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『OO-ct.――ノー・カラット』論

こんにちはこんばんははじめまして、まるのゐです。今回の主題は現在開催中のイベント、『OO-ct.――ノー・カラット』です。シナリオを読んでない方は読んできましょう。こちらのイベントは7月10日15時までです。

※この記事は、タイトル通りシャニマスイベントコミュ『OO-ct.――ノー・カラット』の考察とか感想とかそんな記事です。ネタバレが含まれていますのでそれを理解していただいたうえで、お楽しみいただければ幸いです。​

いや、今回のイベントはなんというか衝撃というか、最近のシャニマスのイベントは演出とか音楽の使い方とか凝ってきてるなーって思ってたんですけど、シナリオでもここまでブロー利かせてくるか?って感じでした。もちろん演出面は今回もすごく良くて、エフェクトを使わずにバッとシーンを切り替えたり、BGMも印象を強く出していくシーンと抑えめにするところのメリハリが効いていたし、ミュートの使い方もすごく良かった。それだけに最後の最後のシナリオのひっくり返しがモロに刺さってしまった感じがあります。

いや違う、あの展開は予想してたんだ。私は以前書いたシーズの記事でこんなことを言っている。

補色の関係にある2人だけど、補色同士って混ぜると灰色になるんだよね。つまりこの2人は混ぜるな危険、でもあるってこと。逆に混ざり合わなければ互いを引き立たせあえる存在なわけで、シーズの2人は迎合しすぎない方が良いユニットになるのかもしれないね。

迎合しなさすぎだ馬鹿・・!何をのんきにこんなこと書いているんだ私は!

というかこれらはシーズ実装直後に実際に起こっていたことなんだ。にちかの話題がSNSを席巻し、美琴さんはあまり話題にならない。アイドルは完璧じゃダメなんだという美琴さんのシナリオに呼応するように、いびつさを抱えたにちかにこそ注目は集まった。だからそれがシャニマス世界でも起きるのは必然だったんだ。それを私たちはオープニングから7話を費やしてじっくりと心を解きほぐされそのことを忘れさせられていたんだ。だからこれは必然だったんだ、テンプレートになるくらい当たり前のことだったんだ。

ああ、ごめんなさい。感情が先走るあまりに要領を得ないスタートになってしまった。だけどノーカラットを読了の皆様だったらこの感情理解してくれると思うんだ。だからここからはシナリオを振り返りながら、シーズの今、そして未来の話をしようと思う。

あらすじ

今回のストーリーはシーズがウイングで優勝し、人気の気配が出てきたところから始まる。いや一瞬でノクチルを追い越すんじゃないよ、と思いつつ、それでも現場慣れしすぎている美琴と、なんとか食らいついているにちかの対比はやはり不安を感じさせるストーリーの始まりであったことに違いはなかった。

ストーリーはシーズがでる夏フェスのステージを主軸にして、主ににちかの視点で進んでいく。昼のバラエティ寄りの情報番組で宣伝して、練習して、バックダンサーが付くことになって、練習して、リハして、美琴とにちかの距離が少しだけ縮まったような気がして、ステージは大成功して、ユニットという関係性をわずかに深められたような気がして、




にちかだけが売れていった。




あ~~~~~どうして、どうして・・・・

ここまでくると私たちはシーズの実装から今日このシナリオの追加の瞬間まで完全に運営の手のひらで踊らされていたようにも思える。先ほども述べたように現実世界ですらにちかが話題の的だったのだ。そして奇しくも私たちはシーズのステージをすでに体験してしまっている。あの最高のステージを、最高のOHMYGODを。私もあのシーズのステージのすばらしさを色んな人に伝えたくて苦心したものだ。それすらも手玉に取ってシャニマス運営君はさあ・・・あぁ・・病んだ。

練習ばかり・練習しか

美琴は練習の虫だ、毎日毎日練習して、ずっとずっと練習して。じゃあ何故美琴は練習しかしないのか、それは本番が無いから、仕事が、無いから。

物語の最終版でにちかは”シーズの上手くない方”と呼ばれている。美琴の方が圧倒的に上手いのだ、歌もダンスも、みんながそれを認めている。美琴はにちかの遙か先に居る。売れているにちかの遙か先に。ならばこれ以上歌とダンスを練習して彼女はどこにたどり着くのだろうか。

あるところでこんな意見を目にした、

シャニPですら最初は才能を見いだせなかったにちかでも200%努力してウイング優勝したけど、美琴はウイング優勝に10年かかってるからなこっちの方がやばいだろ。

ここまで来て初めて、私は美琴とシャニPの邂逅に違和感を覚え始めた。

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そう、ここだ。シャニPがアイドルの才能のある少女に前のめりなのは今までのシナリオからも明らかだ。だとするならばシャニPは美琴に対してあまりにも冷静過ぎる。この後美琴はオーディションをこなし、合格し、283プロに所属することになるのだろう。それはにちかのストーリーラインと全く一緒ではないか?アイドルとして平凡だと散々揶揄されたにちかと。シャニPは美琴にどのくらいの輝きを感じているのだろうか。それが知りたくて仕方がない。

