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合理的配慮?ユニバーサルデザイン?考え方や支援の工夫?・・・どっち?


〇〇〇について、合理的配慮をお願いしたみたけれど無理だそうです。
がっかりした顔でため息ついて、お母さんはおっしゃいます。

合理的配慮って何ですか? 

なんだかなあ・・・切ない母の気持ちが伝わってきます。

そのたびにmarukoは伝えます・・・お母さんに。


合理的配慮ってね、必要な配慮だからお願いするんだけど、全部が受け入れてもらえるわけではないのよ。

仮に、申し出た配慮事項が個人には必要だとしても、状況や環境が整っていなくて学級や学校の負担が大きいと思われたら「合理的配慮」の受け入れは難しいのが現状です。気持ちはわかりあえても、お互いの条件が合わなさすぎると配慮は難しいということなのです。

と言いつつ、私の心はもやもやしています。

「お願いする立場と、お願いされる立場」
「配慮する立場と、配慮される立場」

ひょっとしたら、お願いされた先生も もやもやしていらっしゃるのかもしれませんね。



合理的配慮とユニバーサルデザインとは

①合理的配慮
合理的配慮とは、障がい者から何らかの助けを求める意思表示があった場合、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のこと。
  ①学校が行う必要かつ適当な変更及び調整
  ②障害のある子に対し、その状況に応じて、個別に必要とされるもの
  ③学校に対し均衡に過度な負担を課さないもの

②ユニバーサルデザイン
「すべての人のためのデザイン」を意味し、年齢や障害の有無などに関わらず、最初からできるだけ多くの人が利用可能であるようにデザインすること。(例 自動ドア、歩道公園出入り口の段差解消、料金投入口の大きい自動販売機、点字がついたアルコール飲料缶、センサー式蛇口、ピクトグラム(絵文字)等々。



定期テストの合理的配慮

3年前
中学生Aさんは、読字困難、書字困難を併せ持っていました。
定期テストの問題文を読んで理解することが難しいタイプです。
文章は小2までの漢字とひらがなを拾い読みの範囲内で理解していました。

Aさん親子は「テストにルビをお願いできますか?」と学校にお願いしました。主治医から合理的配慮として、やってもらえると助言されたからです。

Aさんは主治医の助言のもと、ルビ付きテストと別室でのテスト実施を学校にお願いしました。Aさんは、黙読より音読の方がわかりやすい特性を持っていましたので、できれば別室テストにしてもらえるとありがたいと思っていたからです。

学校から、ルビ付きのテストも別室でのテストも難しいとの返答がありました。ルビ付きのテストは今まで前例がなかったし、別室用の教師の数を増やさなくてはいけないから無理とのことでした。

お母さんは、テストは自分が学校に出向いてルビを振るのでお願いしたいと再度、粘り強くお願いに行かれました。

幸いにも、私の知っている先生が勤めておられましたので、これからの時代には必要になってくる問題であることと生徒の前向きな気持ちに寄り添うという意味からの支援を学校でも話題にしてほしいとお願いしました。

最終的に、ルビ付きテストと別室テストを受け入れていただけたわけですが友人の先生曰く「そうやってもテストの成績は変わらなかったらしいけどね」と・・・後日は、そういう話題になっていたのですね。

違います!
テストの成績を上げるのが目的ではありません。
「漢字を読めずに取り組むテスト」と「漢字が読める=文章を読んでて取り組むテスト」では大きな大きな違いがあります。

Aさんは言っていました。
ルビがあったおかげで、文章全体を読んで内容に取り組めたことがうれしかったと! わかります。ひらがなの拾い読みだけでは文章の意味はわかりませんから。

Aさんに尋ねてみました。
教室に自分と同じタイプかなと思う生徒はいない? と。

いるよ。わからないように隠してはいるけどね。
きっと、そうだろうなとは思っている。自分だって、今まで誰にも言ってこなかったしね。

日常生活も運動もコミュニケーションも問題なく過ごしながら、学習への困り感をだれにも意思表示できずにいる生徒がいます。

Aさん親子は「先生方もお忙しい中、テストにルビを振ってくださったり、授業のない先生が別室テストに付き合ってくださったり、ありがたいことでしたね」と話し合いました。担任の先生もいろいろと心遣いしてくださったようです。



定期テストのユニバーサルデザイン

先ほどの「合理的配慮」は、Aさん個人に対して行われた配慮でしたが、これをユニバーサルデザインとしての視点でとらえたらどうでしょう。

書字、読字に困難な児童生徒やグレーゾーンの生徒が一定数いることを前提に、わかりやすいルビ付きテストも用意されていたらどうでしょうか?

