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諫言・直言・ことなかれ

 先日我が学園全体の生徒教育における中長期のKGI(ザックリと『目標』)を策定するための会議があり、その進行役をした。各校の校長以下、課長以上が集まっての事実上の最高幹部会議である。会議を回す私もこの議題については一言も二言も持論があることもあって、意見が飛び交う活発な話し合いを期待したのだが、いざ会議が始まると自発的に発言するのは10人あまりの参加メンバーの内 特定の2,3人のみであり(働きアリの法則よろしく)、他のメンバーは出た意見にウンウンと頷くだけである。

 これでは『話し合い』にはならないと思った私は発言をしない方の課長たちに対し、あえて名指しをして意見を求めることにした。主張するタイプの誰かが発言すると、次は主張しないタイプに考えや意見を訊く ということを都度繰り返した。生徒にこんなことをやると嫌われそうだが、相手は大人でありしかも幹部である。私たちには決めないといけない重要なことがある。参加メンバーがこの会議に乗り気であろうがなかろうが、もっと言えば私が好かれようが嫌われようがそんなことは二の次だと思えたのだ。その日の進行を任されたのも、私のそんな意志の力を認めてくれたものと勝手に自負していることもあった。よってその日のゴールは、活発な意見交換の末に達した議決を何がなんでもまとめることだと感じていた私は、その日の空気は全く物足りないものだった。

 会議が始まって30分程した頃、私は名指しされた課長たちの発言の『頭』に、あるワードが必ず付くことが気になりだしていた。曰く『間違ってるかもしれないですが・・・』、『的外れかもしれないですが・・・』。これらは自己防衛のための言い訳でしかない。他人の顔色ばかり見ている生徒世代はよくこれをやるが、幹部職員も恥ずかしげもなく堂々とこれをやることに私は少々ゲンナリした。

 ある課長の意見の後、思い余って私は忠告した。『前置きはいいので自分の意見をガンガン言ってください』と。すると私のこの言葉に反応したのはこれを言われた課長の上司である校長であった。『そのように人を否定するような言い方は慎むべきだ』と。私は呆れて『否定? いつ私がそんなことしました? この時間は最高幹部が集まって学園全体の方針を決める最重要会議ともいえるものです。新人研修ならいざ知らず、余計な前置きは不要なんじゃないですか?』とつい口が滑ってしまった。2,3の応酬の後に切り替えはしたが、直属の部下である課長たちの前で口論のようになってしまい、微妙な空気になったことは本意ではなかったが。

 今まで色んな上司の下で仕事をさせていただいた。自分勝手な上司、冷酷横暴な上司、逆境に弱い上司、時に支離滅裂になる上司。もちろんそうではない人も多い。人情家、男気、犠牲心、誠実・・・そんな形容がピッタリな人もいた。さて長らく一箇所にいると嫌でも肩書きは付くものだ。そうなると上司の他に当然部下ができる。今私は学校の校長をしているので多くの部下を抱えてはいるが、教員や事務職員とあいさつレベル以上のコミュニケーションを図ったり、さらにそれを継続するのはかなり難しいことだ。残念ながら相手からはアプローチしてくれないので私から話しかけないといけないことが一つ、次に世代・役職の差による目には見えないハードルの問題。それは上司から部下を見た時より、部下から上司を見た時の方が数倍の隔たりが存在する。しかし場合によってはこれを超える行き来をしなければいけない場面もある。

 このように上司部下のコミュニケーションは難しいと思っている日々の中、先日ショックであることは間違いないのだがとても嬉しいことがあった。私から見れば1階級飛ばした立場である主任から『最近の校長に以前のようなヤル気が感じられず残念です。見ていられません』とミーティングの中で直言されたのである。ヤル気にあふれた女性主任のこの言葉は、私の心に突き刺さった。失礼なヤツだとは微塵も思わなかったのは、うっすらと涙を浮かべた彼女の思いを痛いほど感じたからだ。もちろん彼女に他意はない。学校を良くしようとする思いが溢れ、私の不甲斐なさを嘆く日々だったことを思えば申し訳ないことこの上ない。しかしこんなことを言われるのはいつぶりだろう? 志高い教職員からの諫言は、耳が痛いことには違いないのだが、これが無ければ組織は膠着するんだろう。

 良かった。心から有難い。その日の彼女の言葉はしばらくは心にトゲのように残るだろうが、ウチの学校もまだ捨てたもんじゃない。

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