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霊能者が語る 妻とのあの世日記 第98 回 「あの世を楽しむには」

「あの世は楽しいのかね?」
「何、そんな何かに気づいたような言い方して」
「死ぬ前は死にたくないって考えて、楽しいこともっとやるんだと頑張るけど。死後の世界の方が楽しいとか思う人が増えていったら、早よ死ぬ人増えるんかなとか思うやん」
「何を基準で楽しいと思うかよ」
「自分のやりたいことが無限にできると楽しい、と思う人はおるやろね」
「思うだけで努力もなしになんでも可能、ってなったらどう?」
「それが楽しいと思う人もおるやろ」
「それは、人生苦労してるから楽しいと思うわけで、生きてる時からそうなってたら死んだ後に楽しいと思うかしら」
「つまり、生きてる時に苦労してる人はあの世で楽しめる可能性があるけど、生きてる時にそんな苦労してない人はあの世であえて苦労する過程を楽しむ可能性があるってことかいな」
「苦労してない人ってこの世にいるのかわかんないけど」
「その辺は比較的苦労が少ない人と多い人がいるけど、同じ苦労でも楽しいと感じる人はいるよね」
「あなたみたいにね」
「楽しいと思ってるわけじゃないが、そういう流れが来るだけやが」
「でも、苦労した後に得られる結果が楽しいでしょ」
「それはある程度の人間に共通してることではないかね」
「不自由を感じるほどに自由が手に入った瞬間の開放感はあるかもしれないけど、それが楽しさに繋がるかどうかは人次第よね」
「何でもかんでも、すぐできるとなると。僕はあの世ですぐにネタ切れして暇になりそうな気がするがね」
「すぐあの世2にでも行けばいいじゃない」
「でも、なんかこう、自由を満喫して飽き飽きしたいというのもある」
「この世を楽しむセンスがないと、あの世は楽しめないと思うわよ」
「そんなもんなん?」
「起こる出来事に、どう対処するかでなんか楽しいとか楽しくないとか決まるじゃない」
「仕事でクレームが入った時、クレームをいかに謝って許してもらうか、とか考えてる時とか。
妻の介護と仕事と猫の世話とか同時に来た時に、どうやって全てを行うかとか、なんかギリギリに追い込まれると楽しさが出てくる性格ではあるね」
「追い込まれて楽しいとか正気じゃないわね」
「楽しいというか、生きてる実感が湧くというか、自分を試せるというか」
「そんな気分で介護されてたの?」
「陰鬱に妻の死を感じながら影で悲しみつつやってた方がええかね」
「それも嫌だわ」
「前向きに、どんな状態でも「少しでも良い方向」に選択することができるなら無理もするが」
「あなたの場合は、その段階に入ると援助がくるものね」
「タイさんたちの手助けもほんとギリギリで入ってありがたかったし」
「両親の引っ越しもそうよね」
「そのタイミングだったから、今でも隣から飯もらってるし外出中の猫を任せられるけど」
「現実の世界で、何が自分が楽しいか知っておくとあの世でも楽しめるんじゃないの?」
「それがわからないで死んだ場合は?」
「その人生の中でも、何か楽しい記憶はあるはずでしょう」
「楽しいというか、生きてる実感みたいなのやろ」
「それを感じる時を楽しいと思うか、願いが叶う時を楽しいと思うか、その辺よくわからないわね」
「で、実際死んでみてどうなん?」
「私は、楽しいのかな?不満はないけど満足してるわけでもないみたいな」
「なんか微妙な言い方やね」
「ここではなんでもできることで、自分の本当の何かを見つける感じがあるし」
「じゃあ、楽しくて面白くてワクワクするけど、何か足りないものがあるのを感じる世界ってのがあの世なんかね」
「あの世1だとそうじゃないの」
「でも楽しいと」
「思ったことすぐできるし」

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