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自分らしい人生を生きること

自分らしく生きるって、年を重ねるほど難しいなあと思う。

世の中にはいろんなタブーがあるし、差別もある。日々のSNSを眺めていると、誰が正しくて、何が間違っているのかわからなくなる時がある。そのジャッジは時に近しい友人へ、時に自分へ向いてしまうこともある。

その判断は正解か、間違いか。

答えはなくて、ただ「その人がその人らしく生きるための決断ならば正解とも言える」のかなとこの頃思う。それは、私がこのnoteで扱う、産む・産まない選択に関しても言えることだ。

このnoteは、中絶を決意した女性が、人に話せない悩みや不安を乗り越える時、自分の経験を元にした発信がその一助になればいいと思って始めた。

私は自分らしい生き方、幸せについて考え抜いた上で「産まない」選択をしたんだけど、その作業ってとても濃密で大仕事だった。社会的タブーも、家族の意見すらも一度置いておいて、私はどう生きていきたいだろうと問いかける時間になった。初めてその時自分と向き合ったかも。人の視線って気になるわりに、正しい判断をじゃまするものだなと、やっと少し気づいた。

「産んだほうがいいのか、中絶するべきか」と相談をもらうときも、その大切さを感じる。

自分が幸せになれそうだと思う方を選んでください!といつも伝えている。本当にその言葉に尽きるんだ。

自分らしく生きる(自分にとっての幸せを考える)って、シンプルな言葉だけど簡単じゃない。時には覚悟を決めないと、選択できないことだ。というかそういうことの連続だ。

一人として同じ人がいないこの世の中だからこそ、その人らしさも十人十色。幸せの在り方も、人それぞれ。

それでも人はたまに、その一番純粋な部分を見落として、違う選択を否定したり、あるものをないように語ってしまう。

最近思うのは、人の言葉に耳を傾けること。それができる世の中にもっとなってほしい。私自身も、もっとできるようになりたい。傾聴することで、価値観や考え方、生き方を共有するのはとても豊かなことなはず。

一人ひとりが幸せであろうとすることが、こんなにも大変で一生仕事だとは生まれた時思わなかったぞ!

自分らしい人生を歩むことがなかなか難しいならば、この世界、今の社会でよりよくできる部分がまだまだあるということでもあると思う。

どうか、日々の小さな決断も、一つひとつが自分らしいものでありますように。その選択を互いに認め合える世の中になりますように。

最後までお読みいただきありがとうございました。一個人の記録ですが、どなたかの力になったら幸いです。