あなたはこうやって結婚生活に失敗する(17)の1

結婚26年

結婚して四半世紀、あなたは家族のために身を粉にして働き続けてきました。娘さんを4年制の大学に通わせ奥さんにも専業主婦としての楽しさを存分に味合わせてきたつもりです。あなたは家族を守るのが使命というか義務とまで考える真面目で実直な性格でした。そんなあなたですので職場でも周りに気を使い敵を作らないタイプの社員で通してきました。出世競争では勝ち組とまでは言えませんが、負け組に入るほど劣っていたわけでもありません。まぁ、中の上か上の下あたりでしょうか。ですので役職は課長まで上りつめていました。

既に会社に勤めて30年が過ぎようとしていました。あと数年すると定年退職です。あなたはサラリーマン生活を全うさせるべく一生懸命働いていました。過去にはいろんな苦しい出来事に遭遇したことももちろんあります。例えば、仕事場にパソコンが導入されたときも同期の中には対応できずに閑職に追いやられた人もいました。しかし、あなたは家に帰ってから夜中にひとりで参考書と格闘しました。そして必死に若い人に食らいついていき、落ちこぼれることなく今に至っています。

あなたが勤める会社は世間的に有名ではありません。しかし、業界ではそこそこの知名度があり優良会社とまでは言えませんが、良会社とは言える会社です。あなたは一生この会社で会社員人生を全うしようと考えていました。

ところが、ある日突然、あなたの会社が倒産してしまいました。あなたにとっては青天の霹靂です。先月までそんな気配は全くなかったからです。給料の遅配などありませんでしたし、ボーナスも金額は少なくなっていましたが支給されていました。業界のほかの会社の中にはボーナスがゼロのところもありましたから「恵まれているほうだ」とさえ思っていました。そんなあなたの会社が倒産したのです。

会社で倒産を告げられたとき、真っ先に頭に浮かんだのは家族のことでした。これからの生活をどうやって維持させていこうかと考えたのです。なにしろ給料が入ってこなくなるのですから…。

会社では若い組合員が会社の幹部を吊るし上げ倒産の撤回を迫る算段をしていました。しかし、あなたは自分の年令から考えてその輪に加わるつもりはありませんでした。あなたは曲がりなりにも中間管理職として数年を過ごしていたのですからビジネスの厳しさもわかっています。業界の厳しさもわかっています。倒産も「仕方ない」と割り切っていました。

それでも家族を養う必要性は痛感していました。しかし、年齢的に再雇用の道が難しい、というより今までと同じ待遇を望むのは不可能とわかっていました。あなたは考えます。奥さんたちに報告するべきか否か…。

とりあえず、あなたはしばらくは黙っていることにしました。奥さんたちに不安感を与えたくなかったからです。問題は、お給料です。あなたはいつか週刊誌に載っていた記事を思い出します。

週刊誌には、リストラされたことを知られたくない夫が自分の貯金を毎月取り崩しお給料として妻に渡していた記事、が紹介されていました。あなたはその記事をそのまま真似よう、と思いました。しかし、あなたにはそれと同じことができません。なぜなら、あなたは自分の自由になる貯金がなかったからです。もちろん貯金通帳もカードも持っていません。あなたは結婚以来、会社から振り込まれるお給料の口座を奥さんに管理されており、あなたは奥さんからお小遣いとして毎月4万円貰っていたのでした。仕方なく、あなたは奥さんに会社が倒産したことを伝えることにしました。

あなたはその日、いつもより遅く帰宅します。家ではリビングで奥さんと娘さんがテレビを見ていました。あなたがリビングに入ると奥さんは一瞬だけあなたを見、そしてすぐにテレビのほうに顔を戻しました。奥さんは顔をテレビに向けたまま一声かけました。

「あなた、遅かったわね」

娘さんはテレビに夢中になったままであなたには関心を示しませんでした。あなたは奥さんに返事をしませんでしたが、奥さんも別段返事を期待しているようでもありませんでした。つまり奥さんの「独り言」と言ってもよいかもしれません。

あなたは二人のうしろ姿を見てそのまま寝室に入ります。あなたはスーツを脱ぎワイシャツを脱ぎながら考えます。

「なんと言おうか…」

しばらくひとりで考えたあと、あなたは決行します。

リビングでは奥さんと娘さんが先ほどと同じ格好でテレビを見ながら笑っていました。あなたは空いているソファに座ります。あなたは、妻たちに話すタイミングを見計らっていました。できるだけショックを与えないようなタイミングを探していました。そんなあなたにお構いなくテレビを見ていた娘さんは手を叩き身体を捩じらせて笑っています。

結局、番組が終わるまであなたは口を開くことはできませんでした。

番組が終わりコマーシャルが始まるのに合わせて、あなたは奥さんに声をかけます。

「あのさ、…」

あなたの声に奥さんは振り向きます。

「あら、あなたいたの?」

奥さんの声に答えることなくあなたは続けます。

「ちょっと大事な話があるんだ」

あなたの真面目な顔つきに奥さんもなにかを感じたのでしょう。意味ありげな笑顔であなたの顔を覗き込みました。

「そんなに思いつめた顔してなぁに?」

「…会社が倒産したんだ」

あなたの言葉を奥さんは意味が理解できないようでした。奥さんは呆気にとられた表情をしていました。そしてすぐに笑顔を作り「なんの話?」と聞き返しました。あなたと奥さんのやりとりを聞いていた娘さんも振り返ります。

あなたはもう一度、同じ言葉を繰り返します。

「会社が倒産したんだ」

奥さんは「えっ?」と言ったきり黙ってあなたの顔を見たままでした。すると娘さんが驚きの声を上げます。

「うそー? ねぇ、ホントなの? 冗談じゃないの?」

あなたは答えます。

「うん。本当の話なんだ。冗談だったらどんなにうれしいか…」

少しの沈黙があったあと、奥さんが言葉を発します。

「来月のお給料はどうなるの?」

「たぶん、貰えないと思う」

あなたの言葉に娘さんが反応します。

「あたし、学校どうなるの?」

あなたは言葉を返すことができません。黙っているしかないのです。現実に、来月からお給料が入ってこないのですから…。

結局、その夜は今後の生活について具体的な答えは出ないまま話し合いは終了しました。あまりのショックに奥さんも娘さんも今後のことを考える余裕がなかったからでした。もちろんあなたも同じです。どうしてよいか考えあぐねていたのです。

つづく。

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