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短編『格闘ゲームの妖怪』

少し昔の話。

一人の男の子が友達と一緒に自転車を飛ばして知らない街へ遊びに行った。見たことのないゲームセンターがあったので入ってみると、クレーンゲームやメダルゲームが賑わう中で、ぼさぼさ髪のおじさんが倒れているのに気が付いた。

おじさんは格闘ゲームの筐体の前で、あおむけになってぐったりとしていた。目は遠くを見ている。周りの人は、なぜか彼に気が付かない。おじさんを見もせずに傍を通り過ぎていく。

「おじさん、どうしたんですか」
男の子はおじさんに話しかけた。おじさんは黒目だけを男の子のほうに向けて、
「お金がないんだ」
と言った。男の子はポケットから200円を出して、おじさんに渡した。
おじさんはそれを受け取ると急に元気になって立ち上がり、格闘ゲームの筐体に座り、もらったばかりの100円を入れてプレイし始めた。

何が起きているのかわからず男の子が呆然としていると、おじさんはビシバシとレバーを弾きボタンを叩きながら話し始めた。
「おじさんはね、格闘ゲームをやるために生まれてきたんだ。ここで戦っている間は、何も飲まず食わずでも、眠らなくたって平気なんだ。でもさっきおじさんより強い人が来て、おじさんは何回も負けてしまって、お金がなくなってしまったんだ。坊や、助けてくれてありがとうね」
おじさんが何を言っているのかあんまりよくわからない男の子は、このおじさんは格闘ゲームの妖精さんなんだろうな、と思った。

おじさんはCPU相手に連勝を重ねるにつれて、だんだん元気になっていった。さっきまで目は死んだ魚のように半開きだったのに、今は20歳のお兄さんみたいな鋭い目をしている。口元はさっきまで唇が割けて涎が垂れていたのに、今は綺麗なえくぼを見せながら爽やかに微笑んでいる。

けれど、おじさんの命は200円しかない。これが尽きたら、おじさんはきっと本当に死んでしまう。

そのとき、おじさんの向かい側に、金髪でネックレスを付けた怖いお兄さんが座った。おじさんと怖いお兄さんの対戦が始まる。

不安そうな顔をする男の子に、おじさんは言った。
「大丈夫。おじさんは強い」

30秒もしないうちに、おじさんは怖いお兄さんを倒してしまった。その後も仕事帰りのサラリーマンや太った中学生がおじさんの向かいに乱入してきたが、100円を入れるのは対戦相手のほうばかりで、おじさんは最初に入れた100円の命ひとつで、来る相手来る相手すべて倒してしまっている。

一人返り討ちにするたび、おじさんの横顔が頼もしく見えていった。

やがて閉店時間になり、他のお客はみんな帰ってしまった。店の中も暗くなり、他のゲームも電源が落ちてしまって、暗闇の中で光るのはおじさんのゲームをする姿だけになった。それを男の子と友達が二人で見ている。

「坊や、帰らないのかい?」
おじさんが言った。
「おじさんは帰らないの?」
と男の子が聞き返した。
「おじさんはね、魂がここに在るんだ。ここを離れられないんだ」
おじさんは男の子に目を合わせてそう言った。その間もレバーとボタンを弾く手は別の生き物のように動いていて、画面の中ではCPUのキャラクターが倒され続けている。

「僕も、おじさんみたいになりたい」
と男の子が言った。
「どうして?」
とおじさんは聞いた。
「どうして、って……」
男の子は返事に困った。それを見ておじさんは、
「まあ、教えてあげよう」
と男の子を自分の隣に座らせた。

おじさんは男の子にレバーとボタンを持たせて、操作方法を教えてやった。男の子は自分が操作すると画面の中のキャラクターが自由に動かせる、ということに感動して、おじさんに教えてもらいながら夜が朝になるくらいの時間ずっと夢中で遊んでいた。

やがておじさんが「今日はこれくらいにしよう」と言って、男の子と友達はゲームセンターを出た。店のドアには鍵がかかっていたはずなのに、不思議と通ることができた。おじさんは今もお店の中でゲームをプレイし続けている。

男の子は家に着いたとき、もうすっかり夜中になって家族はみんな寝ているか、もうすぐ朝になってみんな起きてくる頃だろうと思った。ところが時計を見ると時間はまだ夕方から夜になったばかりくらいだった。帰りが遅くなったので心配されたけど、その後の夕食も食べることができて、その晩はぐっすり眠った。

男の子は翌朝、学校へ行き、放課後また友達を誘ってゲームセンターに行った。おじさんはいた。画面の右上に「83WIN」と書いてある。昨日帰る前は20WINくらいだったから、今日の朝から今までに60人の人に挑まれて、それを全部返り討ちにした、ということになる。