かの有名なエジソンの名言として「天才は1%のひらめきと99%の努力である」という言葉がある。とある政治家は、この言葉をどんなに努力してもひらめきが無ければ無意味であるという風に捉えたそうだ。これはあくまでもひねくれた解釈であり、エジソンの真意ではないという説が一般的だが、美琴さんにはこの1%のひらめきがあるのだろうか。

今回のシナリオを見ればにちかにはそのひらめきが有ったのだろうと感じる。そして残酷なことににちかのそのひらめきは、美琴と一緒にいないときの方が発揮されるようなのだ。家族であるはづきはさておき、にちかはシャニPの前では饒舌である、素直とは言いづらいが思っていることを比較的ポンと口に出す。バイト先の先輩ともそうだ。クラブでは初対面の人と打ち解け、盛り上がることさえできる(あの場面が飲酒のメタファーであったかどうかは流石にスキャンダルとして大きすぎるので場酔いのようなものだと思っている)。だが美琴に対してはどうだ?美琴と一緒に出たテレビ番組では?遠慮し、顔色をうかがい、言葉を選び、置きに行く。美琴さんの足を引っ張らないように。トークが面白くないユニット、だった。でも喋らせてみると意外と面白い。にちかは、意外と面白い。にちかは。だからあの子を引っ張って。美琴さんは―――

友情・努力

作中に社長とはづきの会話として、こんな話が語られる。地元の期待を背負った女子高生チームと理論と研究を突き詰めたとある大学工学部の研究室が戦う、コマの大会についての話だ。

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勝利を掴んだのは工学部チームだ、しかしドキュメンタリーに取り上げられたのは女子高生チームだった。女子高生チームには応援したくなるバックボーンがあった、女子高生ということで画的な見栄えもあったのかもしれない。なにより彼女たちのコマには、地元の思いが、彼女たちの思いが乗って、輝いて、暖かく見えた。見えた気がした。それに対して工学部のコマは、緻密で、合理的で、勝つためだけに作られて、無慈悲に勝利を収めた。何の思いも乗っておらず、機械的で、冷酷に見えた。見えた気がした。彼女たちの夢を阻む悪役として立ちふさがったように見せられた。

そう感動的なバックボーンには対比の相手が必要だ。それは強くて、巨大で、冷酷であるほど良い。見ている側は何も理解できないように、人並み外れているほど良い。そして美琴はその対比の相手に限りなくちょうどいい。そつなく、完璧に、見本のように、でもそれだけだ。幼い頃からピアノも学び、ダンスも歌も評価されている、14歳で上京し、きつい練習もこなしてきた、でもそれだけだ。感動的なエピソードに対する標準試料として、なんとちょうどよい真っすぐな人生であろうか。

真っすぐが悪いわけじゃない、王道が良くないなんてあろうはずもない。でもそれだけではダメだということを、私たちは痛いほど理解している。今回のシナリオ、最後の最後が無かったら?緩やかな改善とほんの僅かな歩み寄り。ああ、いいお話だったね、でもなんか”平凡”だったね。ここまで盛り上がることはあっただろうか?今回のシナリオに盛り上がれば盛り上がるほど。私たちは1%のエッセンスを肯定してしまっている。

上がったら・上がった時

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今回のストーリーはシーズの独白から始まる。ステージの直前、奈落についての独白。

ステージの下 客席のざわめきをいちばん感じる場所 ここを上がったらひとりになる。
見上げる場所、始める場所 ここを上がった時のために、全てがある

上がにちか、下が美琴の独白だ。分かるだろうか、2人の立ち位置の差が。

にちかの独白の主体はステージだ。語っている奈落は立っているステージの下に過ぎないし、意識も観客に向いている、そしてなによりもステージ上の孤独を幾度も体験していることが伺える構成となっている。

一方で美琴の独白の主体はあくまでも奈落だ。彼女は見上げるばかりでまだ始まってもいない、そしていつか来る上がった時を想起している。心は奈落に落ちたままでこれからステージに上がるというイメージもステージ上に美琴が立っているというイメージも湧かない。まるでステージの上は夢物語のようだ。

そしてこの独白は、最後の最後にブーメランのように返ってくる。全く同じにそっくりそのまま。それは彼女たちがコミュを8話も費やして、何も得ていないことを表している。開始地点から一歩たりとも動いていないのだ。希望を目の前で揺らされて、掴んだと思ったら、さっきまでと全く同じ場所に立っている。まるでチョウチンアンコウのようなストーリーである。ふざけるな。

ストーリーを通してこの二人は互いに何の影響も与えられていない。ペンシルターンを教えてくれたのは名もなきダンサーだった。美琴は何も変わっていない。練習の虫、パフォーマンスだけを追い求める。無駄なことは省いて、コミュニケーションすらおろそかにして。にちかは何も変わっていない。にちかの始まりは八雲なみのコピーだった、今回のイベントでは美琴を追いかけた。そして今過去の斑鳩ルカと同じ境遇に立とうとしている。先人の後追い、模倣。どこかで見たような話。彼女たちの本質は微動だにしていないのだ。

