大阪府「表現ガイドライン」に思うこと

大阪府民なので苦情送ったろかなと思って書いたけど、思いとどまった煽り文書の下書きです。
下書きなので内容の正確性や表現の重複、冗長さについては整理前です
送ってないよ流石に。でもマイルドな表現でどないなんよ?は問いたいよね


「男女共同参画社会の実現をめざす表現ガイドライン」に記載されている内容について申し上げたいことがありご連絡させていただきます。
PDF文書8枚目(P6)「2 考えてみよう その表現(5)興味を引くためだけに、女性を使っていませんか」のページに書かれている内容は論拠や正確性に欠けた不正確な表現ではないでしょうか?


そもそも「(5)興味を引くためだけに、女性を使っていませんか」という見出しですが、広報などに老若男女や写真・イラストを問わずキャラクターを掲載するのは「興味を引くため」ではないのでしょうか?
呼びかけの想定対象となる市民がより好感度を持つ、興味を引くためにテキストだけではなく写真やイラストが用いられるわけで、それは男性や老人、外国人、子供、犬、猫、無機物、ゆるキャラなどを問わず、キャラクターとして図像を用いる時点で「興味を引くため」であることは明らかです。
ゆえに「興味を引くためだけに、女性を使っていませんか」という文言は「女性」を何に置き換えても成り立つ無意味な見出しであり、ここにことさら「女性」をあてはめ「女性だけが採用に気をつけなくてはならないデリケートな対象である」とすることはアンコンシャス・バイアスではないでしょうか?


また、「女性を描く時は(若さや性的側面など)のみを切り離さずに、人格を持った多様な姿で描く」と書かれていますが、それは誰が判断するのでしょうか?
これまで日本で炎上案件とされされてきた多くのキャンペーンキャラクターは一様に「人格を持たない記号的な姿」だったのでしょうか?
「人格を持った多様な姿」「人格を持たない記号的な姿」とは具体的にどのような記述で、それを明確に区別する物差しは存在するのでしょうか?


近いところでは日本赤十字社がアニメ化もされたコミック『宇崎ちゃんは遊びたい!』の登場人物である宇崎ちゃんをキャンペーンキャラクターとして宇崎ちゃんが献血に行くという題材のポスターを作成したところ、キャラクターのバストサイズが大きい、描かれた表情が扇情的であるなどを主な理由として炎上しています。
宇崎ちゃんは「何の設定もなく大きなバストで描かれた女性の絵」ではなく、ストーリーコミックのタイトルロールヒロインとして人格を持って描かれる女性キャラクターです。
美少女アニメなどで典型的に創造されることが多いと思われる長髪やツインテールではなくショートカット、大人しく従順な性格ではなく気になる後輩にウザ絡みする性格の女性として描かれており、主人公である相手役より年上の20才の女子大生という、典型的とは言い難い多様性を持った魅力的なキャラクターです。
原作コミックはラブコメディというジャンルのため、恋愛対象である主人公と共にヒロインである宇崎ちゃんが献血ルームを訪れる際、デート同然の設定のため多少魅惑的な表情をするのは常識の範囲内の表現であるとも考えられます。
そもそも、献血の促進ポスターとしてコミックのキャラクターを採用するのは、コミックの主たる読者層は献血できる年代であるにも関わらず献血をあまりしていない層であるため、より身近な存在として献血ルームの存在をアピールするための採用であると思われます。
『献血ルームとは病院や役場のようにフォーマルな格好をした人間だけが必要に駆られて訪れる場所ではなく、若い男女がデート感覚で訪れて献血をしても構わないのだ』ということをアピールするために採用されたキャラクターが、銀行ATMの女性行員キャラクターのような無表情、営業用アルカイックスマイルをしていたとしてそれは新規の献血対象者を勧誘するアピールとして適切でしょうか?
また、赤十字社が宇崎ちゃんをキャンペーンキャラクターとして採用したのは全国津々浦々ではなくアニメの街として知られている秋葉原の献血ルームです。その街を多く訪れる人に親しみやすく、ポスター一枚では描ききれないキャラクターの人格を理解できる層に向けた正しいアピールであったと私は考えますが、そのポスターからキャラクターを「人格を持たない記号的な姿」であると誤った断定をした人間によって炎上させられました。


