あなたはこうやって結婚生活に失敗する(7)の2

電話の先はご主人の会社からでした。あなたは不思議に思います。

「主人なら今、単身赴任でこちらにはいませんけど…」

あなたの返答に会社の人は驚いたふうでしばし沈黙のあと口ごもった感じでお礼を言うとすぐに切ってしまいました。

あなたは切れた電話が発する「ツーツー」という音をしばらく聞いていました。あなたは考えます。ゆっくりと落ち着いて考えます。そして単身赴任先の営業所に電話をかけます。

「恐れ入ります。以前、そちらの課長にお世話になった者なんですけどいらっしゃいますでしょうか?」

電話に出た女性社員の言葉をあなたは一生忘れないでしょう。電話の声は少し驚いたように答えました。

「えっ、課長でしたら3ヶ月ほど前に本社に戻られましたけど…」

あなたはゆっくりと受話器を置きました。

あなたは打ちひしがれたままご主人が<帰省>するのを待ちました。

その2週間後、ご主人はいつもの予定どおり単身赴任先から<帰省>してきました。ご主人は自宅から単身赴任先に行く日は必ず次回の<帰省>の日をあなたに伝えていました。その予定通り帰ってきたのです。

ご主人は普段の<帰省>時と変わらず明るく楽しそうに子供たちと接していました。普段家にいないご主人は帰省時には必ず子供たちにちょっかいを出し悪ふざけをしていました。子供たちもまんざらでもないようでした。

子供たちが寝静まったあと、あなたは居間で新聞を読んでいたご主人に話しかけます。

「どう? 最近仕事の調子は?」

ご主人は少し驚いたようでした。今まであなたが「仕事」について尋ねたことなどなかったからです。新聞から目を離しあなたのほうに顔を向け答えます。

「うん、まぁまぁかな」

あなたはご主人と視線を合わすことができず、壁にかかっているカレンダーに視線を向けました。そんなあなたを見てご主人は新聞に視線を戻しました。あなたはカレンダーに視線を向けたまま言葉を続けます。

「この前、本社の人からウチに電話があったの」

あなたの言葉にご主人の表情が固まったように感じました。そのとき、ご主人は視線を新聞に向けてはいましたが、焦点を合わせられなくなっていました。ご主人はなにも言葉を発しません。

「あなた、今、単身赴任してるのよね…」

こう言ったきりあなたも言葉が続きませんでした。

夫婦が同じ部屋で向かい合って座り、しかもどちらも黙ったまま下を向いているさまからは重く澱んだ空気しか漂わないものです。

しばらくの沈黙のあと、口を開いたのはご主人です。落ち着いた抑えた口調で話しだしました。

「すまん。好きな人がいる…」

ご主人が言った最初のフレーズを聞いた瞬間、あなたは不思議な感覚に陥りました。ご主人が話していた時間は決して短いものではありませんでした。当然です。一家の大黒柱がほかの女性とつき合い始めた言い訳を話すのでから長くなるのが普通です。しかし、あなたはご主人の最初のフレーズを聞いたあとはなにも聞こえてこなかったのです。

ご主人が話し終えたあと、いつものあなたなら怒り心頭で声を荒げてご主人を責めたてたでしょう。しかし、そのときのあなたはなぜか冷静でした。あなたは結婚前のご主人とのデートの日々を思い起こしていました。昔の思い出がひとりでに頭に浮かんできたのです。あなたは静かに語りかけます。

「浮気ならいいのよ…。私、独占欲強くないから…」

ご主人はあなたの言葉に答えませんでした。また、二人の沈黙の時間が流れました。そして口を開いたのはやはりご主人でした。

「ゴメン…」

あなたはご主人の口元を見つめます。ご主人の口元が動きます。

「浮気じゃないんだ…」

あなたの視線はゆっくりとご主人の口元から顎を通り胸元のボタン、ズボンの折り目、そして向かい合っている二人の間にあるテーブルを通りすぎ、自分のスカートの上で右と左を重ねている自分の手にたどり着きました。あなたは小さなため息をつきます。

「……。」

あなたはこうやって結婚生活に失敗します。

身体のすれ違いを修復するよりも、心のすれ違いを修復することのほうが困難です。心がすれ違った場合は、意志の疎通ができなくなるからです。完全にすれ違う前に、少しでも心が重なり合っているときに「すれ違い」を感知することが大切です。

つづく。


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