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パワーバランスの世界を生きてた

小さい時からパワーバランスみたいなものに敏感で。保育園の時点でヒエラルキーの中で必死にサバイバルしてました。

カタカナが多くて、ルー大柴みたいですが…
結構、切実でした。

苦しくて「よくみんなこんなしんどい中で平気でいるなぁ」と常々思っていたけど。
大人になって話してみたら、「小さい時にそこまで考えたことない」と複数人から聞いて衝撃を受けました。

物心ついたときからヒエラルキーを感じていたからこそ、パワーバランスがない世界を逆に知りません。

だから「自分に価値があるかないか」が、その時のポジションで決まってしまうような気がして。
いらない判定されてしまうことが、恐ろしくて恐ろしくてしょうがなかったです。

だけど、”いない方がいいと思われること”と”自分の価値がない”ということは=じゃなくて。
ただその人と合わないだけなんだということが最近やっと腑に落ちました。
頭で人と比較したり欠点が大きくみえたりして、勝手に劣等感を感じてるだけでした。

逆に私が嫌いな人も私が嫌いなだけで、価値がないわけじゃない。
基本的にみんな価値があるから、逆に自分にも価値があるんだ、と。

…価値って言い方が、倫理的に正しいかは微妙ですが。パワーバランスの世界にいたらほんとに”価値”って感じだったんですよね。

やっと自分に力が戻ってきた気がします。

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