人生はそりゃもうなが~い夏休みです。【贈る言葉】

みんな大好き諭吉さんの「人の上に人を造らず~」の言葉は的を得ているなぁと思う今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?

どうも、日刊【書くメシU30's】マガジン金曜担当のマルタです。

今回は「贈る言葉」というテーマなんですが、「自分が何を思い、何を感じているか」とか綴ってみようと思います。


まぁ僕が何を思っているか、なんて需要はないのかもしれませんが汗、ただ「人生の少し先を行く先輩として・・・」みたいな雰囲気でアドバイスしたり、説教臭いことを言うのは実は嫌いなんですよねw

それは僕のスタンスではないかなと。

まぁ、過去の投稿では普通に説教臭いことやっちゃってますけどもw


結局「自分」を生きるのは一度きりなので、そういう意味では人生は誰もが初心者であり、上下はないと思ってます。

同じ人間ですからね^^


福沢諭吉さんの言葉で、

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

とありますが、的を得た言葉だなと感じます。

※冒頭の伏線を回収!

大学は人生の夏休みではない

きっかけは僕が大学生だった頃です。

先輩風をふかした就活生がこんな事を言ってきたんですよね。

「いいかお前ら!大学はな、人生の夏休みなんだ!今のうちに思いっきり楽しんでおけよ!」

って。

僕の周りの友人はみんな「はい!楽しみます!」みたいなこと言ってたんですが、僕は「は??バカなの!?んなわけねーじゃん!」って心の中で反発してました笑

せいぜい20年かそこらの人生の「じ」の字も知らないやつがなに人生語ってんだと。


「てめぇらが大学が人生の夏休みだというなら、俺は大学のこの時期をフルに活用して、今後の人生すべてを夏休みにしてやる!」って燃えてました。


そして時は流れ今(今現在であれから6年経過)。

「大学は人生の夏休みではない。工夫1つで人生すべて夏休みにできるんだ」という思いを少しは証明できた気がします。

人生はなが~い夏休み

なんだと、今現段階では思っています。

だって、何やっても良いわけですからね。

遊ぶ時間もあるし、任意で興味があることに対して自由研究をすることもアリなのですよ。

ただ、宿題もありますけどね。汗


気をつけて欲しいのは学生の頃は宿題は先生から出されて、それをこなしていましたが、

社会に出れば宿題は自分で作り、自分で解決するという生活になります。

んー、なかなかドMな世界ですな笑


ただですね、やり方次第では宿題も楽しいものにすることはできるんですよね^^

それが人生の夏休みの良いところじゃないかなと思ったりします。

自由に遊びまくれる

また、社会人なれば自由に遊べます。


お金をいくらでも稼げる環境に身をおけるので、ディズニーランドでもハワイでも、お酒に溺れることだってできちゃいます。


1日のライフスタイルも自由で、

例えば宿題が終わらせて遊んでもいいし、宿題を後回しにして遊んでもいいわけです。


ただ、宿題を後回しにしたツケは学生時代とは比べ物にならないのと、ツケはどのタイミングでやってくるかもわからないので注意が必要ですけどね笑

いきなり人生抜き打ちテストみたいな感じでしょうか。


興味があれば、自由研究で調べるのもアリですね。

将棋が面白いと思えば将棋に打ち込んだり、ギターを弾きたいならギター教室に通って、その分野を突き詰めてみるのも面白いと思います。

人生を夏休みにしたコツって?

ここまで言うと、もしかしたら「どうすれば人生を夏休みにできるの?」って思われるかもしれませんね。


僕が自分の人生を夏休みにできたコツは何か?

これはあくまで僕なりのやり方ですが、「自分の心の声に従う」事を大事にしています。


僕は学生の頃からどうしても「良い就職先を探すために大学に来る」という考え方に賛同できなかったんです。

周りの友人はみんな「そんなもんだよ」って割り切ってましたが、僕には到底できませんでした。

無理やり納得することもできたのかもしれませんでしたが、僕はそれをやらなかった。

でも結果的に「自分の中の違和感」と徹底的に向き合ってきたのは正解だった気がするんですよね今のところ。


だから、自分の心の声は大切にすべきなんだと今も思っています。

人生のすべてを再定義する

というか、これはそもそも論になっちゃいますけど、「すべてを再定義すること」。

これは僕自身が学生の頃にやっていて、うまくいった事例だと思っています。


例えば、

「人生」とは何か?

