病気に主導権をにぎられている
今の私は、双極症に主導権をにぎられている。
後になって落ちるのが怖いから、誘いを断る。出来そうなことを諦める。無理をしないように自分を抑えて抑えて生活する。
期待や希望を持たないように、日々を生きる。
いずれ落ちないために、今のうちに低いところで息をして生活をしておく。
虚しい、毎日がとても虚しい。
そんなことをしている割には、時が来れば、あっさりと落ちる。
すべてを終わらせたい気持ちに押しつぶされそうな日々が始まる。
ここでも病気は主導権をにぎっていて、あっちへこっちへ私を揺さぶる。
そしてやっとその沼から抜け出したかと思えば、また元の、抑えに抑えた、虚しい生活。
こんな風にいのちを回して、生きていると言えるのだろうか。
人は、何かを見つけて、そこに情熱を燃やして、生きていけるものではないのか。
悔しい、悔しい、
主導権を奪われてなるものか。
このままでは私がなくなってしまう。
ときめきが消えてしまった今、病気にではなく、私に主導権をにぎらせてあげなければ。
自分の「これが心地良い」「こっちへ行きたい」の声を、聞いてあげなければ。
「それは無理だよ」と言って、行く手を阻んでいるのは、私のこころではなく、病気の方だ。
いつもは難しくても、時にはえいやっと、それを押しのけてみてもよいのではないか。
「無理しない」の檻の中で、実は私は膝を抱えて泣いていた。
無理しないのは大事なことだけれど、自分を、抑え込んでまでする「無理しない」は、苦しい。
うまくまとまらない。どうしたら良いのかもわからない。
ただ、今抱えている虚しさの正体が、少しだけわかった気がする。
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