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23-24 年末年始

年末年始で感じて書き留めていたことを少しだけ、、。言葉として残しておくこと、そしてそれを自分だけで閉じないことも大事だなと思ったので、2024年はまたnoteで書き記していきたいなあ🐾

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怒涛の年末年始が終わろうとしてる

実家では存分に羽を広げさせてもらった。みんなが私の帰りを気にかけて待っててくれている。私のワガママを何でも聞いてくれる。懐かしいやり取りがそこにある(変わってない様に見えるけど必ず変わってはいる)

帰る場所があるっていいなあとしみじみ感じた。と同時に、このタイミングで東京に出て一人暮らしをして良かったなあともしみじみ感じた。

帰ることで、今の自分を客観視できるようになる。偏ってた見方に気付くことができる。それはたぶん、見失ってた自分の魅力を取り戻すor維持するためにも必要なことのようだ。のり先生やみゆちん、はやとんと会って、みんな自身にそれぞれ変化はあるのだけれど、私との関係性は変わっていない。のり先生にとっての私はかつての私だし、私にとってのり先生という存在は小6から変わらない。この矛盾な感じが不思議だったけれど、めちゃくちゃ大切だとも思った。

今回の帰省を通じて、「離れているから頑張れる」の意味が少し分かった気がする。もし私が、社会人になっても実家暮らしだったら。見えなかった景色や感情もたくさんあるんだろうな。社会人として東京で働く私の顔と、家族の前の顔は違うから、それを毎日コロコロ切り替えなきゃいけなかったら、それはそれで疲れるんだろうな。家族との関係性も変わっちゃうんだろうな。
離れてるからこそ、家族という存在の有り難みを実感できて、それをきちんと伝えなきゃと思う。自分や家族に甘えず、仕事に対して一生懸命になれる(これは、比較的家族の優先度が高い私と、私に対する干渉度合いが比較的高い原田家が故だからだろう)。長期休暇くらいの頻度が互いにとって丁度良いのかもしれない。

前回の帰省時と明らかに違うのは、東京に帰ることへの躊躇いが小さくなったことだ。それはたぶん、東京にも大切に思えたり、「会いたい」と思える存在できた証拠だと思う。
でもやっぱり、離れ際は涙が溢れる。今日私が帰ることをみんな承知しつつ、「寂しいね」という素直な感情を出さないところが、私の家族の不器用なところであり、素敵なところなのだ。ものすごく心配しているし、私のこと全てを知りたいと思ってるであろう父親が、色々話しかけてくるあの感じもいつもだ。聞かれるこちら側が照れ臭くなるし、なんだか答えづらい。もっと素直になれたら楽なんだろうけど、まあこれはきっとずっと変わらない。

私には帰ってくる場所がある。私を私として受け入れてくれる人たちがいる。これはとても心強いくて有り難いことだ。嬉しい。感謝したい。
だから、今の私にやれることはすべてやろう。色々吸収して、オモロい景色や現象をいっぱい見てやろう。それがきっとみんなにとっての幸せにもなるんだから!

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