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ずっと書き続けて、「自分を信じる」ことは能力を信じることだとわかった。

こんばんは。こっさんです。

ここ最近、ずっと寝ていました。実は事情があって働けなくて少し休んでいたのですが、久しぶりに勤務してみたら結構疲れて「自分はこんな疲れることを毎日やっていたのか」と思いました。小学生か中学生の頃、教科書に
「寿司!風呂!寝る!」と妻に言っている夫のイラストがあったのですが、それの20代男性版になっていましたわけです。それはいいとして
ヘトヘトだったので働いて寝るを繰り返していましたが、この度書きたい欲が出てきたので本日は存分に書かせてもらいます。

さて昨今「自信」という言葉をよく耳にしますが、今回は自分の経験を通して「自信を持つ」ということはどういうことなのか、その意味について考えてみたいと思います。



1.「自分の能力とは何か?」ということについて考えていた時期


4年前に大学を卒業した自分は何もかもやる気が無くてフリーターになり、これから先どうやって生きていこうか悩んでいました。他の人を見ると自己分析をして就職をした人が殆どでしたが、自分の場合は自分が何をしてどんな能力を身につけてきたのかもわからず、毎日寝るだけでした。

また、自分がこういうことをしてきたのに全く違う生き方を家族から提案されることがあって、そういうときに腹が立ったのは覚えています。というより、今もあまり変わっていない部分かもしれません。なんで自分のやってきた経験や知識を全部帳消しにするような生き方をしないといけないんだと。言い換えると、「お前のやってきたことは、全て無駄だった」ということです。このようなことがあって、家族と身内には自分の生き方を話さなくなりました。

その後「そういや小学生の頃からブログを書いていたし、よく作文を褒められてたな~」という経験を思いだして、こうやってnoteで文章を書き始めました。しかし他人から言われたことを元に始めたので、今でも自分に書く才能があるかなんてわかりません。自分の能力が高いのか低いのか、それは後からわかるのかもしれませんが、基本的には見えない物なのかもしれません。

2.能力を信じて突き進むということ


たまにやる気が出て無くしてを繰り返し、もう3年程経とうとしています。結局、自分の能力について全然わかりません。ただ、唯一わかったことが自信という物が「何かの目標に向かって突き進むときに持つ意志」だということ。

前述の通り、自分の能力は最初何も見えません。でも、それをぼんやりとでも見えるようにするために必要なのは他人からの評価です。他人からどう見られているかを聞いて、自分の見えないものを見えるようにすることによって自分も「こういう能力があります」と胸を張って言えるのではないでしょうか。

今の自分というのは、他人から何も言われることがありません。多分一番必要なのは、評価を得て「能力」という物を自分から見えるようにすることだと。自分を信じるって「相手にはわかるが、自分は何もかもわからない。そんな物を持ちながら進んでいく」という、案外難しいことなのだとこの数年で感じました。


もはや自分でも何を言ってるかさっぱりわからなくなってきたので、この辺で終わりにしたいと思います。ああ眠たい、ねむねむにゃんこー。。

では、次はいつ更新できるかわかりませんがこの辺で。おやすみなさ~い。

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