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プラスの言葉ほど。

ようやく梅雨が明けたらあっという間に猛暑で、7月も折り返しに入りました。

私が民間企業に就職することを決めたときに、noteにこのように綴っていました。

「いつかまたどこかで、子どもの成長に関わることができたら嬉しいなっていう気持ちは、これからも持ち続けていたいと思っています。」

それからほんの半年ほどたった卒業前、所属するアマチュア吹奏楽団の方からお声がかかりました。
「指導者がいなくて困っている小学校の金管バンドがあるんだけど行ってみない?」
声をかけてくれた方は私が教員を目指していたことや、小学校にボランティアに行っていたことは知らず、ただ私がトランペット奏者だからという理由で声をかけてくれました。
「子どもの成長に関わる」機会がこんなに早くも訪れるとは思わず驚きましたが、引き受けてみることにしました。
就職して自分の生活が少し落ち着いてきて、6月から時々小学生と一緒に楽器を吹いています。“部活動”の地域移行ってこういうことなのかな?(小学校だけと) まさか自分がその地域側に立つとは思っていませんでしたが、教えることで自分の技術を見直す機会にもなるし、何より音楽を楽しむ子どもたちを応援したいし、続けてみることにしています。


さて、一方で黙々と事務作業をすることは意外と嫌いじゃないもので、順調に(多分)お仕事を覚えて対応できる範囲も増えていっています。近くに同期はいるものの同じ業務をする新人は私の他にいないので、習得スピードを比べられるようなこともなく、それが安心でもありちょっと不安でもあり…というような現状です。

大人の世界では、ミスなく物事を進められることが当たり前。ミスがなければ文字通り事務的に、仕事は流れていきます。
できているのが当たり前、ミスがあったときだけ指摘される(理不尽に怒ってくる人とかはいないよ!)というような場所にいると、私ちゃんとできてるのかなあ…と不安になってくることもあります。特に私のお仕事は、基本的にみんなそれぞれのパソコンに向かっているので、その中で誰が何をしているのかはパッと見よくわかりません。例えいつもより多い量の業務を、なんとか工夫してうまく終わらせたとしても、結果としてはいつも通り処理できた、というだけです。最初の方はそれで不安になることも多かったけど、今は何も言われないのは出来てる証!と思うことにします。

褒められて嬉しかった経験といえば色々あります。でも、この人褒めるのめちゃくちゃ上手いなあ…と思ったのは教育実習の指導教員の方でした。(上から目線ですみません。たくさん褒めてもらって嬉しくて、自覚しながらも手のひらの上で転がされていました。)
授業のあとの反省会で、反省点よりもまず良かったところをストレートに伝えてくれる。「あの場面、あれは良かったねえ〜見てても面白かったよ。」と。そしてその上で、「あの時のあの場面も同じように良くするにはどうしたらいいか考えてみて?」と。
褒められていい気になったまま自分の改善点を前向きに考えることができる瞬間でした。

褒めてもらいたい!ってわけではないのだけど、できていたらそれが普通、という世界に入ってみて、社会って意外とそうだよなあと思いました。
思い返してみるとバイトで後輩を育てるときとか、私もあんまり褒めることができていなかったかもしれないなあと。ミスとか、ちょっと変えてほしいなってところは自然と伝える流れになるんだけど、できている=場が回るなので、それ以上気にしなくなってしまうんですよね。
ということは教育実習のとき、私のことを目一杯褒めて指導してくれたあの先生は、ものすごく意識して人を褒めているんだと思うんですよね。そして、日常的に意識して褒めてきたからこそ、褒めスキルがとんでもなく高かったのだと思います。
お仕事に限らず、人との関係において何も嫌なこと、困ることがないというのはきっと近くの人が小さな努力をしてくれたおかげなのだと思います。マイナスがないということはその時点で実はプラスなことなのだけど、なかなか気が付きにくいものです。感謝とか、よかったとか、そういう気持ちは意識して伝えて行きたいなと考えたのでした。

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