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【エンタメ】不買運動とカードゲーム

成田悠輔氏が出演しているCMが一瞬で取り下げになったらしい。
原因は「不買運動」。
過去の発言「高齢者は集団自決すればいい」が仇となったようだ。

ちなみに、私は成田氏に好感を持っている。
(当該CMのキリン氷結無糖シリーズも大好きだ。)
彼の言葉選びは、とてもクリエイティブだと思う。
そこに刺激性を足すために、意図的に冷たい言葉を使っていると思う。

知的な人は、ブラックジョークが上手い。
彼の言葉は、それがさらに一回り上の次元で整ったエンタメだと思っている。

私は、問題の発言は比喩表現であり、言葉通りに受け取っている人は少数派なのではないかと推測している。
(もしくは、前後を切り取った発言が流布したか)

エンタメ話に入る前に一言。
今回のような「感情論の不買運動」は、誰も得しない。
一部の競合他社が喜ぶだけだ。
日本全体として、良いことは何もない。
だから、止めよう。

※ 以下、エンタメである

さて、この件を聞いて思い出したものがある。
それは「賭博黙示録カイジ」という映画だ。
(漫画は見たことがない)
正確に言うと、そのカイジの中に登場する「カードゲーム」のことだ。

このカードゲーム(Eカードと言うらしい)のルールの中に以下のものがある。

・「皇帝」は「市民」 に勝つ
・「市民」は「奴隷」に勝つ
・「奴隷」は「皇帝」に勝つ

このルールが「不買運動」を彷彿させたのだ。

奴隷がなぜ皇帝に勝つというルールにしたのか?
おそらく、奴隷には失うものがないから、皇帝に突きかかる。
そういったことの比喩だと思う。

これを不買運動に変換して「比喩妄想」をしてみよう。

A.「皇帝」は「大手コンシューマ向け事業社」
B.「市民」は「Aの事業の関係者」
C.「奴隷」は「一般消費者(コンシューマ)」

当然「不買運動」をしているのはCだ。

AはCを恐れる。
BはAを恐れる。
Cも普段はどこかの会社に所属しており、そこでは不買運動などできないだろう。
特に、名の知れた会社に勤めるCは、実名で何かを批判すると勤務先からストップを命令される可能性が極めて高い。
(ネット上で匿名という点は考慮に入れていない)

その前提で、経済社会全体に解釈を広げて、汎用的な「比喩妄想」をしてみる。

X.大手企業
Y.中小企業
Z.中小企業の労働者

随分、経済社会の実態に近づいたのではないかと思う。

Xは、Zの不買運動を恐れる。
Yは、Xからの圧力を恐れる。
Zは、(Xを恐れる)Yからの圧力を恐れる。

例えば、トヨタ社レベルだとグループ全体で従業員は36万人以上。
下請として関係する会社を含めると130万人以上。
さらに家族まで含めると、軽く200万人は超えるはずだ。
その人たちは、トヨタの不買運動をしない。

さらに、間接的にトヨタ社の製品に関わっている会社は多岐に渡り、
実名で不買運動をできる人は、かなり少ないと推測される。
極めて規模の小さい会社の労働者に限られるだろう。

話をさらにどうでもいい方向へ進めよう。

――― このカードゲームから抜け出す方法を考えてみる。

まず、大手企業にいる限り、不買運動の恐怖から避けることは難しい。
特に最近は、簡単に不買運動ができるインフラが整っている。
大手食料品版売業でも、大手広告代理店でも、巨大な売上を上げる大手は、巨大なコンシューマ市場を相手にせざるを得ない。

次に中小企業を考察する。
これも、大手企業との付き合いがある限り、そこからの圧力は必ずある。
私の体感的には、大手ほど、理不尽な圧力が強い。
しかし、大手企業からの仕事で成り立つ中小企業も多く、そんな企業はそこから脱却するのは難しい。

最後に中小企業の労働者を考察する。
中小企業は、大手企業を恐れる。
特に業種が近ければ近いほど、どこかで企業と企業が繋がっている可能性がある。
もし、自社の従業員が「不買運動」に相当することを実名でしていれば、それを止めさせる会社が殆どだと思う。
つまり、会社の看板を背負ったままでは、弱点が残るという理屈になる。

以上を考察して、経済社会において限りなく「無敵」に近い存在を考察してみる。

1.経営者である
2.従業員がいない
3.企業間取引である
4.特定の取引先に依存していない

こう考えると「フリーランス」という働き方が「無敵」に近いところに収まる。
本当に実力あるフリーランスは「無敵」なのかもしれない。


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