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些細なストレスに押しつぶされそうなときに読むnote

些細なことで普段気にも留めてなかった小さなストレスをマイクロストレスというらしい。

一つひとつは大したことはない。「渋滞に巻き込まれた。」「仕事で自分一人で挽回できるレベルの小さな失敗をした。」「部下を信頼できない」「経費で遊びまくる上司」「妻の料理がまずい。」「同級生のあの子が結婚したニュースを聞いた」「注文の多い客から電話がかかってきた」等々日常は小さなストレスにあふれている。

しかしこれらのマイクロストレスが束になって、手を変え品を変え襲ってきたときにそれの連続パンチでノックアウトされそうになる。

マイクロストレスは日常的にありふれているものだから、そもそも対策を取ろうとしない。脳はそもそも認識をしようとしていない。特に体調が弱っていたりなどすると日頃仕事で抱えている無数のストレスに、妻の小言が一つ加わるだけで心がボロボロになったような気持ちなる。やる気が奪われ、心の余裕もなくなり、自信もなくなり押しつぶされそうになってしまう。

ではどう対処すべきなのか。結論としては利害関係のない人とつながりを維持持することと、自分の思考のクセに気づくことの2つにあるのではないかと考える。

1.利害関係のない人とつながりを維持すること

優秀な人ほど仕事以外の人間関係を築く時間を無駄だと感じて仕事にフルコミットしがちになるが、家族、友人関係は自身の成功とともにどんどん失われ、ひとたび仕事の歯車が狂いだすと対処がわからなくなり、パフォーマンスの低下しだす。ただ単に仕事がうまくいっていないだけなのに、人生がうまくいっていないと思いがちになってしまう。

(1)昔の友人
学生時代から自身は文字通り成長し、人間としても誰よりも優れたものになっていると思いがちだが、友人たちも同様に成長をしている。昔話、馬鹿話で盛り上がる際にも彼らの現在の価値観、現在位置を知ることができ、過去から知る関係であると付き合った時間が、その価値観を理解するのを助けてくれる。結果自分を相対化して理解することができ、ストレスに対する理解も進むし、そのストレスも消えるように思える。

(2)社会人になって作る仲間
今現在知らない他者とつながる努力をし、年齢、経済状況、教育水準が違う人と関わりあうことで自身が何で悩んでいたのか見つめることができるようになる。その方法がスマホを活用すればいくらでもある。フットサル、ジョギング等スポーツコミュニティに所属しプレーすることで、幸せホルモンであるセロトニンを出しながら心を通わせるのもよい。またボランティア活動、SNSの趣味コミュニティ、マッチングアプリ等自分に合うものを探すことは昔よりすごく簡単になっている。蛇足になるがマッチングアプリが援助交際の場としても機能している人がいるのもこのマイクロストレスに本能的に対処しているのでないかと思っている。(私はつかっていないが。)

(3)会社の同僚との飲み会
仕事の人間関係であることは認識すべきだが、仕事上の悩み、愚痴ををきっかけに話題には事欠かずに構築できる仲間である。以前伝統的な日本企業に勤める私は同僚の負の言葉に引きづられるから会社の飲み会ほどつまらないものはないと考えていた。寄り集まって明日から主体的にやるわけでもないのに会社の愚痴や経営方針を語り合い、居酒屋、キャバクラを渡り歩くのは時間とカネの浪費以外何物でもないと考えていたが、このマイクロストレスと付き合うには有用なものであると考えが変化している。

2.自分の思考のクセに気づくこと

脳で情報処理をするにあたって知らない間に思考のクセにはまっていると思う。パターン化したほうが情報処理スピード早くなるが、結論も数パターンしかでなくなるため、ファクトを正確にとらえる考察ができていないように感じる時がある。私は営業組織に長く所属したせいか、割と相手の心を探りたがるような思考の仕方をしてしまう。相手が笑っていないため満足していないのではと勝手に論理を飛躍させる。現在の上司はレッテル貼りの思考パターンであり、対面後PRがうまくいったAさんは裁量を与えられ自由に仕事をしているが、関係構築に失敗したBさんは管理下に置かれ、その後の処遇は変わる見込みもない。私から見れば上司へのアプローチの方向性が違うだけで、営業パーソンとしての実力は同等のように見える。

なぜこんなことが起きるのか。やはり情報処理を早くするために築いた思考のクセに作った人自身が踊らされているためであるからだ。それはマイクロストレスの形成に大きくかかわっている。事実私の上司はBさんに対して何をするかわからないという得体のしれないストレスを感じていると思う。

著述家のモラ・アーロンズ=ミリの『「心配性の成功者」ほど陥りやすい思考の罠から抜け出し、不安を手なずける方法」』によると思考の罠(=クセ)とその対処として以下のものを挙げていた。

(1)全か無か思考
これは物事を白か黒かでとらえようとする傾向を表している。ある状況が自分からみて完璧でないときに完全な失敗とみなす人である。
たとえば接待の際に手土産を準備することを忘れてしまったから今日の接待は失敗だ(相手は手土産を準備しようとしていたことすら知らないのに)と思うようなイメージである。

これに対する対処としてモラは「全体がどうだったか」を評価すること、『「白か黒か」ではなく、「白も黒も」』と考えることが大切と記載している。ポジティブな面もあり、全体としてどうだったか、個別の事象ではなく目的は果たせたのか自身の思考の整理が必要となる。

(2)レッテル貼り
レッテル貼りは全か無か思考の極端な例が極端な形がレッテル貼りである。「Bさんはある商談で失敗した」から「Bさんは無能だ」という形に私の上司の頭は変換されていると思われる。しかし自身にたいしても同様のレッテル貼りをしており、「役員にならなければ負け犬だ」と思い込み、非常に強いストレスの中で働いていると思われる。自身以外誰も望んでいないのにである。

これに対する処置としてモラは「たった一つの誤った選択が、本当に自分がバカだという証拠になるんだろうか。もちろんそのようなことはない。」と言っている。本noteを書きながら思ったが、手書きででも自身の判断に至った根拠を書き留めることも有効だと思う。なぜ自身は負け犬だと思い込んでいるのか、だれが望んでいるのか、、と考え続けていくと自身の判断ほど再検証が必要なものはないように思われる。ぱっと考えてよく反省して、酒飲んで寝るのが一番だと思われてくる。

(3)結論の飛躍
相手の心の読みすぎや、先読みの誤りにより証拠、根拠がないにもかかわらず物事を判断してしまう傾向を指す。まさに普段の私で論理的な矛盾を無視して、相手の感情と判断を想定してしまい、勝手に不安になり、対処を考えてしまう。不安になると相手に対する提案および交渉の中で焦りが生まれ、勝手に自滅をしていくこともあった。

これに対する処置としてモラは『この思考の罠には、真実によって対抗できる。例えば、「私は他者の内面に通じているのか。自分は将来起こることが本当にわかっているのか」と自分に問いかけてみよう。また、これまで結論に飛び、結局は間違っていたとわかったときのことを思い出すのも有効だ。』と記載している。

思考のクセについて調べていくと自身の論理的ではない滑稽さに気づく。あほみたいなことで小さなストレスと抱えて、それが積みかさねることでマイクロストレスの山となり自身の心と体にダメージを与えるなんて、どうかしていると思う。

反省するときはしっかり反省する。反省したら身体を動かして幸せホルモンのセロトニンを出し、良い仲間とおいしいものを食べて、酒飲んで寝て明日にはリフレッシュした体で活動することが大切だと気づいた。

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