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石橋叩いてるの、誰?

今までやったことないことや
今やっていることを変えないといけないこと、
それから
変えたいと思うこととかあったら どうしてる?

 石橋、叩いてたりする?
若いころの私は、石橋は叩きながら走ってた
叩き壊しながら走り去っちゃうほうが
なんだかかっこよかったり
スカッとしたりしてたけど
同時に、けがもした。

 50代半ばになるとこの先がもうクリアになってきたので
石橋は叩かなくてもよくなってく。
 橋を渡った先をぼーーーっと眺めたら
なんとなく「いける」「むり」がわかる
そんなことがわかってくると
橋を渡っているときの景色や音や風の流れを
肌で感じられてつらくてもむしろ楽しい。

きっと、その橋、渡ってた時にけがした人は
その体験から
「つぎからはちゃんと橋、叩かないと!」
って 振り返って
その次には、いくらか叩きながら
「よし!」って 思って渡るもの。
 (ときどきまた同じことして同じ怪けがする人もいるけれど)
 そうやって叩きどころを理解しながら 渡るもの。橋。 



けど、その「石橋」ってなに?
 石でできてる頑丈で、きっと
昔の人が作ってくれた橋だから
たくさんの人を渡したに違いない。
だから 後の人のために、
叩き割っていいなら叩き割ってほしいし
そのまま大切ならなにもせず、
むしろお掃除したりしてはどうかな。
それから 橋わたったらどうなったのかも
聞きたいから聴かせてあげて欲しいし
渡る寸前で川に落ちたら、
どうやって岸まではいあがったかも知りたい。

 これが、 「石橋を叩いて渡る」ストーリー
ていうか石橋叩く人へのお願い。
・・・ってわたしが勝手に言ってるだけ。

 でも、 石橋を叩き割ってしまったら
もう、橋、渡れない。なのに
どうしてそういう人が増えているのだろうって思ってしまう。
 けがしたくない? まちがった道に行きたくない?
 30歳を過ぎたくらいなら
もうだいたいわかるんじゃないかな?
どの橋を渡ったとしても
やりなおしの方法を知ってさえいれば なんにも怖くないから。

今までやったことないことや
今やっていることを変えないといけないこと、
それから
変えたいと思うこととかあったら
石橋叩いてないで。
石橋を渡るのが目的ではなかったはず。
その向こうに行きたかったはず。


 ていうか、
その石橋 どこへ連れてってくれるんだろう。


あなたは どこへ行きたい? 



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