将来の夢〜少年時代編〜
ある人に影響されて、日に日に忘れていく心の記憶を記録していこうと思いました。
僕が、初めて夢を持ったのは、
たぶん世間の中では早い方で、物心ついた5歳〜6歳くらいだったと思います。
今でも覚えているのは、テレビやゲームが大好きで、テレビの中で楽しそうにしている人たちを見て、漠然とこんなふうになりたい!
って思ってました。
それは、有名になりたいとかお金が欲しいとか、そんなものよりもとにかく
楽しそうに生きている大人がカッコイイ
と、感じてたんだと思います。
子どもながらに、街を怖い形相やしんどそうにしている大人になりたくない、なんて思ってたんだと思います。
そう思うと、なんだか30年経っても変わらないな、なんて思います。
だから、やけに小学校の時も目立ちたがりで、人と違うことをしたりして注目されるのが好きだったように思います。
ダンスも当時ではめずらしく、小5の時から習いはじめました。
あとは家ではよくテレビを見ながら歌ってました。
特に何も努力せずに、歌の発表ではチヤホヤされたものだから才能あるかも、なんて調子に乗ってました。
僕は、低学年の時前まで勉強もスポーツも出来なくて、何も自信持てずにいたんですが、歌が救ってれたのを覚えてます。
そこから、少しだけ頑張れば状況が変わっていくということを知りました。
とにかく芸能人になりたくて、当時は劇団に入るのが近道のように思えて応募もたくさんしましたが、
ことごとくお金がかかるから、と親父に止められて断念していたのを覚えてます。
中1になるくらいの頃、少しだけモテ始めました。
本当に少しです。けしてイケメンではなかったのですが、不細工ではないという自信は何故かありました。
なので、調子に乗ってジャニーズに応募したりしました。歌もダンスもやってたのもあって。
結論、結構イイとこまでいきました。
8時だJというTV番組のオーディションで、1万人の中から300人に選ばれ、最終的にJr.候補というところまで行きました。
ジャニーさんにも会ったし、話したし、すごく興奮した日々だったのを覚えてます。
横浜アリーナでキンキのバックを1曲だけ踊りました。休憩時間のご飯はハンバーガー2個でした。
ただ、サンチェ先生、という人のレッスンが鬼ほど厳しくて、当時帰宅部だった僕は途中でついていけず、呼ばれなくなってしまいました、、、。
ちなみにその時に選ばれたのは、
長谷川潤さん、田中聖さんなどでした。
今でも、V6のcan do can goという曲を聴くと、胸が熱くなるものがあります。
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