見出し画像

仏談 -不動明王-

 今年は息子が数えで25歳ということで、年が明けて間もなく厄祓いに行った。私の住まいから比較的近くにある、その方面では有名な古刹に息子を連れて行くことにしたのだ。新らしい年を迎えた私たちは童子像二体を従えた不動明王像の前で祈祷を受けた。通常仏像が複数のセットで祀られる場合は、おおよそその組み合わせが決まっている(お付きのものを脇侍または眷属と呼ぶ)。よくあるパターンを紹介してみよう。

◍中尊(組合せのセンター)が阿弥陀如来の場合
脇侍➡︎観音菩薩・勢至菩薩 のツイン菩薩。面白いのはこの二菩薩が阿弥陀さまの横に付く場合は、正座の状態から膝を少し伸ばして立ち上がりかけているような姿で合掌している姿であることが多い。この太ももがツリそうになる座り方には『大和座り』というちゃんとした名前がある。

◍中尊:薬師如来
脇侍➡︎日光菩薩・月光(がっこう)菩薩のこれもツインでお薬師さまに支える。実はこの薬師如来、別に十二神将という戦闘部隊である子分も配下にいるのだが、この武将たちのことは記載しなければいけない要素があまりに多く、ついでに語ることなどできないので、別枠で既に語ったところだ。よってここではその存在だけを紹介しておく。

◍中尊:文殊菩薩 
脇侍➡︎子供を含め何人ものお連れ様あり。ジジイたちやガキを従え獅子の背に乗るこの文殊菩薩がこの御一行のリーダーである。この団体にはちゃんと名前があり、『渡海文殊(とかいもんじゅ)』という。はるばる海を越えて団体で民のもとに来てくださるらしいのだが、なんだか仏像界の水戸黄門のように思えてくる。奈良県は阿部文殊院の寺宝であり国宝でもある渡海文殊の像たちの前に立てば、私には海が見えるような気がする、なんてね。

 本稿のテーマである不動明王に話を移そう。そもそも明王というものは、全宇宙の最高神とでも形容すべき『大日如来』の化身した姿なのであるが、あらゆる手立てを尽くしても教化されない、ひねくれた人間たちに対し、自分の姿を明王という異形に化身させて教え導こうとしているわけだ。だから明王はとにかく怒っているし、血圧が上がっているのか赤い顔をして、これまた真っ赤な火炎を背負っている。色んなミッションを持った様々な明王があるが、そのボスが不動明王である。全ての悪と煩悩をねじ伏せ、命あるものを救う。右手に悪を断ち切る剣を、左手に救済の索(さく。ロープのこと)を持つ姿は圧巻である。私はミナミに行った際には法善寺に足を運ぶことがよくあるが、あそこの石造りの『水かけ不動』はもちろん不動明王である。苔むしているのでお顔を見ることは叶わないが。

 さて仏像として不動明王と組み合わせられている像を紹介しようと思うが、これには2パターンある。まずは明王連合の長としてだ。5体の明王がサイコロの五の目のごとく並んで座っているパターンが1つ。真ん中に不動明王、その周囲に4体の明王が鎮座する。

⚫︎中央 - 不動明王 怒りで人々を救う
⚫︎東方 - 降三世(ごうざんぜ)明王 貪欲、怒り、迷いの「三毒」を降伏させる
⚫︎南方 - 軍荼利(ぐんだり)明王 あらゆる魔障を取り除き、煩悩を撃破する
⚫︎西方 - 大威徳(だいいとく)明王 死の神を表す青い水牛に乗る六足尊
⚫︎北方 - 金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王 煩悩を除き悪を懲らしめる

 京都は東寺の明王像群はとくに有名であるが、目が何個もあったり足や手が何本もある、どの像もなかなかの怪物ぶりだが、そんな『ほとけ界のバケモノ集団』のような明王ども束ねている親分が不動明王というわけである。そう考えるとなんだか有難いご利益がありそうに思えるではないか。

 不動明王像の今一つの脇侍として、二体の童子像がある。矜羯羅(こんがら)・制咜迦(せいたか)という名のついたこの子供は、親分である不動明王にそれぞれなんの働きをして仕えてるんだろうと思い調べてみても、さしたるネタは出てこない。はて、あの子らは何しとんねん? 私はここで推測してみた。もしかしたらこの2人は仏界の孤児であり、住み込みで明王さまのお世話をしながら修行しているのではないだろうか? 吉原でいうところの禿みたいなものか。大体の造像において、矜羯羅童子の方は気の弱そうなおとなしい子に、一方制咜迦童子は気の強い跳ねっ返りのように表されている。この孤児を不動明王は預かり育てながら教授しているの・・・かな?知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?