あなたはこうやって結婚生活に失敗する(6)の1
結婚7年
あなたは大恋愛でゴールインしたシンデレラでした。
ご主人とは旅先で知り合いました。あなたも「ひとり」、ご主人も「ひとり」。どちらも「ひとり」で旅行していました。あなたには「旅はひとりでするもの」というポリシーがありました。そしてご主人も同じポリシーの持ち主でした。そうしたことがあなたたちを親密にしたきっかけになったことは間違いありません。
しかも、偶然にもあなたとご主人は駅で2つしか離れていないところに住んでいたのです。あなたが心の片隅で「これは神さまのお導きかも」と高揚した気持ちがあっても不思議ではありませんでした。
それでも、あなたは冷静な気持ちも持ち合わせていました。
「旅行先で知り合った男性と地元に帰って来てから会うとがっかりする」とは、よく言われることです。地元に帰って来てからの初めてのデートの日、あなたはそんな格言を心に思い浮かべて複雑な気持ちにもなりました。しかし、そんな腰の引けたデートも、帰りの電車の中では解消していました。理由は、食事のあとの会話の中で、ご主人が「あなたが思い浮かべていたのと同じ複雑な気持ち」を告白したからです。ご主人もあなたと同じように思っていたのです。ご主人の告白を聞いてあなたは思わず噴き出してしまいました。あなたも「同じ気持ちだった」と話し、二人して笑い合ったのです。
こうしてあなたたちは急速に熱烈な恋人同士になっていきました。そしてその勢いのままゴールインを迎え、あなたは、ご主人と結婚して「恋愛結婚の極み」を獲得したと思っていました。新婚旅行から帰ってきたあと、勤務していた会社の同僚や後輩などと会ってもあなたは「恋愛結婚の鏡」と持て囃されていました。もちろんあなたも周りのみんなに自慢したい心持ちでいました。それほどあなたの恋愛結婚は独身女性が憧れる理想の物語でした。
どれほど大恋愛で結婚したとはいえ、結婚したあともつきあっていたときと同じ強さの愛情が長続きするとは限りません。賢明なあなたですので、もちろんそのこともわかっていました。1年が過ぎ、2年を越え、3年が終わろうとする頃には恋愛時代の愛情に比べると幾分落ち着いてきたとは思っていました。そしてそれも当然だと思っていました。なにしろ、あなたは賢明なのですから…。
それでも、大恋愛だった頃の片鱗はいくらか残っていました。たまに、旅行に行ったときのアルバムをめくったり、その中の気に入った1枚をパネルにして部屋に飾ったりしていました。あなたは夫婦とはそのようにして年月を重ねていくものだと思っていました。そして7年目を迎えていました。
ある日、家族揃って食事をしたあと子供たちはダイニングテーブルからテレビのあるリビングに移動していました。ダイニングテーブルにはあなたとご主人の二人が残っていました。あなたは通販カタログを読み、ご主人は新聞を読んでいました。あなたがカタログのページをめくったときある音が気になりました。
カタカタカタカタ…。
小刻みになにかがぶつかる音がしました。心なしかテーブルが揺れているようにも感じました。あなたはカタログの文字を追ってはいるのですが、意識はその音を捉えていました。あなたは耳をすまします。
カタカタカタカタ…。
あなたは顔を上げご主人を見ます。ご主人は新聞に顔をうずめていました。あなたは戸棚のほうを見ました。そして次に反対側の壁のほうを見ました。あなたはもう一度ご主人を見ました。そして気がつきます。ご主人の新聞がかすかに揺れていました。
あなたは上半身をかがめテーブルの下を覗き込みました。ご主人の足が見えました。そしてその足が小刻みに揺れていました。
貧乏ユスリ…。
ご主人に話しかけます。
「あなた、足…、揺らしてる?」
ご主人は新聞から顔を出すと不思議そうな顔つきであなたを見ました。
「えっ、あぁ…、そうみたい」
「ねぇ、それやめてよ」
「ああ…」
ご主人は表情を変えることもなく答えました。そしたまたなにごともなかったかのように顔を新聞にうずめました。
翌日、晩ご飯のあとあなたは子供の幼稚園に提出する保護者の連絡帳を書いていました。1ヶ月に1度親が担任に提出書類です。どこの親もそうですが、こうした幼稚園への提出物は苦労するものです。なにか「気の利いた内容の文章を書かねば」というプレッシャーがあります。親として、「子供に恥をかかせないように」と思い文章と格闘していました。
向かいには経済雑誌を読んでいるご主人がいました。
あなたは下書きとなる文章を考えています。ときに天井を見つめ、ときに腕組みをし、ときに目を瞑り…。
そのときです。音が聞こえました。
カタカタカタカタ…。
たぶん、「聞こえた」という表現は正しくありません。正確には「気になり」だしました。あなたはすぐに音源がわかりました。そうです。前日も同じ経験をしているからです。今回は、あなたは周りを見渡すこともなく、すぐにテーブルの下を覗き込みました。思ったとおりでした。
「ねぇ、足を揺らすのやめてくれる?」
あなたは少し強めの口調で言いました。
雑誌から目を離しあなたを見たご主人は無表情でしたが、返事はしました。
「ああ…」
ご主人は足を揺らすのをやめました。ご主人が足を揺らすのをやめてからもあなたの文章との格闘は続いていました。なかなかいい文章が思い浮かびません。しばらく悶絶したあとあなたは詰問するような口ぶりでご主人に言います。
「あなたの貧乏ゆすりって前からやってた?」
あなたの言葉にご主人はすぐに顔を上げました。そしてしばしあなたの顔を見つめたあとなにも答えずに席を立ってしまいました。
あなたはご主人のいなくなった椅子を見つめながら文章と格闘を続けました。
つづく。
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