あなたはこうやって結婚生活に失敗する(7)の1

結婚10年

あなたは結婚して区切りの10年目を迎えました。宝石メーカーの宣伝ですと「スイートテンダイヤモンド」ですが、現実はそれほど「スイート」なものではありません。その証拠にご主人は結婚記念日を覚えていませんでした。出勤前のご主人にあなたが「今日はなんの日か知ってる?」と尋ねたとき、ご主人は「大切な取引先へのプレゼンの日」と答えたくらいです。あなたが期待していた言葉は「大切な妻へのプレゼントの日」でした。結局、あなたは言い出せませんでした。

それでもあなたとご主人は曲がりなりにも10年間結婚生活を過ごしてきました。それはそれでやはり意義あることです。しかし、その間順風満帆だったわけではありません。いろいろな場面で性格の不一致を痛感することもたびたびでした。それだけに10年を過ごせたことはとても「価値があること」とあなたには思えました。

そんな生活を一変させることがあなたたちに起こります。…ご主人の転勤です。しかも転勤先は遠方でした。

あなたはご主人から転勤の話を聞いたとき真っ先に頭に思い浮かんだのは「栄転か左遷か…」でした。あなたにとってこの違いはとても大きいものがあります。今後のあなたたち家族の生活に影響があるからです。

遠方への転勤。

この事実はあなたたち夫婦に重大な決断を迫ります。単身赴任の可否です。

もし「栄転」なら単身赴任を選択します。しかし「左遷」なら家族で引っ越すことを選択します。「栄転」なら数年後に戻ってくる可能性が高いですが、「左遷」ならその地に骨をうずめる覚悟が必要です。

あなたはご主人に尋ねます。

「ねぇ、栄転なの?」

この核心をついた質問にご主人も答えあぐねてしまいました。実際、会社の同僚の間でも判断が分かれていたからです。確かに、ご主人に転勤辞令を言い渡した上司は「栄転」に近いニュアンスを臭わせました。けれど、言葉どおりに受け取れないのが会社の難しさです。ご主人は正直に答えました。

「うーん、なんとも言えないなぁ」

ご主人の答えはあなたを悩ませます。あなたはあなたの実家に相談します。あなたは今まで幾度も実家のお母さんにいろいろな局面で援助してもらっていました。子供の頃から、そして成人してからも人生の転機といえる重要な局面では必ず相談していました。

あなたの実家のご両親は「単身赴任」を勧めました。ご両親は孫が近くにいることを望んだからです。実は、あなたも心の底ではその答えを待っていました。ご両親はあなたの背中を押してくれたのです。

ご主人はあなたの希望をなんの抵抗もなく受け入れてくれました。ご主人の実家に関してはなんの問題もありませんでした。それはご主人が三男だったからです。

ご主人が単身赴任に旅立つ日、あなたと子供2人は駅まで見送りに行きました。小学低学年の長女は電車が動き出すと涙を浮かべました。それにつられて幼稚園の娘も泣き出してしまいました。不思議なことにそれにつられてあなたまで涙がこみ上げてきてしまいました。あなたは自分の涙に自分で驚いてしまいました。

ご主人が単身赴任に旅立ってからしばらくの間は、家族が少なくなった寂しさに戸惑うこともありました。しかし、それも1週間だけでした。それを過ぎるとあなたは「気楽さ」を感じるようになりました。そんなあなたを察してか、友だちから電話がかかってきます。

「あなたいいわねぇ、旦那の世話しなくていいんだから…」

あなたは笑いながら受け流していましたが、心の中では昔のコマーシャルを思い出していました。

「亭主元気で留守がいい」

あなたはこのコピーを考えついたライターに尊敬の念を持ちました…。

単身赴任した当初、ご主人は毎週土日に帰ってきました。子供たちも土日を楽しみにしていました。毎週水曜日あたりになると、子供たちはご主人が帰ってくる土日を指折り数えていました。しかし、3ヶ月を過ぎた頃から新鮮味がなくなってきました。せっかくご主人が帰ってきても子供たちはテレビに夢中になっていたりゲームに熱中したりしていました。

もちろん「新鮮味がなくなった」こと以外にも理由があります。

最初の頃、ご主人は必ずお土産を抱えて帰ってきていました。しかし、さすがに毎週となるとお金が続きません。いつしかお土産はご主人の洗濯物だけになっていました。子供たちにとってお土産のないご主人はただのオジサンでしかありませんでした。

そんな子供たちをあなたは一応注意はしました。それではご主人があまりにもかわいそうだからです。けれど、告白するならあなた自身もご主人が「ただのオジサン」に思えていたのでした。

あなたはご主人のいない生活に慣れてしまっていたので、週末にご主人が自宅で過ごすことに違和感を持つようになっていました。もう少し具体的に言うなら「窮屈感」と言ってもよいでしょう。普段家にいないご主人が家にいると生活のリズムが崩れるのでした。決して表面には表しませんが、あなたはリズムが狂うことを疎ましく感じていました。

その後、ご主人のあなたたち家族への帰省は少しずつ期間が開き1ヶ月に1回。そして2ヶ月に1回。ついには3ヶ月に1回のペースになっていました。それでもあなたにとってはなんの問題もありません。それどころか心地よささえ感じていました。あなたはご主人が生活費さえ入れてくれたなら困ることはなに一つなかったからです。いえ、この言い方は正しくはありません。ご主人のお給料の振込先銀行のカードおよび通帳はあなたが管理していたのですから。

そんな家庭状況が続いていてじきに1年を過ぎようとしていた頃、あなたはたまに帰ってくるご主人のあることに気がつきました。大して深くは考えていませんでしたが、3ヶ月ぶりに帰ってきたご主人になにげなく聞いてみました。

「あなた、洗濯物はどうしてるの?」

ご主人は新聞に目を遣りながら答えます。

「ああ、クリーニング屋さんに持って行ってる」

あなたは納得します。一緒に住んでいる頃、ご主人は洗濯などしたことがありません。ましてやアイロン掛けなど皆無です。そんなご主人がコインランドリーでワイシャツを洗いアイロンなどあてるはずがありません。しかし、クリーニング屋さんに頼むならシワの心配もありません。それでも、疑問がないわけではありませんでした。それは、やはりお金です。クリーニング屋さんに頼むにもお金がかかります。

ご主人の小遣いはあなたが毎月ご主人の赴任先の口座に振り込んでいました。その金額から考えますと、クリーニング代までまかなうには少し足りないような気がします。あなたはそのことを尋ねようかとも思いましたが、あえて止めました。なんとなく開けてはいけない扉を開けるような気がしたからです。

ご主人が単身赴任をはじめて1年と3ヶ月を過ぎた頃、毎朝楽しみにしている連続ドラマの再放送を見ていたとき電話が鳴ります。

「課長、いらっしゃいますか?」

つづく。


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