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有料トイレ

 昔は毎年のように夏の数日を過ごした信州に、何十年ぶりかで訪れた。当時かけ出しの美容師である身にとっては金は無いけど『ペンション』という最先端の宿泊施設に滞在する自分が嬉しかった。洋風の建物、フォークとナイフで食べる食事、私みたいな貧乏暮らしの若造にとって、まさにそこは別世界だった。屋根裏の天窓から星空を眺めて陶酔し、談話室に設置しているノートに記されている個人情報ダダ漏れの丸文字の書き込みを飽きもせず読み、自分もいいカッコして書いた。そんなペンションが一世を風靡したのは30年以上前になるのだろうか、これからバブルに向かう日本がとにかく勢いづいていた時代の産物だったには違いない。
 しかし清里の街を今グーグルで地図検索すると、当時あんなに賑わった駅前通りにも人影はまばらで、潰れたショップや朽ちた洋館が、寂しく当時を思い出させる。清里近辺にはペンション村と呼ばれた地帯が複数あった。中でも原村ペンションビレッジと呼ばれる一大集合地帯は第1と第2に分かれて展開しており、どちらにあるペンションにも宿泊した思い出がある。

 今回訪れたのは、当時から今に至るまで高級感という点において最上級のグレードを保っている軽井沢である。『軽井沢でテニス』などと言えば、金も時間も余裕もある生き方をしている 人生の成功者しか似合わないものだと思っていたが、テニスはともかく軽井沢は令和の今であっても変わらないイメージを持つ街だ。有名な温泉地にも近く(今回はこちらが目的だった)、正に上流階級の人々が訪れ また住まう地として実に相応しい。

 話はガラッと変わるが、ウチの学生の海外研修旅行の引率で毎年ヨーロッパを訪れていた頃、現地の街中で何度か有料トイレを利用したことがあった。私個人の尺度ながら、民度というものはトイレを見ればわかると思っている。例えば一流といわれるホテルのトイレは美しいものだ。掃除が徹底しているとか、掃除の間隔が短いとかといったことも関係するのかもしれないが、きっとトイレがきれいかどうかは使う人の民度によるのだと思う。例えば洗面台に水や髪が落ちれば自分で始末できる人種が集まっているから一流ホテルなのである。
 その視点で街を評価するなら、モードの発信地であるパリやローマの公衆トイレは、表現をはばかられるほどのレベルのものも幾度となく目にした。まともな公衆トイレにありつきたければ、ホテルや高級ショッピングモール等のものを使うか、有料トイレを使うかだ。入口に座っているお婆さんに料金を払い、個室に入る形式(紙が必要な時もそのお婆さんから買う)のものは観光地なんかに、また自販機タイプ(カプセル型のトイレの入口にコインを入れて扉を解錠する形式)のものは街中で、それぞれちょくちょく見かけたものだ。

 さて話を戻して本題に。なんとこの度訪れた軽井沢で有料トイレを見つけたのである。そこにあったのはヨーロッパにもある自販機タイプに近いものだったが、結論を先に言えばガッカリだった。なぜなら別に取り立ててきれいだとか設備がすごいとか、豪華であるとかというものでもなかったからだ。
 天下の軽井沢なんだから名工による清水焼の便座、トイレットペーパーは手漉きの美濃和紙、水洗の水は南フランスのペリエで・・・とは言わないが、なんかあるやろ〜? 有料なのに特に付加価値があるわけでもなくあまりに普通で、なんでこれが有料なんだ? と思った次第である。・・・と、こんな考え方をしてしまうことそのものが 卑しいし品が無くって軽井沢的ではない(笑)

 偉そうに海外の話を持ち出す私とて、数か国経験しただけで、もちろん全世界を知るわけはないが、およそ他国の公共心に比較し、日本人の民度は比較にならないほど高いと思う。きっと『普通の』有料トイレならば、日本には不用なんじゃないのかなぁ。

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