にちかはシャニPに言われた、「幸せになるんだ」という言葉を幾度となく反芻する。にちかがまだ幼い頃、家族のアイドルだった頃、彼女が歌って踊ればそこは幸せな空間になった。今彼女は本物のアイドルになって、もう一度幸せな空間を作ろうと、手に入れようとしていた。そこには家族が、もしかしたらシャニPが、そして美琴さんが居たはずだ。あの奇跡のような一瞬だけわずかに重なって、幸せが重なって、そしてそれは紛れもなく一瞬だった。

にちかはシナリオの多くの時間で曇っている。それはアイドルをやっていることで幸せじゃない人が生まれてしまっているという自覚からくるものだ。パフォーマンスで美琴さんの足を引っ張ってしまっているという自覚。それは演出に自分の意見が反映され、ステージが大成功をおさめ、ピアノで連弾をしたときに、解消されたはずだった。そして一瞬。にちかが先に売れ、美琴の心は晴れぬまま、そしてなにより美琴はこの光景に見覚えがある。模倣、コピー、”あの時と同じ”

斑鳩ルカ。シーズのライバルと目されていた彼女は、いまやにちかの悲しき未来像でしかない。

ノー・カラット

正直私の貧弱な想像力では、彼女たちがどう幸せになるのかというイメージが全く出てこない。もしかしたらこのまま緩やかに終わっていくのかもしれないという想像さえしてしまう。斑鳩ルカや八雲なみがそれらを改変する起爆剤となるのか、天井社長やシャニPが全てを解決するウルトラCを見出すのか。しかしそれらのわずかな可能性が、現実感のあるものとして伴ってこないのだ。それどころかむしろこのまま緩やかに終わっていった方が物語として美しいとすら感じてしまう。

努力は報われると言うが、それは大抵の場合報われるまで努力は続けさせられるものだからである。一方でいくら報われるまで努力を続けたとして、その報われ方が自分の希望するものではないことは往々にしてあるのだ。美琴はいつかどこかで妥協して、純粋なパフォーマーになるかもしれない。その時、元々の能力とアイドルを目指し挫折したというストーリーが相まって人気が出るかもしれない。そして人々は口々に努力を続けてきて良かったね、と言うだろう。しかしその報われ方は本意ではないはずだ。でも社会一般から見れば十分に報われてしまっているし、これ以上を求めれば、強欲だと揶揄される側に回るかもしれない。

これは何か特定の事実を引き合いに出しているわけではないが、例えば甲子園の試合だ。親が金持ちで自宅の庭に練習施設を作ってもらえた選手と、母子家庭で育ち練習の合間で家の手伝いをする選手が戦ったときどちらを応援するだろうか?来年廃校になり最後に甲子園を目指す野球部と甲子園常連の野球部が地区大会の決勝で当たったら?

当たり前だが貧乏だろうと金持ちだろうと、甲子園の常連だろうとなんだろうと、高校球児が甲子園にかける思いは変わらず尊いものだ。けれども人は時にそうやって、応援する側を決めていく。それは勝利への情熱だけでは甲乙つけがたいということでもあるし、勝負とは全く関係ない要素で簡単に甲乙を付けてしまえるということでもある。

感情とは厄介なものでここまで深く人の意思決定に関与してくるのに、それを定量的に表すことが出来ない。どちらの思いが尊いかなんて天秤に乗せて比べても、微動だに何てするわけもないのに。人の思いはノーカラット、重さなんてあるはずもないのに。1カラット10カラット100カラット、大きい方が、重い方が、輝いて見えるから。思いの重さを勝手に決めて、天秤を傾かせる。

スポーツならば、残酷に結果は出るだろう。しかしアイドルはそうじゃない。アイドルを好きになる事なんて、感情の押し付けの極致だというのに。そして残酷なことにこうやって感想を書くことさえ、他人の感情に勝手なカラットを付けるような行いなのだ。

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今回のシナリオを経て、シーズに対するものの見方は大きく変わっただろう。美琴のパーソナリティからくる問題点が大きく浮き彫りになり、次の壁として立ちふさがっている。パートナーへの評価が良い妹さんで、自分のピアノが隣にいる少女の心を掴んでいることさえ気づかない。人並外れた、パフォーマンスマシーン。

にちかの思いは、輝きは、それを見ている人たちの手によってどんどんと重くなっていく。それに対して美琴の思いは、情熱は、輝きは、いまだにノーカラットなのだろう。でも美琴はそれに文句を言えるだろうか?あの手作りのはちみつレモンも、怪我のリスクを承知でターンしてまでリフトを止めたことも、わざわざかかってきたあの電話でさえも、彼女の中では等しくノーカラットだというのに。

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