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隠れてしまった当代天才列伝

 数十年に一人、唯一無二の存在であることは間違いないのだが、同じ時代の同じステージに、数百年に一人のさらなる奇跡のような天才がいたことによって、その陰に隠れてしまったなぁと思う人を挙げてみます。当たり前ですが独断です。

ー尾崎亜美ー (天才➡︎ユーミン)
 この人が作り出すメロディラインはホント新しかった。化粧品メーカーのCMに起用されたこともあり、スマッシュヒットを立て続けに放った彼女は当時のJポップ界を駆け抜けた感がある。私の中では『ポップミュージックの天才』と称するに相応しい人である。名曲「オリビアを聞きながら」も彼女の作品の一つだが、もう一つ彼女の特筆すべき点はその声量であり歌唱力だ。少しかすれた声と相まって正に第一級だ。しかし同じ時代には、かのユーミンがいた! 尾崎亜美さんは一番になることなど狙っていなかったであろうが、ユーミンの牙城は堅牢であり、やはり一番にはなれなかった。
 「春の予感」や「マイ・ピュア・レディ」もよかったけど、私は彼女の声の伸びがよくわかる「蒼夜曲(セレナーデ)」が好きだった。知らない人にはオリジナルのトラックを聴いてほしいなぁと思う。

ー角田夏実ー (天才➡︎阿部詩)
 今の女子柔道界にあって、絞め技・関節技に関して角田夏実選手の右に出る者はいないと思う。女子軽量級においては、対戦する相手にとって最も嫌なタイプなのではなかろうか。巴投げという一見捨身の技から連続する巧みな絞め技や関節技は、相手を恐怖のどん底に陥れる。同じ52kg級で戦う、いわばアイドルの阿部詩選手との対戦成績では角田選手の方が勝っているのだが、阿部選手より身長が高く体格的には一回り大きく見える(失礼かな?)にも関わらず、自分がより軽い48kg級に転向したのは、メディアの露出度も高く、兄とともに何かと話題になる『阿部詩』というアイドルに道を譲るためだと私は勝手に思っている。

ー伊藤美誠・平野美宇・早田ひなー (天才➡︎同じくこの3人)
 ああ、もったいない。福原愛選手、また石川佳純選手の後の時代、女子卓球におけるこれら20歳の三つ巴はそれぞれがNO.1のスターになれる逸材だけに、お互いがこの後星のつぶしあいをすることになるだろう。10年、いや5年でいい。この3人が別の時代に生まれていたならば・・・。今は実績で早田選手は1ランク落ちるが、彼女はメンタルの部分を克服すれば、私は絶対今の何倍も強くなるはずだと思っている。
 ・・・しかし伊藤美誠選手は心身ともに強い。近いうちにランキングでも世界一になるだろう。

ー円谷幸吉ー (天才➡︎アベベ・ビキラ)
 他人からどう見られているかを気にし過ぎたといえばそれまでだが、そんな日本人特有の弱さを持ったアスリートを誰が責められようか。自衛隊に所属し、東京オリンピックで銅メダルを獲得した後の彼の運命は無惨という表現がピッタリなのではないだろうか? 「次(メキシコ五輪)は優勝を目指します」という東京五輪後の彼の言葉は、周りに言わされたのではあるまいか? 持病のヘルニアは手術しても、腰の調子は一向に回復の兆しが見えないのに、世間のプレッシャーだけがどんどん大きくなっていく。結局彼はそのはざまで頸動脈を剃刀で切る方法での自死を選んだ。
 律儀な円谷選手が遺した、家族や親類に対する細やかな心遣いにあふれた遺書の最後の部分には

『・・・(中略)父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました』

と締めくくられており、私は今でもこれを涙なしで読めない。彼はオリンピックを2連勝した天才アベベにというより、たとえ2位でも「敗れた」と表現するよう軽率で無責任なマスコミや、それに簡単に乗ってしまった民衆がかけてくる重圧の犠牲になったのだと思っている。

ー羽生善治ー (天才➡︎村山聡)
 実際棋士としての全盛期の羽生善治さんは強すぎる程に強かった。よく複数のタイトルを手に入れると「◯冠」といったりするが、彼は7冠までいったんじゃなかったのかな? だから羽生さんは「天才の影に隠れて埋もれた」というより彼こそ紛うことなき天才なのだが、その最強の羽生善治さんと、病身にありながら互角の対戦成績を残した棋士がいた。漫画・アニメ・実写化もされた、将棋という珍しいテーマで描かれた「3月のライオン」においては重要な登場人物の一人として描かれた、二海堂晴信のモデルであるといわれる村山聖九段である。
 「3月のライオン」とは別に、村山九段のリアルなドキュメンタリーである「聖の青春」という映画があった。ネフローゼによる高熱と膀胱ガンによって、座る姿勢を保つことさえ辛く、脂汗を流しながら将棋を指す村山聖九段(松山ケンイチさん)を前に、対戦する羽生善治(東出昌大さん)が、涙を流して戦いを続けるシーンには、映画館で私も泣けた。思考力に影響があってはいけないと、抗がん剤の投与も拒否するほど真っ直ぐに生きる聖の姿に、私自身が情けなくなったからだと思うが、あの描写にはまいってしまった。

 29歳で亡くなる際に村山九段が最後に遺した言葉は「2七銀」だったとのことだ。坂田三吉の「銀が泣いとる」と同じ「銀」である。

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