それが120WINを超えたころ、お店が閉まって他のみんなは帰ってしまった。けれどおじさんとこのゲームだけは動いていて、男の子はまたおじさんにこのゲームのことを教えてもらった。今度は前より長い時間、日が昇ってお昼になるくらいまでやっていたんじゃないかと思ったけれど、外を出ればほんのり暗く、家に帰ってみればゲームセンターが閉まった時間からほとんど経っていなかった。

そうして男の子と友達は毎日のようにゲームセンターに通い、不思議な夜の時間におじさんにゲームを教えてもらった。

それから6年の時間が経って、男の子と友達は立派な高校生になった。二人はおじさんにゲームを教えてもらい続けたおかげで、二人とも立派なプレイヤーになった。二人もおじさんと同じように連勝を重ね、会うプレイヤーは全員倒し、お店の大会では二人が交互に優勝し、隣の街のゲームセンターまで出かけていっては強い人を探して全員倒していった。やがて二人の名前を知らないプレイヤーはいないほどになり、このゲームを知っている人からは尊敬の眼差しで見られるようになった。

おじさんは今も変わらずゲームをプレイしている。画面の右上の数字は、65535WINSと表示されていた。本当はもっとたくさん勝ってきたところが、ゲームの仕様でこれ以上数えられないらしい。

男の子は言った。
「あのときおじさんを倒した人って、誰?」
「あれは……白髪の大男だった。名前は憶えていない」
「俺が、そいつを倒しにいくよ」
男の子は高校生にもなるとさすがに一人称が「俺」になっていた。
友達も同じく、決意の顔でおじさんを見つめていた。

二人はそれから、今まで以上にいろんな大会に出るようになった。日本で一番大きい大会はもちろん、ある程度人が集まりそうな大会なら出れる限り全てに出て、そしてすべてで優勝した。そして会った人たちに、白髪の大男を見たことはないかと聞いて回った。
大会で白髪の大男に会うことはなかった。会ったという話を聞くこともなかった。

ところが大会を全部で30個くらい優勝したころ、二人の目の前に突然、身長2mはあろうかという、真っ白な髪と髭をぼさぼさに伸ばした、仙人のような男が現れた。
あまりの風貌に男の子はうろたえて、辺りをきょろきょろ見回すが、二人の他は誰にもこの大男が見えないらしく、通行人は平気で隣を素通りしていく。

「おい。お前」
大男が男の子に話しかけた。
「強いらしいな。俺と一戦、どうだ」
男の子はうろたえて、「いや、少し待ってくれ」と言った。
「いいや待たない。俺がやると言ったらやるんだ」
と大男は言った。


すると目の前がぐらりと揺れた感じがして、気が付くと男の子と友達は知らないゲームセンターで格闘ゲームの筐体の前に座っていた。向かいには大男が座っている。
あのおじさんが格闘ゲームの妖精なら、この大男は格闘ゲームの妖怪だな、と思った。

男の子はこの現状に戸惑いながらも、ようやくおじさんの仇を見つけたことで闘争心が湧いてきて、必ず勝ってやろう、と思った。
友達も、万が一この男の子が負けるようなことがあれば自分が代わりに倒してやろう、と思った。

彼らは戦って、大男が勝った。それも、何回やっても勝った。おじさんがゲームセンターで一般人相手に何連勝もするみたいに、男の子と友人が大会で他のプレイヤーに絶対に負けないように、大男は男の子と友人を何度も何度も倒した。勝負になるどころか、男の子は一度もダメージを与えることができない。

とうとう二人の持っている百円玉が最後になり、その試合が負ける寸前で、男の子はあることに気づいた。

「わかったぞ、こいつ『バグ』を使っている!」

最後の試合に負けた二人は気を失い、目が覚めるとおじさんのいるゲームセンターで仰向けに倒れていた。
「だめだったのかい」
とおじさんが言った。
友達は目を伏せながらうなづいた。
男の子は顔を上げて、「今日のところはね」と言った。

それから男の子は大会に出るのをやめて、一人でCPU相手に練習を始めた。ただ勝つための練習じゃなくて、あの大男の戦い方を思い出していた。

実はこのゲームにはバグがあった。格闘ゲームは基本的にはジャンケンのようになっていて、どんな戦い方にも弱点がある。どんな攻撃も防ぐ方法があって、どんな防ぎ方にも穴がある。ところが、大男の繰り出す技は、「防ぐ方法がない攻撃」だった。男の子がどんな防ぎ方をしても、もしくはどんな攻撃をしていても、なんであろうと関係なく命中する、という必殺の攻撃があったのだ。元々ゲームにはそんな攻撃はない。大男は微妙なレバーとボタンの操作からゲームの仕組みの隙間を突いて、いわばゲームを騙すようにして、本来存在しない「必殺の攻撃」を出していたのだ。

男の子は最後の試合でそれに気づいた。大男に勝つには、自分もそれを使うしかないと思った。
男の子は長い時間をかけて、CPUを相手にそれを練習した。寝食も忘れて、日が暮れても、夜が明けても、その「バグ技」を練習した。最初はできなかったのが、あるとき一回だけ成功して、その後少しずつ出せる回数が増えていった。

