う。

「親捨て」はいけないことで、親は大切にしなければならない、などとは普通の家庭の場合の話だと思う。

どうしようもない「毒親」だって、世の中にはいるのに。

それを捨てられないのは変だ。

だから「親捨て」には共感できる。

ひとつ付け加えなければならない。

「親捨て」もせず、母とは「良好な関係」になったのだが、母も私の相当変態だ。今でもドロドロしてる。

かなりエグイ話なので、ここでは言えないけれど、我が家は少し特殊なのだろう。

祖母だって遊び人でかなりの好き者で自由人だった。

果たして「毒親」に悩む人に、我が家のケースが参考になるか不安だ。

でも、こんなヤツもいるんだと思ってもらえればいい。

たとえ親であっても、自分を守るためなら「親捨て」してもいいと思う。

これが私の考えだ。

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