その死は、悲しさに満ちていない。

6月22日。

故郷の祖父が亡くなった知らせが入った。95歳、老衰ではなく弱った心臓からの肺水腫のようだ。

癌だった私の祖母を見送って24年。祖父の人生に想いを馳せながら昨日という1日を過ごしたが、なんてあっぱれな人生だろうと思い至った。

私はこれまで身内も何人か、実家の犬も亡くした。その度に姿を見ていなくても、心が停止して涙が出て止まらなくなった。         しかし今回は、涙が出ない。悲しみに心を捉えられもしない。その代わりに、なんて素晴らしい人生だろうと…。顔を見ていないのもあるかもしれないが、それにしてもこんなことは初めてだ。

故郷で農家を営んでいた祖父は、3人の子供の父である。私から見てふたりの叔父と、母である。生まれてから死ぬまで一つ屋根の下で暮らした寡黙な叔父、大学を中退してから鬱病を発症し今に至る叔父、私にとっては人間として最低だと断言できる母。体は健康でも、穏やかではない面はある。しかし、気にしたり悩んだりする様子はなく常に自分のペースを崩さなかった。何があっても突き放したりはせず、次会えば何事もなかったかのようにふるまう。そもそも気にしている様子がない。それでも、頼られるとちゃんと応えてくれる。そんな器の大きさがあった。

農家を営み、叔父夫婦とうまく行かなかった時期もあった。叔父夫婦が家を出て離農する話もあったらしい。そこまでこじれていたのに、それを乗り越えて農家を経営し続け、最期まで叔父夫婦と一緒に暮らした。

鬱病の叔父のために突然平屋の家を買うと言って住宅メーカーと話を勝手につけていたり、高齢になっても車を運転していたり、80代になってからパソコンを始めたり、周りがびっくりするような豪快(悪く言えば軽率)な性格だった。おまけに亡くなるまで、好物のいくらやたらこを食べ続けたというのにも舌を巻く。

男性は妻を亡くすと弱ると言うが、お互いを必要としていた祖母が亡くなってからは更にパワーアップしてアクティブになった。そこから24年元気に生きて、周りの心配を見事に跳ね除けた。

苦労もあったはずなのに、そんな様子を微塵も感じさせなかった祖父。2年前最後に会った時には祖父は93歳になっていたが、80代の頃よりむしろ若返っており、整えられた黒髪にわずかに混じるシルバーが落ち着きを感じさせた。そして穏やかに「俺の母は90歳で亡くなった。その年を超えることができて、ここまで生かしてもらって、本当にありがたい。あとはいつお迎えが来てもいい。」と語った。

いつも誰かが寄り添う。人に干渉せず自分の人生を生きる。たとえそこに自分の労力やお金が動いても、決して他者を支配しようとしない。やるべき仕事をし、時には子供のように大胆な行動に出るが、責任はちゃんと自分で取れる能力がある。顔を見れば、充実した人生を感じ取れる。幸運にも病気にまとわりつかれても一瞬で跳ね除けることもできた。

素晴らしい人生とは、人生を全うするとはこういうことなのだ。祖父が最期に教えてくれた。

もう私がやり残すことがなかった。人生の最後を見据えた姿を見ることができたし、必要なものは全て祖父自身が自分で持っていたから。私にも後悔がないから、きっと穏やかに祖父の人生に想いを馳せることができたのだと思う。願わくば私も、こんなふうに去りたい。

ありがとう、おじいちゃん。合掌。





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