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1:雨

 もう1週間以上になるだろうか。だらだらと黒く汚れたアスファルトを、タール状に溶かしているかの様な雨が降り続いている。
埃で覆われていた窓ガラスも、伝って落ちる雨垂れと、たまに打ちつけられた雨で飴細工越しのように景色を歪める。

 雨が嫌いなわけではない。
ビル、道路、標識、信号…全てが降り注ぐ水で浄化されているような気がする。
植物という植物は、街路樹から雑草まで命を吹き返すような力強さもある。
雨上がりは空気も清浄化された、ような気がするし、太陽の光をあらためて愛おしく思える。

 しかし、長雨は駄目だ。

 長雨は余計過ぎるのだ。降り注ぐその絶え間ない雨粒は、世界を覆ったメッキに傷と穴を開け、水溜まりから溢れた水流が浸食する。
きれいに整形された世界の正体が、姿を現してしまう。

 結実がその蝶番の歪んだドアを、ギギィと生物の鳴き声のような音を立てながら開けた時、遵は分かりやすく苛ついていた。
 窓を睨みつけながら、散らかったカウンターテーブル上の、僅かな空きスペースを指で叩いていて、開いたドアの方を振り返りもしない。

 面倒な男だ。結実は部屋に入ってすぐ、二人がけのバーテーブルに、階下の郵便受けに溜まった封書類を置き、部屋を出ようとした。

「出よう、車で来たんだろ」
 呼び止める声に振り返ると、遵が右の口角だけを上げた嫌な笑いを浮かべていた。
「どこに行くの、こんな雨に」
 結実の問いかけに、わざとらしくため息をつく。
「雨だからだよ。雨だから出てくるんだよ」
 答えにならない応えを返しながら、身支度を整えていく。最後に奥の引き出しから、小さな包を取り出し、上着の内ポケットに入れた。その様子を見て、結実はこれ以上の答えは望めない事と、その雨だからこその用事に付き合わされるであろう自分の運命を悟る。
「車、濡れないとこに回して来る」

 あれは病気だ、結実は思った。こんな雨の日だから出てくる病気があるんだ。
湿気に満ちたコンクリートの階段は、結実の足音を高く響かせた。

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