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【感想】二十五、二十一

大学入学まで暇を持て余している今、せっかく買ってもらったパソコンを使って何か文章を書いてみようと思い、パソコンを開いた。

最近の私は友達との約束がない限り、昼前に起きてきて韓ドラを観て寝るという日々を繰り返している。

長いことで有名な韓ドラだが、ネットフリックスシリーズは16話完結なので二日で観終わってしまう。

最終話を観るたびに、韓ドラ廃人は一旦やめて、外で運動でもしようと思うのだが、次の日には花粉ですべて面倒になって新しいドラマに手を出している。

「観る」というより、もはや「消化」しているのに近い。


そんな最近のお決まりのパターンで手を出した「二十五、二十一」だったわけだが、「すごくいい」という評判だけ薄っすら知っていたものの、あらすじは全く知らなかった。

ちらっと映った映像にいた5人がメインキャラクターだと思っていたので、最初にコロナ渦の娘と母親が出てきたときは意味が分からなかった。

娘が母親の昔の日記を読んでいくという設定。
ありきたりなわけではないが別に特別なわけでもない。
しかし、現代を生きる私たちにはなんだかすごく刺さるものがあると思う。

いないわけではないと思うが、手書きの日記をつける人は私の周りにはいない。
今回みたいに、主人公が日記を綴るタイプの作品を観たりしたときは、自分もやってみたい衝動に駆られて、一時的に日常を綴ってみたりするが、それも手書きで綴るのではなく、スマホで打ち込んでいた。

そして、あくまで私個人の場合だが、スマホで書くと、公開するわけでもないのになぜか外向きの顔になってしまって、結局ただその日のスケジュールを振り返るだけになってしまったり、ツイッターなんかに載せるような発言でとどまってしまう。

ヒドのように感情を思いのまま綴ったりはできなかった。

あと、今書いていて思ったが、手書きだとその日の感情がそのまま文字にも表れるから、振り返るときにその日がより鮮明に感じ取れて面白いかもしれない。


少し話が逸れたが、そんな、ありのままで、時に相手に伝えることのできなかったヒドの感情が好きであると同時に、切なさを増していたが、最後は本当に良かった(ネタバレかもしれないので言わないが、本当によかった)


そして、コロナ渦に高校3年間を送った私は、感情さえもマスクで隠すように生きていたと、今は思う。
空気を読んで、相手が求めるものを察して、馬鹿みたいに何かを追うことを嫌って、自分のことがよくわからなかった。

だから、何かに夢中になれて、感情のままに生きて、好きならば好きと、嫌いならばとことん嫌いだと、言葉にも行動にも表現できるヒドたちの高校生活がなんだか羨ましく感じた。

青春は、美しくて輝かしい、人生を彩る記憶であるべきだ。
そう思わせてくれる作品だった。


すごく良かったことを伝えたいのに、すごく良かったとしか言えないのがもどかしい。
本当にいい作品だった。


受験が終わってから狂ったように観ている韓ドラだが、今のところ全部アタリを引いているようだ。

あと、私が以前観たことのあるナムジュヒョクは、自らもスポーツ選手でありつつスポーツ選手の彼女がいたり(恋のゴールドメダル)、記者だったり(まぶしくて)と、なんだか本作と共通点のある設定だったので勝手に愛着が湧いた。


公開するほどの感想でも日記でもないが、これもいつか自分が楽しめる過去になると思って投稿しようと思う。
どうか、黒歴史にだけはならないことを祈って。

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