練習を初めて二年か三年が経ったころ、男の子は完全に「バグ技」を習得した。しばらくぶりに筐体の前を離れて街を歩きながら、あの大男ともう一度戦おう、と思った。
大男を倒すことだけを考えて、あれから今までを過ごしてきた。気づけば友達は傍を離れてしまって、今どうしているのかもわからない。おじさんとは長い間会えていないがどうしているだろう。

すると、目の前に白髪の大男が現れた。
「またやる気になったか。何回でも倒してやろう」
男の子は何も言わず、目を瞑った。

目を開けると、あのときと同じ筐体の前に座っている。男の子は100円を投入し、レバーとボタンに手を置いた。向かいの大男の様子はよく見えないが、気にする必要もない。

試合が始まった。二人とももう普通には戦わない。このゲームの穴である「バグ技」を決ることだけを考えている。

決着はすぐについた。同じ技をかけているはずなのに、勝ったのは男の子のほうだった。

大男は100円を投入し、次の試合が始まる。けれど何度やっても男の子が勝った。同じことをしているはずなのに、わずかなレバー入力の早さ、わずかなタイミングの精度によって、男の子は大男の上を行っていた。

10連勝、20連勝と勝ちを重ねるごとに、大男の戦い方は弱弱しくなっていった。最後にはバグ技を使おうという素振りも見せないで、キャラクターは前後にふらふらと歩いただけで、本当にあっけなく負けてしまった。

男の子が筐体の向こうを覗くと、大男はいなかった。ただ白い毛があたりに散らばっているのと、青い霧のようなものが筐体の前に漂っているのが見えた。それも時間が経つと空気に混ざって薄まっていき、白い抜け毛は隙間風に吹き飛ばされて、とうとう大男がいた痕跡はどこにもなくなってしまった。

男の子は、「勝った」と思った。やっと、この大男に勝てた。もう誰も自分に勝てる人はいない。

男の子は筐体の前から離れ、どうやって来たかもわからないゲームセンターから出て、街を歩きだした。

街には誰もいなかった。お店は空いているが店員さんがいない。どこにも、誰もいない。世界に独りぼっちになってしまったようである。

そういえば前に大男と戦ったときは、負けた後に来た時と同じように飛ばされたけど、今回はそれがない。

男の子はあてもなく歩き続けた。けれど寂しくない。自分は一番強い、という気持ちが男の子を満たしていて、誰もいない街を胸を張って歩いていた。もし万が一、この世界で自分にゲームで挑んでくる奴がいても、そのときは例のバグ技を使えばいい。相手に何もさせずに、絶対に勝つことができる。

けれども誰もいないまま、五年が経ち、十年が経ち、もう何年かわからなくなっても、男の子は誰もいない街を歩き続けていた。歩いても歩いても、知っている道に辿りつかない。誰にも出会わない。段々、奇妙な気持ちになってきた。けれども内心は満足している。なぜなら男の子はこの世で一番強いプレイヤーだからである。

やがて長い年月が経って、男の子の髪に白髪が混じって、顔に深い皺が刻まれ、もう男の子とは言えなくなったころ、彼の前に同じ年齢くらいの男が現れた。

その男は言った。
「おい、お前……探したぞ」
彼は何を言われているのかわからなかったが、目の前の男がとてつもなく強いプレイヤーだということに気が付いた。
「探していたのは、俺のほうかもしれないな」

そう言うや否や、二人はまた例の筐体の前に座っていた。昔は隣り合って座っていたのが、今は向かい合ってである。かつては笑顔で教え合った仲が、今や皺だらけの顔で固く口を結んで、じっとレバーを握っている。

試合が始まり、一瞬で決着した。片方はバグ技を使い、片方はバグ技の使い方を知らなかった。
その後何戦かした後、負けたほうの男が床に倒れた。勝った男は、ただ「また、勝った」とだけ思い、席を立ってみるとさっきの男はもういなかった。

勝った男はゲームセンターを出て考える。あれは誰だったのだろう。何か引っかかるような、しかし全く思い出せない。自分は何のためにこのゲームをやっていたのであろうか。どこで覚えて、どうやって強くなったんだろうか。何も思い出せない。しかし今一番強くなったのは間違いない。誰にも負けることはない。それでいいのだ。

誰もいない街で、ふと空を見上げると、白い雲が浮かんでいた。あの雲はどこで生まれたのか、どこへ消えていくのか。

自分は誰にも負けない。一度も負けた覚えはないし、これからも負けるはずがない。しかしもし負けることがあれば、自分もあの雲のように霧となって空に消えていくんじゃないか、と思った。それがいつのことかはわからないが、もしそんなときが来れば、案外内心ほっとするものなのかもな、と思った。

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