イノベーションと安全性
先日、家で過ごしているときに、ふとHBO制作のチェルノブイリというドラマがAmazon Prime Video(スターチャンネル)に出てきた。このドラマは1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故を基に作られている全5回のミニシリーズで、2019年のエミー賞を受賞、様々なメディアで傑作と言われている。今コロナで不要不急の外出は控えているので、一気に観れた。
凄まじい描写に言葉を失った。これは、できるだけ多くの人に見てほしい作品だ。そして、国際原子力事象評価尺度(International Nuclear and Radiological Event Scaleを略しINESと呼ぶ)で最も深刻であるレベル7とされた事故は、このチェルノブイリと福島第一原子力発電所事故であることを思い出した。
あの事故から9年、Fukushima50という映画が全国で上映されている。
演出の好き嫌いはあると感じたが、少なくともあの時あの場所で何が起きていたのか理解が進む作品だった。
こうして2つの作品に触れ、これらの事故について、そしてこれらの事故から学ぶことを残したい。原子力の恐ろしさと共に生きている人間として、自分ができる最大の貢献は、忘れないことだと思ったからだ。
誰が悪いのか
1986年4月26日1時23分、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉で大きな爆発が起こった。史上最悪とも言われる事故の始まりであり、地球上最も危険な場所となったのである。
Chernobyl Nuclear Power Plant showing the sarcophagus. (Chernobyl, Ukraine),Copyright: IAEA Imagebank, Photo Credit: Vadim Mouchkin / IAEA
事故直後、現場責任者たちは「今回の爆発は非常用タンクの爆発であり、原子炉そのものが壊れたものではない」と言い張った。当初は政府の党員たちもその言葉を聞き”ただの化学爆発による火事”程度にしか捉えておらず、街を封鎖してこの事故を隠そうとすらしていた。しかし、チェルノブイリ原子力発電所事故の調査委員会責任者となったヴァレリー・レガソフ博士が、事故報告の”黒い鉛”という描写から異変に気づいた。なぜなら黒鉛は炉心で減速材として使う物質であるため、それが地上に散乱しているということは、すなわち炉心が爆発してむき出しとなっている証拠だといえるからだ。再度4号炉付近の測定を行うと、大量の放射性物質が周囲を汚染しているとわかった。IAEAの試算では、この放射性降下物の量は広島に投下された原爆のおよそ400倍とされている。
この事故の原因は現場での作業ミス、および当時のソ連政府の隠蔽体質にもあると指摘をしている。当時チェルノブイリ原発では、RBMK形式のソ連独自で開発した原子炉を使っていた。その欠陥について、ヴァレリー博士の元同僚の研究者が「極限状況下のRBMK炉について」という論文で指摘をしていたが、政府はその内容を隠蔽していたという。マニュアル通りに運転していれば安全であるが、現場監督者が不安定な状態にも関わらず実験を強行したことが引き金となり、原子炉が爆発を起こしたのだ。
その後、チェルノブイリ原発の所長、技師長、現場監督者が裁判にかけられた。彼らの過失として証言されたのは、原発の安全性テストを怠って原発の稼働を始めたこと、稼働の後からテストを行い何度も失敗していること、そして事故当日に原子炉を低出力の極限状態にし無理やりテストをしたこと。しかし、もし現場監督者が隠蔽された原子炉の欠陥について事前に知ることができたら、この事故は起こったのだろうか。この欠陥を隠蔽した政府は、このウソの代償をどう捉えるのだろうか。
津波は予測できていた
