見出し画像

はるか五島へ

 親父が死んで何年も経つが、兄から親父名義の土地についての連絡があった。なんでも親父の生誕の地である五島列島にある小さな有人島の中に、親父名義のまま変更されていない不動産があるらしい。今なの?と思ったが、五島市によると、名義を変更しないことにはどうにもできないという。離島の小さな土地などその価値は知れているのだが、このまま放っとくわけにはいかない。この後誰も訪れることもないだろうし、ましてや住むことなどあり得ないのだが。
 不動産登記の書類は古い地名で親父の所有地が記載されており、グーグルで検索しても見つけられない。それでもとネットで次々探していく内、ある学者の論文の資料に古い地割が書かれた古地図を見つけ、やっと大まかな場所を把握した。なるほどここが親父の土地がある場所かと手を打つのと同時に、私の中である興味が生まれた。その論文は迫害から逃れるために、九州本土から五島列島に逃れなければならなかったキリシタンたちの住居と生活に関する調査記録だったのである。

 秀吉以後江戸幕府のキリスト教弾圧は惨さを増し、キリスト教徒を捕らえ拷問にかけた。棄教させるためだ。熱湯をかける、横向きの木材の角の上に正座をさせた上で石を抱かせる、逆さ吊りにする(頭に血がのぼって死なないように、こめかみに血抜きのための穴をあけて)、またあろうことか親の見ている前でこれらの拷問を幼い子供にも行った。映画『沈黙 -サイレンス-』は当時の状況が描かれている。
 原作者である遠藤周作氏が生前に残した「人間がこんなに哀しいのに、主よ 海があまりにも碧いのです」という碑文が長崎県の西海岸外海地区の海を見下ろす丘に建っている。今このことについて書くだけで私は涙が滲んでしまう。しかし多くのキリシタンは、命をも落としかねないほどの残忍この上ない責めにあいながら棄教しなかった。殉教すればパライソ(楽園)に行けると信じられていたからかもしれないが、私なら子供にそんなことをされようものなら、ものの3秒で降参するだろう。

 命と信仰を守るべく長崎県の西岸からはるか100kmも離れた五島列島に向け、夜の海に漕ぎ出した当時のキリシタンたちはどんな気持ちだったのだろうと思いを巡らせてみる。追手に見つかっては元も子もないから舟には灯りなどなく真っ暗闇の海である。やってみればわかるが、漆黒の闇の中で海に浮かぶ舟に乗るのは心底怖い。きっと身を守るための本能的な恐怖心なのだと思う。陸上においても暗闇の中で走ることは困難だが、舟の場合それに加えて木の板一枚下は深い海である。しかもその時代、舟は櫓(ろ)で漕ぐわけで、遥か遠くにかすかに見える五島の山の稜線のみを頼りにしたその舟行は、考えるだけで怖気付いてしまう。
 しかしやっと到着した五島での暮らしは、新参者にとってはまさに草の根を食み飢えをしのぐようなものであった。入江や平地は先住者である地元民が暮らしていたため、苦労の末その地にたどり着いたキリシタンたちは、峻険な崖や道の通っていないような山あいの荒地にしか住まいを定める場所がなかった。さらにそれらの人々は五島の地元民からは蔑まれ差別されたというが、これも排他的な僻地ならではの悲しい話である。

 さてその論文を読み、真っ先に思ったのは私自身が当時移住したキリシタンの末裔ではないのか?ということだ(なぜかそうでありたいと思った)。そう考えるとにわかに自分の出自を知りたくなり、私は自分の先祖をたどる作業を行うことにした。役所に問い合わせしたりやりとりをしてわかったのだが、有難いことに我が国では役所に規定の書類を数種類提出しさえすれば『遡れるだけ遡って全ての謄本をほしい』という個人の希望を叶えてくれるということだ。かなり待ったが、忘れた頃に父方母方両方の戸籍・除籍謄本の分厚い束が郵送されてきた。ざっと見るにおよそ200年前からの血の繋がりが記された書類たちを前に、私はこれを元に家系図を作成する計画を立てた。

 あくまで戸籍からわかる範囲であることであるものの、残念ながら私は、少なくとも19世紀以降に長崎から命をかけて五島に逃れたキリシタンの末裔ではなかった。また色々調べる内に令和のこの世にあって、長崎県内には未だにカクレキリシタンと呼ばれる生活様式を保っている人々の一群が存在することも知った。詳しくは避けるが、元はカトリック教徒であった人々がその信心を隠さねばならなかった『潜伏キリシタン』と呼ばれる時代を経て、明治初期には禁教が解けたことでようやく自分達の信じるものを公表できることになった。当然潜伏キリシタンの多くは涙の喜びと共にはれてカトリック教徒を名乗った。しかしそれまでの潜伏時代は250年にも及んだ歴史がある。その年月は潜伏した形での信仰を独自の文化として形づくっていくことになったのだが、10世代近くにわたり伝えられてきた信仰のスタイルである。簡単には捨てられないと思う人たちがいても不思議ではない。祖父や父に繰り返し教わった儀式や祈りの言葉は、カトリックや仏教の形式が合わさったような独自ものだが、今日もそのスタイルを続けておられるこれらの方々のことは、今後詳しく知りたいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?