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月見バーガー by McDonald's

 マクドナルドの月見バーガーのCMがいい。あぁぁ、、、と溜息が出る。何より『孤独のグルメ』の松重豊さん、上手いなぁ。あのCMでは娘役の方とのセリフの絡みというものは無くって、父娘がそれぞれ独り言を言うだけだけど、松重さんはもちろん、娘さんの方も、表情だけで微妙な関係を上手く演じている。
 のめり込みやすい私はCMの父娘の世界に入ってしまった。あの場面に至るまでの経緯を勝手に想定して、これまた勝手にそれぞれの気持ちがわかったつもりになるから、冒頭のような溜息になるのだ。以下はそんな妄想から生まれた物語である。

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 幼い頃から友達にズルをされたりしてもそれに気づかないような 少しボーっとしたところがあった遥(はるか)。そんな遥は嘘をついたり自分だけが得をするようなことはしない子だった。子供ながらに正義感だけは強かったから、近所のいじめられっ子を年上の子供からかばったりして 反対に泣かされて帰って来ることも幾度かあった。そんな時はいつも絶対的な味方である母美晴(みはる)のエプロンにすがって離れなかったものだった。

 もちろんそんな少女も周りの子供達同様 大きくなっていったが、遥の成長の大部分は優しく頼りになる母の影響ばかりが大きかった。なぜなら父である豊(ゆたか)は、遥が小さな頃からあまり娘とは接点がなかったからだ。仕事の関係上、土日が休みではなかったし、毎日豊の帰りは幼い娘が眠りにつく時間より遅いことが多かった。豊はそんな毎日にも申し訳なさはもちろん、疑問さえ持たなかった。

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 しかし運命の歯車は、いつの場合も状況を選ばない。ことあるごとに娘のことを気にかけてくれていた優しい母は、遥が小学校 4 年の時 40歳を前に、治る見込みのない病に侵されてしまった。子宮ガンだった。

 遥がこの後 父と二人きりになることを思うと、美晴は心がねじ切れそうになったが、色々と考えた末に娘には自分の病気のこと、またこの先の生活のことをきちんと話しておかないといけないと思い、豊も同席してもらって娘に正直に話す覚悟を決めた。

 遥は泣いた。泣いて母に抱きつき、イヤだとかぶりを振った。

 しかしそんな遥の願いは届かず、美晴の身に奇跡は起きなかった。日増しに日常生活が困難になっていく。入院治療のフェーズに入った闘病生活は、ゆっくりと しかし確実に一家の日常を壊していった。そして宣告からちょうど一年が経った秋、優しい母 そして愚痴ひとつ言わない妻は、遥に手を握られながら静かにその生涯を閉じた。

 妻が病院で亡くなるまでの数ヶ月は、豊に美晴の存在の大きさをイヤでも突きつけた。これまで妻に任せきりにしていた家事全般、また娘の学校のことなどを自分一人でやらなければならなくなった豊は、毎日の仕事を終えた後、洗濯や食事をはじめとする家事や、休みの日には買物や全く今まで知ることのなかった家の用事に完全に振り回された。それでも初めのうちは持ち帰った仕事をそれらを終えてからやろうとした。しかし何かをやめて新しいことを始めるならともかく、これまでの生活パターンを変えず、それら全てを単純にプラスするのは物理的に不可能なことだった。

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 豊はまだ 10 歳にもならない遥を抱え、親としてこの子を守り、育てなければならない。しかし寝不足がたたり、豊はそれまでしたこともないような仕事上のミスやポカを起こすようになった。さらに大事な得意先との約束をすっぽかしてしまったことがきっかけとなって、部下からも心配されるようになった。いや、心配されたというより信用されなくなったといった方が正しい。おまけに遥は家では全く口をきかなくなったし、豊と目も合わせなくなった。遥は母親が死んだのも、どこか父が母のことを大事にしてくれなかったからだと思っているらしかった。

 結局勤めていた会社において豊が与えられていた責任と業務は、気力だけではどうしようもなくなり、豊は 20 年以上勤めた会社を断腸の思いで退職することになった。

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 遥とは2人になってからは どこかに出かけることもほとんどなかったし、家にいてもお互いよそよそしい関係が続いた。

 そんな遥が高校 2 年の冬、家を出て大阪の美容学校に行きたいと言いだしたのだ。豊はその時だけは強く反対した。百歩譲って美容師はいい。しかしあんなボーッとしたのんびり屋の娘が、一人暮らしをすると考えただけで豊は胸のあたりがザワザワした。しかしいくら話をしたところで遥の思いは変わらない。
 ある日、とうとうあまりに一人暮らしを簡単に考えている遥に対し、勢いで強い口調になってしまった豊は、つい妻と交わした約束を口走ってしまった。『お前のことはくれぐれも頼むと言われているんだ。お前には一人暮らしなどさせられない。無理な話だ』と。遥は一瞬固まったが、その口から『何よ今さら!父さんは母さんのこと 全然見ていてくれなかったくせに!』という言葉が放たれた。
 豊は何も言い返せなかった。そしてそんなつもりは微塵もなかったのに、娘の前で不覚にも次から次へと涙がこぼれ落ちた。

 『すまなかった』。それだけをやっと言って豊は静かに一人寝室に行った。

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 『明日仕事で近くに寄るから顔見に行っていいか?』随分久しぶりに 遥にLINEを送った豊。返信があったのは翌日の昼だった。
 引越しの日以来の娘の住まい。(顔を見たらハンバーガーだけ渡して玄関で帰ろう)そう思っていた豊を『入って』と招き入れた遥。
 何も話さない遥と豊。父娘 2 人はハンバーガーを黙って食べた。『さて、じゃあ行くよ』そう言った豊を振り返った遥の頰にひとしずく涙がつたった。
 『父さん、あの時はゴメンね』『何が?』豊はとぼけたふりをする。(なんだ、コイツも気にしていたのか・・・)
 窓からは大きな月が 2 人を見ていた。


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