チェルノブイリ原発事故から約25年後、2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が起きた。福島第一原子力発電所のある大熊町は震度6強の揺れが発生、その約50分後、高さ約15mもの津波が発電所を襲った。非常用ディーゼル発電機だけでなく様々な電気設備が損傷し、発電所は全電源を喪失した。それにより原子炉にある核燃料の冷却ができず、核燃料が自らの熱で溶け出し、原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起きたのである。しかしこのまま原子炉内が制御できずにいると、炉心ごと爆発する恐れがある。そこで現場にいるプラントエンジニアは、真っ暗闇のなか、格納容器内の蒸気を外に逃がす操作(ベント)を行い、格納容器の圧力を下げた。いつどんな暴走をするかわからない原子炉の中で、大量の放射性物質の危険に晒されながら、彼らは自らの手でレバーを回しに向かったのだ。福島第一原発の人々は、このベントだけでなく消防車や海水からの給水活動を続けた。しかしメルトダウンの影響で1〜3号機は水素が大量発生。1・3・4号機はガス爆発を起こし、原子炉建屋やタービン建屋を含む施設が大破した。
Visit to the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant, Copyright: IAEA Imagebank, Photo Credit: Giovanni Verlini / IAEA
もしもあの時何かの判断を誤って、または何かの自然災害で、チェルノブイリのように福島第一原発の原子炉自体が爆発していたら、大量の放射性物質により半径250kmは避難区域となる可能性がある。北は秋田・岩手まで、南は東京のほぼ全域までだ。そう、私が今住んでいる東京の大都会は、一瞬にして廃墟と化したかもしれない。
実は福島でもチェルノブイリ同様、事故の3年前である2008年に津波対策不十分の危険性は報告されていた。2002年の試算を修正し、福島第1原発の5~6号機に来る津波が10.2メートル、防波堤南側からの遡上高は15.7メートルという結果をまとめたのだ。しかしその時福島ではプルサーマル推進という大きなプロジェクトを進めており、この試算結果がすぐに表向きにならなかった可能性が高い。プルサーマルとは、使用済核燃料の中に残るプルトニウムを取り出して燃料とし、通常の原発で使用することを指す。この取り組みについても様々な危険性が示唆されているが、2010年8月にはプルサーマル発電を福島第一原発3号機でも実施し始めた。その後、2011年3月7日。東電から保安院へ、津波の試算結果を報告した。震災のちょうど4日前であった。そしてその試算を証明するかのごとく、津波は来たのだ。
さて、福島ではなにが悪かったのか。津波後の東電や政府の対応が不十分だったのか。40年前の建設時に海抜10mの設備を作り、防波堤近くに非常用ディーゼル発電機を置いたことが誤りだったのか。3年前に津波対策の必要性を知りながらもすぐに着手しなかった東電はこの事故をどう捉えていたのだろうか。優先順位の付け方が悪いのだろうか。そもそも原子力発電を行うこと自体が悪いのだろうか。
誰かを悪者すると、人は少し安心する。しかし、この悲惨な事故を見て、簡単に誰かを悪者にすることはできるのだろうか。国を、組織を、責任者を糾弾することで、この事態は少しでも良くなるのだろうか。
原子力と経済の脅威
チェルノブイリと福島、どちらもINESレベル7の事故であるが、経緯・原因・結果・事後処理などは大きく異なる。その上で共通することは3つだ。1つ目は非常に深刻なレベルの原子力事故であること、2つ目はある特殊な状況で原子炉をコントロールができなくなったこと、そして3つ目は事前に危険性が一部には認知されていたことだ。
通常、原子力発電所は幾層もの制御の砦をもった仕組みになっている。更に、実際運転に関わる人々はそれぞれの分野で高い技術力を持ち、細かくマニュアル化もされている。しかし、チェルノブイリは安全性に関する実験を強行したこと、福島は想像を超えた大津波による電源喪失など、設計当初に想定するのは不可能なくらい特殊な状況にあった。もちろん、どれだけ対策をしていても、原子炉が安全だと言い切れることはない。