また、南駿農業協同組合が人気ゲーム「ラブライブ!サンシャイン!!」とコラボして、「西浦みかん寿太郎」の箱イラストにゲームキャラクターである「高海千歌」のイラストを採用したところ、「こんな萌え絵がついたくらいで普段買わないみかんを箱買いする人間なんかいない」「キャンペーンイラストのキャラクターのポーズが性的である」というようなSNS発信の炎上騒ぎになりました。
実際のところはこの炎上騒ぎが始まった時点ではコラボパッケージのみかんはすでに売り切れ状態で、コラボの売り上げは大変好評なものだったそうです。
南駿農業協同組合は静岡県沼津市の農協です。ラブライブ!というゲーム作品は静岡県沼津市を物語の舞台としており、コラボのキャラクターに選ばれた高海千歌も同市の出身キャラであるという設定です。
静岡県沼津市の特産品であるみかんをキャンペーンするキャラクターとして、全国にファンのいるゲームのご当地出身設定キャラクターを使うことは、非常に優れた戦略ではないでしょうか。
勿論、高海千歌はゲームストーリー中に人格を持ったキャラクターとしてきめ細かな設定がなされており、その個性は一面的ではなく多様な個性をもった大勢のキャラクターの中でもはっきりと差別化されたものです。
それでも、難癖と言って差し支えないであろう極少数の人間の無理解かつ無責任な発言をきっかけに炎上騒ぎが起こりました。


直近で有名な2つの事案を例示いたしましたが、これらのキャラクターは「人格を持った多様な姿で」描かれていなかったのでしょうか?
バックボーンとして個性や来歴を設定されておりキャンペーン登用以前に数年にわたる作品実績が別にあれば人格が表現されるというのは誤りであると上記の炎上例が示しています。

宇崎ちゃんは「普段献血に縁のない漫画好きの若い男女にもデート感覚で気軽に献血に訪れて欲しい」という意図で、高海千歌は「沼津市在住のアイドルキャラクターとして全国にファンを持つ千歌に地元の名産品であるブランドみかんを広報して欲しい」という、このPDFで書かれている通りの「伝えたい内容」に沿って正しく検討されて起用されたキャラクターでした。


そもそも、ストーリーを持つ作品ではなく、ポスターに描かれたイラストや広報用に作成したキャラクターにどのように「人格」を持たせるのでしょうか?それは現実問題として可能なことですか?

PDF中の炎上のカラムに「女性を通じて性的なメッセージを発していると感じられるものや体の線や胸などが強調された描写(いわゆる「萌えキャラ」)、または過度な露出などで性的な印象が感じられるものです」という文言がありますが、それはどこからどこまでがOKでどこからがアウトであると判断する公的機関や統一された判断基準が存在するのですか?
そういった指標がないまま「私はアウトだと判定した」という一個人や団体からの苦情で容易に炎上させることができる状態が続いているのが現状です。
そういった自分は善を行なっていると思い込んで他者の表現を侵害するクレーマーの一意見を基準に性的(とされうる身体的特徴や衣装描写)表現を規制することは、検閲ではないのでしょうか?

たとえば過度なミニスカートはNGと言われても、過度なミニスカートとは具体的に床から何センチを指しますか?膝上何センチ基準でしょうか、ウエストから何センチですか?「過度」と規定するのは誰ですか?
「膝上スカートは須くけしからん、膝丈より長くなくては認めない」と主張する人が現れたらそれを受け入れるのですか?拒絶する根拠はなんですか?

男女共同参画社会が目指すのは、学校制服を指定通りのスカート丈で着こなしして全員同じ指定通りのおかっぱ頭やおさげ髪にして個性というものを捨てた子供以外は不適切とされるような昭和校則体罰地獄的な社会なのでしょうか?


