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生れ出づる悩み

 学校は年度末である。進級、卒業、そして新しく入学してくる生徒たち。毎年繰り返されるこの慌ただしくも神経を使う時期(美容学校においては国家試験の受験期間真っ最中であり 余計にピリピリしている)に、それは起きた。
 ある生徒から発された質問。私はその若者の顔をマジマジと見つめた。その生徒は張り詰めた毎日の中、『どうして人間は生きているのか? なんで頑張らないといけないのか?』ということにブチ当たってしまったらしい。
 おっと。指導者として偉そうに長年学校に勤めているのだから、こんなことにもちゃんとした答えを出してあげなきゃいけない。この類の疑問に対する私なりの考えを以下述べてみる。

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 生き物としての観点だけなら 人間がこの世に生まれる理由は、ヒトという種を存続させるためのプロセスに過ぎない。しかし仏教の教えなのか誰かの名言なのかは覚えていないが『誰かが何処かで生まれることは偶然ではなく必然であり、その人それぞれ必ずなんらかの役目がある・・・』みたいなことを主張する向きもあったりするが、そんなものは自分が生まれた意味が欲しい人がひねり出した屁理屈だと言えば叱られるだろうか。

 TVにもレギュラーで出演している著名な学者で大学教授でもある池田清彦氏は、『生きることに意味などない』とハッキリ言っておられるが、自分が生きる意味を探しあぐね、迷いに迷う人々にとっては池田先生の主張は一つの答えになるのかもしれない。しかしその後の長い人生を生きることについては、意味がないとは私は思わない。よって大変尊敬している方ではあるがその部分では賛成できない。

 ヴィクトール・E・フランクルは、精神科医で心理学者であると同時に ナチスによる強制収容所からの生還者でもある。
 フランクルは言った。

そもそも
我々が人生の意味を
問うてはいけません。

我々は人生に
問われている立場であり

我々が人生の答えを
出さなければならないのです。

 たかが人間ごときが人生の意味など問えるわけがなく、問われているのは逆に私たち人間の方だとフランクルは言う。まさにその通りだと思う。元々意味なく生まれて来た我々は、『さあ、この世に生まれたお前はこの人生をどう生きるのだ?』と答えを求められているのである。生きていく中でどんな価値を見つけるのか? 何を生み出すのか? 誰のためにどうするのか? 禅問答のようだがこれらのことを探し続けることこそ生きる意味なのだと思う。

 運良く探すものが見つけられた者は良いが、そんなに簡単にはいかないだろう。しかし容易くはないとしても我々はそれを見つけるために、もがき続けなければならないと思えるのである。

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