あなたはこうやって結婚生活に失敗する(14)の1
結婚5年
あなたたちは1年間つき合ったあとに愛を実らせました。ある意味、最も一般的な「恋愛から結婚への道のり」と言えます。奥さんとは、ものごとに対する考え方も似ている部分が多く、あなたは「結婚相手に相応しい女性だ」と納得していました。
あなたは人を押しのけ働いてまで出世したいとは思わないタイプのビジネスマンでした。奥さんもそうした考えに同調する考えを持った女性でした。
あなたは「他人を押しのけて」働くことを望んでいませんでしたが、かと言って「そこそこ働く」ことで済まそうなどとも考えていませんでした。仕事に対しては全精力を傾けて臨むのがビジネスマンのあるべき姿だと考えていました。
そんなあなたたちの結婚生活は1年目までは理想に近い楽しい日々でした。あなたと奥さんは仕事帰りに待ち合わせて食事をしたりコンサートに行ったり恋人時代の延長として過ごしていました。それはそれは充実した結婚生活でした。
新生活をはじめた住居は2DKのアパートです。若い二人ですのでまだお給料も「それほど多くない」こともありましたし、なにより夫婦二人きりの生活ですから広いスペースなど必要ありませんでした。また、夫婦共に働いていましたので生活する分については収入的には全く問題ありませんでした。というよりは二人の収入を合わせると余裕のある生活が営めました。だからこそ、仕事帰りに食事をしたりコンサートに行ったりなどできたのです。
そんな二人の甘い生活に転機が訪れたのは2年目のことでした。それはお子さんの誕生です。出産に際しいろいろな面倒なことが起こり始めます。まず、奥さんが退職を迫られたのです。大企業のように、福利厚生が充実している職場ならいざ知らず、奥さんが勤めていたのは中小企業です。奥さんに育児休暇など与える余裕などない会社です。あなたたちは会社の都合も理解できましたのであっさりと「退職要請」に応じることにしました。その時点ではあなたも奥さんもその重大さに気がついていませんでした。
しかし、奥さんが出産を終え平常の生活がはじまると、差し当たって毎月の収入の減少具合が気になりだしました。なにしろ今までのダブルインカムがシングルインカムになってしまうのですから当然です。妊娠から出産までの間は収入が減ることについてさほど気になることはありませんでした。自分たちの子供が生まれることの喜びで気持ちが一杯だったからです。また、それまでの貯金がありましたので気持ちに余裕があったのです。
しかし、出産後半年を過ぎた頃から貯金の残高が気になりだしました。そして少しずつ焦りだします。あなたと奥さんは話し合って奥さんがパートに出ることを考え始めます。そして現実を知ります。
簡単に仕事が見つからないのです。どこの採用面接でも子供が小さいことがネックとなりました。企業側としては、お子さんが小さいということはすぐに休むことを連想します。実際、お子さんは熱を出すことが多く奥さんが付き添っていなければならないことが度々ありました。もし採用されることになっても休みをとったり早退するケースが多くなることが予想されます。奥さんが勤めに出ることは現実的ではないと思われました。仕方なく奥さんは専業主婦の道を続けることにします。
その頃からでしょうか。奥さんがあなたの給料の額を気にするようになりました。
奥さんは毎日家計簿とにらめっこをしつつあなたに愚痴を言うようになります。
「ねぇ、もう少しお給料上がるようにならない?」
あなたには辛い言葉です。
「そんなに簡単に無理だよ」
あなたはこう答えるしかありません。
奥さんは専業主婦をやっていますと、好むと好まざるに関係なく自然と公園などでほかのお母さんたちと親しくなります。そしてその中の気心の合うお母さんとお友だちになります。これは決して悪いことではありません。奥さんにとっては育児について相談する相手がいることはとても意義のあることでした。そして周りのお母さんたちと親しくなればなるほど段々と育児以外のことについても話すようになります。
奥さんは親しくなったお母さんたちと家の行き来もするようになります。そうしたお母さんの中には立派な家に住んでいる人もいたりして奥さんは羨ましがるようになりました。奥さんは晩ご飯を一緒に食べているあなたに聞こえるように呟きます。
「私たちももう少し広い家に住みたいわよねぇ」
あなたたちの家の間取りは2DKですが、6畳と4畳半に台所が4畳しかありませんでした。お風呂もありましたが、一人がやっと入れるほどの広さしかなくお子さんと一緒に入るには狭すぎました。奥さんはいつも身を縮めてお風呂に入っていました。
奥さんはお風呂から上がるといつも
「あのお風呂は家族向きではないわ」
と言うようになっていました。そういうときあなたはいつも聞こえないふりをしていました。あなたは心を縮めて過ごしていました。
5年目を迎えた今、あなたたちはまだ結婚当初に入居したアパートに住んでいました。これまでに幾度か広い家に転居することも考えましたが、そのたびに収入が壁になっていました。家賃を支払うにはお給料が少なすぎるのです。不動産屋さんからの帰り道、決まって奥さんは「私たち進歩がないわね」と言うのが口癖になっていました。実は、あなたは奥さんのこの口癖が好きではありませんでした。あなたには奥さんが言う「私たち」が「あなた」に聞こえてくるからでした。
「あなた進歩がないわね」
あなたにはそう聞こえたのです。けれど、あなたは改まって返事をすることは差し控えていました。
奥さんは「進歩がない」と言いますが、お子さんが生まれてから3年間、あなたのお給料が増えなかったわけではありません。それなりに増えてはいました。しかし、子供が大きくなるに従い出費も増え、その分お給料の増加分を目減りさせていました。結果的に、広い間取りの家に住めるほどには増えていませんでした。
ある日、晩御飯を食べたあと奥さんと一緒にテレビを見ていたとき奥さんが話しかけてきます。最近は、奥さんがあなたに話すことといえば、それはほとんど公園でのお母さんたちの会話についてでした。
「最近、公園に行くの辛いのよね」
あなたは理由を尋ねます。
「どうして?」
「公園で会うお母さんたちのご主人ってみんな出世してるみたいなの」
奥さんは答えながら視線を決してあなたのほうには向けようとはしませんでした。奥さんも自分の言っていることに少し後ろめたさを感じていたからです。
あなたはやはり返事をしませんでした。
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