ニーソックスは性的だからダメと言われても、ニーソックスという衣装は普通に一般衣料品店で売られているファッションです。何がいけないのですか?
ホットパンツも一般衣料品店で買うことのできるファッションです。何がいけないのですか?
タンクトップもキャミソールもちろん一般衣料品店で買うことのできるファッションです。何か法律に触れるのでしょうか?
それを可愛いファッションとして着こなしている女性は街に大勢存在しますが、彼女達は性的で不適切な存在ですか?
「府や市の広報には相応しくない」のボーダーラインを決めるのは誰ですか?はっきりとした根拠がないまま曖昧な線引きは「絶対安全である」という余裕を持たせるための自粛合戦となり、最終的には「全身を黒い布で覆って目だけを出した女性以外は性的で不適切である」まで到達し得ることを歴史が示していますが、それが大阪府の目指すものですか?

また逆に、露出を極度に絞った和服姿などはエロティックではあり得ないのでしょうか?
そうやって女性の体そのものをいやらしく不適切な存在であるとして描くことを禁じることは、過激なイスラム信仰で女性が体をすっぽり覆い隠すようなブルカを着なくてはならないとされることとどう違うのですか?
大阪府は男尊女卑思想の著しいとされるタリバーンと同じ思想なのでしょうか。

この項目は私の個人情報を含んでいるため1パラグラフまるごと削除させていただきました。

当該PDFに書かれている「女性キャラクターを性的魅力のある存在として描くことまかりならぬ」という思想は、私のような存在そのものを「存在してはいけない下品で淫らな生き物である」と断じることと同じではないかと感じます
女性が女性らしい魅力を持つことは不適切なのですか?
生身の女性をキャンペーンキャラクターとしたり広告写真モデルとして起用して全く同様の理論で炎上した例も枚挙にいとまがないので、実在女性ならがよくてキャラクターならばダメというわけではなく、すでに実在女性の場合にも全く同じ理論が当て嵌められていることは明らかです。
実在する巨乳と言われる女性や泣きぼくろなどのエロティックに見える特徴を持った女性を侮辱し尊厳を踏み躙る意図で記載された文書なのでしょうか?

そもそもが、「性的」とは何を指しているのでしょうか。そこに明確な規定はありますか?
「見た人が性的と感じるから性的なのだ」というトートロジー以外の納得のいく「性的」という判定に対する論評を見たことがありません。
人間が生殖をする生物である以上は「異性や同性を魅力的に感じる」時、そこに性的な魅力が含まれるのは自然であり当然ではないでしょうか?「性的なものと完全に切り離された魅力」をキャラクターイラスト1枚から(絵の技巧が上手い以外で)感じ取ることは可能なのでしょうか?
好ましいと感じることと性的魅力は完全に切り離すことが可能ですか?
可愛いと思うこと、素敵だと思うこと、美人だと思うこと、かっこいいと思うこと、それらは性的な魅力と100パーセント無関係ですか?
それらを全て完全に排除したキャラクターはアイキャッチャー足る魅力を持ち得るでしょうか?あるいは、そのようなキャラクターを造形することが物理的に可能でしょうか?


たとえば胸が大きいのがいけないなら実在の胸の大きい女性は整形手術で胸を小さくしなくてはいけない存在ですか?
胸の大きい女性は男女共同参画社会の妨げになる不適切な存在なのでしょうか?
性的なので胸を大きく描いてはいけない、逆に見た目の年齢に比べて著しく胸を小さく描く表現も侮辱的なのでいけない……となると、描くことが許されるバストサイズは「無個性で画一的な」平均的サイズのみということになります。
唇が肉厚で肉感的であるとか、泣きぼくろがあるとか、安産型であるとか、性的な魅力を記号的に表現するとされる身体的特徴は様々ありますが、それらは全て実在の人物も持ち得る特徴です。
それらを記号的で性的なので表現してはいけないとすることは、そういった身体特徴を持って生まれた人間への差別であり、個性の否定ではありませんか?
そこに、さまざまな容姿で描くべきだと多様性を称揚する文書の内容と整合性はありますか?


このページに通底する「萌えキャラはアイキャッチャーとして不適切である」「今風のイラストタッチで描かれたキャラクターは無個性である」「若い身体的魅力を表現することは不適切である」という、萌えキャラフォビア、女性的魅力フォビアとも言える考え方そのものが、ページ最下段で書かれている「アンコンシャス・バイアス」であり、ページの内容自体が根拠のない偏見で若いクリエイターや一般的な現代の若者感覚を貶める極めて不適切な内容と言えるのではないでしょうか?

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