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ガラスの交友関係

 2年制である我が校に集う生徒は、学校全体で見ると毎年全生徒の半数が入れ替わることになる。例年卒業式の1ヶ月後、新しい生徒を迎え入れながら今年の生徒たちはどんな子どもたちかなぁ?などと考えたりするのが春の定例である。学年が1つ違うだけで生徒たちの特徴が大きく変わることはないが、5年,10年隔たると明らかに違ってくる。正確には生徒一人一人が変わってくるというより、ある気質を持った生徒の割合がジワジワ変わってくるのだと思う。もちろん育った環境が大きいことは間違いない。では最近はどんな気質を持った生徒が増えてきたのか? ズバリそれは対人力のない層の激増だといえる。
 生徒たちを見ていて私自身、『そんなことで?』と驚く水準が、年々幼稚になってきている。そんなことでケンカしたの? そんなことも訊けないの? そんなことで『冷たい奴』になるの? そんなことが許せないの?
 私の見ている限り、年々若者は『対人関係を構築する力』が確実に乏しくなってきている。弱っちいのである。しかし教育界においては、教員側の生徒へのあるべき対応の仕方については百千の教えがあるが、生徒本人が強くあらねばならない、あるいは強くするための論は極端に淋しいのが現実である。
 そんな『あなたは悪くない』と認められ続けた環境の中でヨシヨシと育てられたヒヨコたちは自分で人間関係を構築する力が破滅的に無い。お膳立てされた人生を歩んできたのだから仕方ないのだろうか。いや、我々とて手をこまねいているのではないし、当たり前だがそんな状況を受け入れているわけではないし、心の底からなんとかしようともがいている。しかし・・・。この間違ったうねりは、無力な我々を見下しながらせせら笑うのだ。


⚫︎卒業文集
 『私には◯◯ちゃんという親友がいます。でも◯◯ちゃんもそう思ってくれてるのかが不安です』。最近の小学生(ほぼ女子だ)は卒業文集にこんなことを書いたりする。自分は好かれているんだろうか、嫌がられていないだろうか・・・。そんなに不安なんだろうか。まぁ時代が何十年も違うから同列には比較できないが、私たちがガキの頃はそんなこと考えたことなんかなかったけどなぁと振り返る。
 しかしお互い深入りしない関係でしかないのに、自分が誰かにとって大切な存在になることなどあり得ない。なのに自分のことだけは大切な存在だと思って欲しいなんて、ムシが良すぎるんじゃないの?とオジサンなんかは思っちゃうんだよなぁ。

⚫︎おそろコーデ
 そんなことをするのを初めて知ったのは、もう随分前になろうか。上から下までお揃いのいでたちでユニバーサルスタジオに遊びに行くという計画を、ある日女子生徒2人が嬉々として私に教えてくれた訳だ。私は既にそのことの何が楽しく、また嬉しいのかを理解できる年齢は過ぎていたのだと思う。しかしそこまでして『私とこの子は親友で仲良しなのよ!』と宣言しなきゃならんものかね。そのことで所属欲求を満たすことで安心もし、快感も得られるんだろうか。
 しかし相手にとって自分がかけがえのない存在になることは重要なことだけど、自分にとっての相手は、どうしてもその子でなきゃ困るという訳ではないことも多い。実にイヤな見方だとは思うけど、生徒たちの生態を近くで見ているとそのようにしか見えないこともままあるのだ。

⚫︎入学前の『よかったら繋がってください』
 3月である。既に新年度の入学は決まっていて、後は入学式を待つばかりのこの時期、SNSで検索すれば表題のような発信ばかりで驚く。これはどちらの学校でも同じなんだと推測するが、若者は皆横に誰かがいないと不安なのである。
 SNSといえば思い出すのが『フロリダ』だ。これまた初めて聞いたのはいつだったろう。ネット上での会話を自分の責任で終えることもできず、風呂に入ることを理由にしなきゃいけない程気をつかう関係ってどんなもんだろう? こんなに線の細い生き方をしてるのに、誰かを攻撃する時だけは冷酷かつ凶暴になる神経は理解の範囲を超える。ま、次に書く『ボッチ』になることへの恐怖なんだろうとは思うんだけど。

⚫︎ボッチ恐怖症
 ついこないだこんなことがあった。どちらかといえばおとなしいタイプの1年生の女子4人組の話だ。たまたまその4人の内の3人が選択授業の関係で同じ教室だったのだ。その3人が、『4人』で昼食をどこに食べに行くかを話し合い、暫定的に決定した行き先を残る1人に相談したところ、相談された生徒は『自分は仲間外れにされた』と泣き出しその日は早退、あくる日から登校しなくなった。色々あってあろうことかそのまま退学してしまうことになったのである。
 ひとりが怖くてつくっただけの、極めて薄い間柄の『友達』だから、とても壊れ易いゆえに友達としてのパスポートは、『みんな同じ』ということなのである。誘いを断ればただちにその関係は壊れるし、隠し事など絶対許さない。だから価値観の違いを許し合うことなんてできるわけもない。LINEグループでのイジメなど、結局はイジメる側が自分の仲間がいなくなることに対する恐怖が燃料になってることも少なくないのである。

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