原子力発電の技術は、原子核の物理学から生まれたイノベーションだ。人々のいう”化学反応”とは桁違いのエネルギー生む。原子力発電所では、ウランを燃料とし、人工的に制御しながら核分裂の連鎖反応を起こしている。その際に発生するエネルギーから、タービンを回し電力を生み出す仕組みだ。その核分裂をすることで、ヨウ素やセシウムなどの原子核が出てくる。それらはすべて放射性同位体である。通常、放射性廃棄物として処理されるが、原発事故ではこれらが大気中に放出されてしまう。この放射性物質が問題なのである。
チェルノブイリでは「放射性物質は目に見えない弾丸である」と説明していた。その"弾丸"を致死量まで浴びると、「人の皮膚を貫通し、細胞をも破壊する。内蔵も破壊し、細胞の死体である膿が体中に溜まり、麻酔を打っても効かず、想像を絶する痛みが人を襲う。そして100%の確率で3週間以内に死が訪れる」という。あくまでこれは爆発直後、炉心付近で作業をしていた人たちへの影響だ。あとから分かる話だが、チェルノブイリ原発の近隣住民の一部は、原子炉の爆発をまるで花火のように見物して楽しんだ。見通しの良い橋へ行き、その爆発を眺めた。その橋に行った人たちは全員死亡し、それ以来死の橋と呼ばれているらしい。また、数十キロ離れていたとしても、汚染物質による癌や白血病などの誘発など、放射性物質の被害は計り知れない。チェルノブイリでは事後処理として石館の建設や除染に約60万人が従事した。福島は、廃炉約5000人・除染約19000人もの人々が現在も従事しており、作業完了までにはあと約25-35年かかるという。
Chernobyl disaster: 30 years later,Photo Credit: Bert Kaufmann
また、これらの事故による被害は、放射線測定器だけで測れるものではない。チェルノブイリでは、事後発生の翌日、発電所の街・プリピャチの住民約12万人が避難をした。避難時は、「数日の避難なので、最低限のものしか持たないように」と言われたが、結果的に二度と戻れない場所となってしまった。福島でも、約5万人が避難し約8割が未だに帰れずにいる。放射性物質の影響ではなく、生活環境が激変による精神的苦痛で自殺や他の病などの問題も浮上している。これだけ大勢の人々が、当たり前のように今まで生活していた場所を失ったショックを、一体どうやって測るのだろうか。
チェルノブイリでは、RBMK形式の原子炉に対する危険性を認知していたのに、一体なぜすぐに着手できなかったのだろうか。作品では、問題とされる制御システムがなぜこの状態なのかと問われたときに、ヴァレリー博士はこう言ったー「Because it is cheaper.(だってその方が安いから)」。
福島でも同様に、津波の高さの新しい試算が出されていたにもかかわらず、なぜすぐに進めなかったのだろうか。これもチェルノブイリと同様、目の前の経済原理が働いていた可能性が高い。いつ来るかもわからない津波対策よりも、輸入でしか手に入らない廃棄も大変で高価な燃料から脱却するため、使用済核燃料から生み出せる新燃料を推進することを先に進めたかったのかもしれない。もしかしたら、それを進めないと別の危機が起こっていたかもしれない。
もちろん、実際の理由は不明である。経済の理由だけではなく、隠蔽の体質に追いやった組織文化かもしれない。または、単に毎日降り掛かる意思決定の一つにすぎないだけかもしれない。あるいは、今の私では想像もつかない理由かもしれない。いずれの場合でも、原発事故が一度起きてしまうと取り返しがつかない結果になることは事実だ。
本当の脅威は放射性物質なのだろうか。それとも、それを扱う人間を取り巻く経済なのだろうか。
イノベーションと安全性
しかし我々は、このイノベーションのすべてを否定できるのか。
プリピャチは、チェルノブイリ原子力発電所の運行開始に合わせて1970年に作られた非常に新しい町だった。平均年齢が20代半ばであり、原発作業員の給料は当時のソ連の平均給料の4倍ほどもあったという。娯楽施設も多数あり、インフラが整備されたプリピャチは、ソ連の中でも最も裕福な町のひとつだった。
福島原発の街はどうだろう。Fukushima50の映画の中で、原発の建設前後での街の豊かさの変化も描かれていた。原発関連の職業は、その街を代表する職業の1つであったことは想像できる。少なくとも事故が起こるまでは、地域の雇用を支えていたのではないか。
