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信念を貫くことの難しさ

最近みたドラマで、こんなものがあった。

ある政治家が汚職に手を染めてしまったが、主人公たちの手によって悪事が暴かれたため、心を入れ替え、政治家として人々のためになる政治を行っていく。というストーリーだった。

よくある話の流れではあるが、なんとなく心に引っかかるものがあった。

最初に政治家になろうと決意した際には、志高く、きっとたくさんの良い政策を思い描いていたに違いない。

しかし、政治家として過ごしていくうちに周りの環境に流され、周囲の人たちに影響され、私利私欲のために政治を行ってしまったのだろう。

渡辺和子さんが書かれた「現代の忘れもの」という本があるのだが、その中でこんな一節がある。

「教師になることは、それほど難しくないけれども、来る日も来る日も真の教師であり続けることは必ずしもやさしいことではありません。」

これはどの職業でも同じだと思うのだが、自分の好きな職業に就くという以上に、その職業を最初に志した想いを貫き通すことは難しい。

私は、普段看護師として病院で働いている。

もともと看護師を目指した理由は、患者さんに寄り添える、優しい看護師になりたいと想ったからだ。

しかし、看護師としての経験年数が増えるうちに、最初に目指した看護師像からはどんどんかけ離れていっている気がする。

普段の忙しい業務の中で、私が目指していた優しい看護師であり続けられているだろうか。

とても胸をはって「出来ている」とは言えないのが正直な感想だ。

それはきっと、実際に自分が看護師になって、それまで見えなかったものが見えてきたからだと思う。

例えば、私でいえば看護師に患者さんとの関わり以外に、たくさんのものがあることを知らなかった。

委員会活動や、他職種との連携の多さ、看護研究、命を相手にする責任の重さ、癖が強い患者さんや医師との関わり、日々進歩する医療についての勉強、何も自分で出来なかったときの無力感・・・

数えだしたらきりがない。

きっと、ほかの職業でも同じようなことは起きているのではないだろうか。


目指した職業と実際の現場とのギャップを感じてなお、最初の志を貫ける人は、一体何人くらいいるのだろうか。

私は、残念ながら貫き通すことが出来なかった。

しかし、今回、このドラマを通して、久しぶりに昔読んだ本の一節を思い出すことが出来、改めて自分の仕事について考えることが出来た。

今日これから初心を忘れず、どうして看護師になろうと思ったのか、もう一度胸に刻み、日々看護師として努めていきたい。


〈引用文献〉

渡辺和子著:現代の忘れもの,株式会社日本看護協会出版,2015,p.91

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