「働く」とは何か?

「生きる」とは何か?

「好き」とは何か?

ここで言うと、「夏休み」とは何か?

とかそんな哲学チックな事を考えるんですよね。


もっというと、なぜなぜなぜ、みたいなことを繰り返すとより効果的かなと。

これを繰り返すと人生がより夏休み感を増して楽しくなってきます。

生きるとは何か?

これは僕が学生の頃に自問自答していた内容の一例です。

「生きることって何か?」→「長生きすること」

→「長生きするとどうなるか?」→「寿命が尽きて死ぬ」→「じゃあ生きることは死ぬこと?」→「おお!確かに!(生=死という矛盾を発見!)」

「生きること=死ぬことで満足できる?」→「いやできない!」

「じゃあ生きるって何?」→「待って!生きるって他にも考え方はあるんじゃないか?」→「例えば、しんどそうに働いている人って何なの?」→「精神的に死んでると言えるかも?」

→「生きることにはどうやら物理的に生きることと、精神的に生きることがあるのかな?」

→「物理的に生きることと精神的に生きることは何が違うんだろう?」

→「スティーブ・ジョブズは死んだのに、どうして意思は受け継がれるんだろうか?」

→「肉体的な死が物理的な死だとするならば、意思が受け継がれたり、誰かの記憶に残ることは、精神的にはまだ生きているということなのかもしれない」

→「つまり、生きるとは心臓が動けばいいわけではなく、情熱をもつこと。そして人の記憶に残るには、行動することなのかな?」

→「改めて、生きることとは?」→「情熱を持って行動すること」

みたいに再定義しました。

親孝行とは何か?

これは余談なんですけど、

僕は大学を辞めたんですけど、その時に周りの人からこう言われました。

「お前親不孝者だな」と。


その時、思ったのです。

「親孝行とはなんだろうか?」

ここで僕の哲学スイッチが入ります笑


「親孝行とはなんだろうか?」→「親に喜んでもらうこと」

→「何をすれば親は喜ぶ?」→「親の言うことに従うこと?」

→「じゃあどうして親は大学に入り、良い就職先に勤めることを求めてくるのか?」

→「僕が幸せになってほしいから?」

→「じゃあお前の幸せはなんだ?」→「残念ながら、親の求めてくる就職とか、そこにはない気がする。自分のやりたい事があるから、それをやるのが幸せだと思う」

→「じゃあそれをやるべきなんじゃないか?」→「でも、そんな事したら親は悲しむ」

→「じゃあ仮に自分のやりたい事を断念して、親の言うことに従うことと、自分のやりたい事を貫き通して、親の要求を無視したらそれぞれどうなる?」

→「やりたいを断念したら、自分は苦しいけど親は喜ぶ。やりたい事を貫き通したら、親は悲しむけど自分は幸せになる」

→「それぞれの5年10年先を考えたらどうなる?」

→「やりたい事を諦めた10年先は、きっと生きる希望が持てないかもしれない。やりたい事をやった10年先は、自分は幸せだと思う」

→「じゃあ、10年先の自分の姿を見た親は何を思うだろうか?」

→「希望を見失った僕の姿を見た親は心配する。育て方を間違えたかもしれないと思うかもしれない。

やりたことをやっている姿をみたら、結果はどうあれ、元気でやってるならいいやって思ってくれるかもしれない」

→「自分は親にどんな姿を見せたい?」

→「生き生きしている姿を見せたい。学歴や就職先などステータスが輝かしい自分ではなく、自分の情熱や意思に従った自分自身を見せたい」

→「ならばいまやるべきことをやるのは何か?」

→「自分のやりたい事」

→「親孝行とは何か?」→「自分の生き生きした姿を見せること」

→「なるほど、じゃあもっと深く突き詰めると、どうして今は自分はやりたい事をやろうとしているのに、親不孝につながるのか?」

→「短期的に見れば今の状況は親不孝になりえる。でも長期的に見れば親孝行につながる」

→「じゃあ改めて、親孝行とは何か?」→「長期的な視点で自分の生き生きした姿を見せ続けること」

みたいな感じで、考えてましたね。

長くなりましたが、自分の疑問を突き詰めて再定義してみると、人生の主導権が自分にやってきます。

めっちゃ脱線したw

まとめ

めーーーっちゃ脱線して長くなりましたが、まとめると「人生は夏休み」ってことを言いたかったです笑

おわり。

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