Fukushima Daichi Nuclear Power Station. (Fukushima, Japan),Photo Credit: Tokyo Electric Power Co., TEPCO
また、電気を当たり前のように使っていた我々は、原子力による恩恵を少なからず受けていた。石炭や石油などの化石燃料を使った火力発電だけではなく、原子力発電により豊かになった側面も否定できない。この世に原子力発電がなかった場合、気候変動など別の問題が深刻化した可能性はないのだろうか。報道は大きくないが、日本で稼働中の石炭火力発電所から排出される微細粒子物質とオゾンで、毎年1,117人の死亡原因になっていると推定されている。累計ではない、毎年だ。
ここで理解すべきは、もちろん発電所種類別の被害を比較することではない。原子力のような人智を超えた巨大な力を発見し活用するとき、どれだけ制御の設計をしても、そしてその制御が通常有効だとしても、常に安全に配慮をしないと、極限状況下で暴走することがあるという事実だ。このイノベーションと安全性のバランスを考えた技術革新や活用の意思決定は、難しいという言葉では表しきれない。毎日積み重ねる決定が本当に正しかったのかどうかは、未来から振り返らないとわからない。
広義の意味で、AI(人工知能)も似たような構造だと考える。ほとんどの場合危険度は低く、人間が作り出したものは常に人間がコントロールする。人類を脅かすなんてSFを信じすぎているのではと思うことだってある。しかし、安全よりも利益を優先するのか、何か重要なことが重なり選択を迫られるのか、何かのきっかけで特殊な環境生み出されると、それらが制御不能になることはあるだろう。だからといって”AIの活用をしない”ことには、どこか違和感を覚える。
わたしたちはこれからも常に、イノベーションと安全のバランスに向き合いながら生きていくのだ。今の世の中は、今の豊かさは、当たり前じゃない。
新たな技術の兆し
昨年11月にNetflixオリジナルシリーズでINSIDE BILL'S BRAINというビル・ゲイツのドキュメンタリーが公開された。Microsoftの創業ストーリーはもちろん、ビル&メリンダ・ゲイツ財団が立ち向かう地球規模の課題に圧倒される作品だ。
そのシリーズでも詳しく触れているが、ビルはTerraPowerという次世代型原子炉の研究開発を行う企業への出資や取り組みを語った。この次世代型原子炉は現在問題となっている放射性廃棄物である劣化ウランを使って発電をする。更に、水や電気を使わずに液体金属とエア循環で原子炉の冷却を行う。つまり自然災害などが起こっても、人や電気の介入をせず原子炉を冷却し安全に保つことできるというのだ。米中貿易摩擦の影響など困難も多く、未だ実現はしていないが、今までの犠牲を無駄にせず安全な原子炉を作れる可能性を感じた。
私は、原子力について素人である。しかし、その革新的な技術によって恩恵を受けている人の一人であり、同時に痛みに共感している人の一人である。だからこそ、このタイミングで原発事故の悲惨さを理解する作品に出会えて良かったと思う。
また今回は原発事故の作品紹介なのでそこに焦点をあてたが、原子力発電所についてはエネルギー問題全体を考えないと語ることはできない。今後はエネルギー問題および気候変動から原子力を考えていきたい。
最後に
チェルノブイリ原発事故で犠牲になった方々、東日本大震災及び福島原発事故で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。また、廃炉作業や除染処理をしてくださっている方々、原子力関係の研究者の方々、今こうして生きるためのエネルギーを作ってくれている発電所の方々、稼働せずとも原子炉を支えてくれている発電所の方々、そして発電所を支えている地域の方々に心より感謝致します。
以下に参考にした本やサイトなどを貼っていきます。原子力やエネルギーに関して、専門の方々のコメントや見るべき書籍などあれば教えていただきたいです。
・各種wikipediaと引用元リンク(ありすぎるので割愛)
・【ウクライナ】チェルノブイリから4kmのゴーストタウン・プリピャチに見る原発事故の恐ろしさ。
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