【タロット記2】松岡修造にはなれない
■タロット記■
これはタロットカードと、自分の体験と、そこから気づいたことの記録です
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「2.女司祭」から考える
昔から自分の性質というものはわかってはいるつもりでした
理性よりも感情で動くタイプ
自分の感情が自分そのものだと思っている人間でした
だから、自分の気持ちが「ノる」か「ノらない」かが基準だし
逆に、その自分の気持ちに振り回されることも多かったです
でも、自分の感情に素直に従うだけなら
それこそジャイアンにだってなれるのに
そこに加えて「人の顔色を伺う」「空気を読む」という
いわゆる繊細センサーが激しく感知するので
それに反応した感情が
私を支配して動かしていました
適応障害によって強制ストップさせられた私は
これまでの無自覚の反応パターンのせいでそうなったことに気づいて
これからは、全体を俯瞰して
多角的に物事を見れる人になりたいと思うようになりました
ということで
とても身近にそれをしている人がいたので聞いてみました
私
「どうしたら、成田さんみたいに俯瞰して物事見れるようになると思う?」
パートナー
「それって、おれがどう頑張っても松岡修造になれないのと同じよ?」
私
「………たしかに!!!」
かなりの衝撃を受けました
そして、失礼なくらい大きくうなずきました(絶対無理なので)(笑)
遠回しに(いや、ハッキリ?)
私は成田さんにはなれないし、俯瞰して物事を見るタイプではないと言われたも同然なんですが…
でもこの時
すごく私は腑に落ちたんです
人にはそれぞれ
性質・気質というのがあって
風の人間が火になれないように
水の人間も風にはなれない
深い地下水の中で熟成していくことを望む私が
彼方上空で地上の獲物を一瞬で見つけるトンビのような眼は持てないはずです
ようするに
「これが自分」
「これが私らしさ」
だし、それは変えられない
「成田悠輔」にも「松岡修造」にも私はなれない
そしてそれは当然なんです
だって私は、「私らしくでしかいられない」から
ということで、俯瞰的視点は、「技術」として習得することを今後の目標にするとして
自分の無自覚パターンから抜けだす方法は、自分の感情を離れたところから見るやり方でなく、逆に近づいて入り込んで入り込んで、自分の本音を抽出していくやり方の方が向いているということが分かりました
外部に向けた繊細センサーを重視して、自分の本心を隠してしまったことが適応障害になった原因の一つだと私は思っています
なので、自分の性質、自分に合った物の見方や判断方法で、物事を捉え直していくことで、今後のメンタルダウンの再発予防にしたいと思います
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