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ぼくたちの失敗

 本稿タイトルは森田童子さんが歌った、ドラマ『高校教師』の主題歌のタイトルでもある。類まれな声の持ち主である童子さんの歌をふと思い出して調べてみたら、6年も前に亡くなられていたことを知った。ため息と同時に 私自身の少年時代を思い出した。

 ドラマで真田広之さんと共に主役を務められた桜井幸子さんは、今どこで何をされているんだろう? 私の理想を具現化した女性ともいえる彼女が大好きだった。幸せに暮らしておられるのなら嬉しい。

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 もうすぐ私が10歳になろうかという冬、我が家はかなりの勢いでひっくり返っていた。なんとなれば 全ては父が会社の金を使い込んでクビになったことで生活が一変、それまで経験したことのないことが連続したことによる。負債を抱えた父は母と離婚することとなったのだが、社宅を追い出された母は兄と私を連れ、路頭に迷うことになった。当初 私は父が在籍していた会社の工場内にある、簡易な宿泊設備にしばらく滞在させられ、同じく兄は母方の叔父の家に一時的に身を寄せた。八方塞がりになった母の選択は、自分の郷里である五島列島に帰ることだった。

 母方の苗字になった私たち兄弟は、引越しの繰り返しを余儀なくされ、その後の1年間で4つの学校(私は小学校、兄は中学校)に通うことになった。仲の良い友達もできないまま、またクラスメイトに挨拶をすることなく夜逃げのように 次の住まいに居を移す中で思い知ったのは、田舎の人が温かいのはTVの中だけだということだ。過疎地であるほど噂は瞬く間に広がり、私たちは興味本位の目で見られ、肩身が狭いという言葉通り 肩を寄合い いつも人目を気にしていた覚えがある。

 いくつものあれやこれやの後、結局母は元の夫である父と再婚することになり、赤貧洗うがごときボロアパートでの暮らしが始まった。風呂が無いから銭湯に行き、エアコンもないから夏は扇風機で 冬もコタツ1つがあるだけだ。クリスマスや誕生日もないし 自分の部屋などあろうはずもない。子供心に金が無いってことを思い知らされるような生活が続いたある日の夜、母はそんな我が家に帰ってこなかった。貧乏暮らしに疲れてしまったのか、パート先の若い男と逃げたのだ。父と私たち兄弟は 電話をかけたり可能性のある所に実際足を運んだりで、思いつくところは全て探してみたが 母の手がかりは見つけられなかった。
 父の『騒いでも仕方ないから連絡を待とう』という言葉により、母がいない3人の生活が始まった。閉塞感に包まれていた暮らしに、さらなる暗さがプラスされてしまった。

 そんな中 突然広島で母が緊急入院しているという報せが父に入った。自殺未遂をした母は 一命はとりとめたものの、医師からは一両日中はどうなるかわからないとのことらしかった。病院からの連絡を受けた父が母のもとに駆け付けた次の日、私たち兄弟は近所の人に汽車賃を借りて、母が搬送された病院に向かった。道中、窓の外の景色をボーッと見ながら 私は母に捨てられたのだと思っていた。

《 ぼくたちの失敗 》
〽️春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
 埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね
 君と話し疲れて いつか黙りこんだ
 ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた
 地下のジャズ喫茶 変れない僕たちがいた
 悪い夢のように 時がなぜてゆく

 僕が一人になった部屋に 君の好きな
 チャーリー・パーカー 見つけたよ
 ぼくを忘れたかな
 だめになった僕を見て
 君もびっくりしただろう
 あの子はまだ元気かい? 昔の話だね

 春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
 埋もれていたぼくは 弱虫だったんだよね


 私は中学生になったが、古いアパートの四畳半に敷かれた布団には、自らの人生の時計を止めようとしたあの日以来 横になりがちな母がいた。そんな頃、はじめて聞いた『ぼくたちの失敗』に、なぜか次から次に涙がこぼれたことを覚えている。今でも私の中で あれ程悲しく、救いがなく、しかし美しい歌はない

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