市販の教材使用の学校では、ルビ付きテストの使用もしていただけたら・・
先生独自のテスト作成にはルビ付きの文章ソフトを取り入れたら・・・
支援員の先生に、支援の一環で「テストのルビふり」をお願いできたら・・

今までを変えることは、とてもとても大変なことかもしれませんが、タブレット端末が一人一人にある時代になりました。
ユニバーサルデザインの7原則から工夫していただけないでしょうか。
 ①だれでも公平に利用できること
 ②いろいろな方法を自由に選べること
 ③使い方が簡単ですぐわかること
 ④うっかりミスや危険につながらないデザインになっていること(安全)
 ⑤無理な姿勢をとることなく、少ない力でも楽に利用できること
 ⑥使いやすい寸法・デザインになっていること
 ⑦使いやすい広さや大きさ(空間)


ルビつきテストがあれば、個人で合理的配慮とお願いしなくてもすみます。

漢字を読むのが苦手な生徒も文章を読めるという点においては公平です。

ルビありテスト、ルビなしテストを選べます。
「どっちがいい?」聞かれたら、今まで言い出せなかったボーダーラインで学習に困り感を抱いていた児童や生徒も選ぶかもしれません。

不公平ではありません。自分の意志と責任でどちらかの様式を選ぶのです。

漢字の読み書きの能力テスト以外でしたら、ルビつき大丈夫ですよね。


漢字小テストの工夫

漢字の読み書きが苦手な子がいると、私が認識したのは40年前の頃です。

やっとLD学習障害という言葉が使われるようになった頃で、読字書字困難ディスレクシアという言葉はまだ耳にしていませんでした。私が耳にしだしたのは、20年ぐらい後のことです。


小学1年生のBさんは、周りにとても気のきく活発な子でした。ドッチボールも鉄棒も上手でリーダーでした。物知りで発表もよくしました。

ひらがなもきれいに書けました。

でも、音読は苦手でした。

2学期になり漢字が出てきました。漢字も上手に書けました。

でも、漢字のテストはできないのです。1文字も書けないのです。

私は、ふしぎでふしぎでたまりませんでした。なぜなら、知的な学習の遅れがあるとは感じていませんでしたから。

私は、ドリルの漢字を見て書く漢字テストをしてみました。
書けるのです!見て書くテストは100点です。

私は、Bさんが漢字を覚えることが苦手なのだとやっと認識しましたが、調べても理由はさっぱりわからず、20年近く「ふしぎさ」を抱えていました。

大なり小なり、漢字が苦手な子はいます。
以来、私はどの学年を受け持っても「漢字視写テスト」を取り入れるようになりました。

1回目の漢字テストは「漢字をよく見て書くテスト」です。
見て書くのですから、とめ、はね、はらいには厳しくしますが、子どもたちには評判がよく、文字を観察する注意力も養われたと思います。

2回目、3回目は、どちらがよいか自分で選びます。
漢字小テストは正しく書けたら1問10点 合計100点
漢字視写テストは、1問5点 合計50点ですが、点数はつけずOKサインがもらえます。

自分で考えてどちらかを選び、挑戦したり、慎重にしたり、、個人目標を決めてがんばりました。

学期末の大きいテストは、もちろん視写テストなしです。ここは、実力勝負です。

視写漢字テストの方法は受け持つどの学年にも好評でしたが、
同僚に話しても、あまり興味を持ってもらえませんでした。
私のように、衝撃的な大きなドキリに出会ってなかったからだと思います。


書字困難を持つ中学生のAくんは、
国語の先生が「がんばって練習してきてね」と優しく声をかけてくれるので、苦手な漢字テスト勉強を頑張れると言っていました。国語の先生はA君の担任でした。漢字テストの考慮はなかったけれど、先生は言葉かけを工夫してくださっていたと思います。
5問の漢字を1時間かけて何度も何度も練習しました。10問なら2時間です。
この担任の先生のさりげない励ましの言葉がAさんの努力につながっていると思いました。


思うこと

学校におけるユニバーサルデザインとは、どの子にも公平に取り組みやすい工夫なのだと私は思います。

ユニバーサルデザインの考え方が進んでいけば、合理的配慮は少なくなっていくのだと思います。

同時に、誰から見ても合理的配慮だとわかる支援も必要です。子どもたちは、大人の支援の様子を見て、障害への理解や支援の方法を学ぶからです。それに、はっきりとした支援が当事者の子を守るために必要なこともあるからです。

学校では、さりげない支援はっきりとわかる支援の両方が必要です。

学校で困り感を抱く子どもたちにとって効果的なことが、まわりの子どもたちにとってはもっと効果的に生かされている事が多々あります。



marukoの独り言


仕事でも遊びでも、相手があると早めに計画し念入りに確かめて時間に余裕を持つ。なぜなら、急な変更でも対応できるように慌てないようにあらゆることを想定し安心して臨みたいから。

なのに、自分のことはぐだぐだ、ぎりぎりセーフ!の繰り返し!
なんなんだろう・・・まっ、いいか・・・自分のことだから・・

自分を信じることと同じくらい、あきらめも大切かもしれないよね・・。

と、言いながら思いながら、私は私を優しく見ている。よきかな。

次回は 11月2日(水)



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