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考えすぎ?おくりもの考察。

人にモノを贈るときってどういう時だろう。

いや、いろいろ機会はそこら中に転がっているけれど。それこそこれからはクリスマスシーズンだしね。

普段の暮らしでも、プレゼント的な贈り物だけでなく、お土産だったり、ご挨拶なものだったり。

親しい人ならある程度好みや、今必要なものなど把握・予想しつつ選んだりできる。

でも、ちょっとした知り合い程度、もしくは初めて会う人に何か送る場合、いろいろ考えてしまうだろう。

そうなると、誰にあげても困らないであろう無難なものや、消費できる食品(お菓子など)だったり

最近、自分がやたらと食物アレルギーになっているせいか、そうなると消費できるといっても、食べ物も考えものだな~と思ったり・・・・

よほど詳しくその「贈りたい人」の事を理解していないと、実は結構難しいんじゃないかと思ったり

そんなことグチャグチャ考えずに
「きもち」
なのだから、あげたいものあげちゃえよ!という声も聞こえないでもない(自分の中から)

自分が「うけとる」側だったらどうか考えてみると

例えアレルギーを持っていても、その事を知らなかったり、うっかり食べれないものを貰ったとしても、その「きもち」がやっぱり嬉しい。

そこに気にしすぎの性格があるので逆に「食べれなくて申し訳ないな」と思ってしまったりもするのだけれど、貰った時の感情としては純粋に「嬉しい」のみ。

だったらいいんじゃない?と思うけどみんながみんなそういう訳ではもちろんなくて。

あと、関係性にもよるし。

ちなみに私が完全にシンクロしているかの如く好みがぴったり一致する人物は弟である。

あまりに好みの思考が似すぎていて、だいぶマニアックな本を私が本当は欲しくて買ったのだけど、たまたま弟が遊びに来たので「誕生日だしあげるよ」と、マニアック過ぎて人によっては引く一品を、さも「これ好きでしょ」と当然のごとく何の疑いもなく渡したら、まさかの
「いや、持ってるし」の返答。

「もってたーーーーーーー!!!」

そう、一致しすぎると、既に持っている可能性も高い。例えマニアックでも。

そして、逆に弟が「これ好きだろ」的に、くれた雑誌も、危ない事にほんの一週間前くらいに、書店で手に取って、浮き浮きと買おうと思ったら、財布を忘れていて、しかもペイペイ支払いできないお店だったので、泣く泣くあきらめた雑誌だった。

あぶねーーーーーー!!!

ていうかなにこのよくわからん奇跡!!!

神様が「その雑誌あんたの弟が一週間後に持ってくるからやめなよ」と私の財布を隠したに違いない(神そんなせせこましい事しない)

だから逆に、弟には贈り物しずらい・・・・という矛盾が生じている。

そんな私にはここ10年くらい誕生日にプレゼントを贈り合う友人がいる。
彼女は都市部に暮らしていて、私は田舎の山暮らし。

滅多に会えないどころか、ホントにそのプレゼントを贈り合うようになったのは、むしろ会えなくなってからだと思う。

そして、それぞれパターンはいつからか決まってきた。

私は本。

彼女はワイン。

私の本の選書が好きだと毎回言ってくれているので、浮かれて翌年もワクワクしながら選ぶのだが、はたして本当にこれでいいのだろうかと思う事も多々ある。

選書って結構ハードル高くない?
なので、1冊に絞って「これはちょっと・・・」となると何なので毎年2~3冊程度は贈るようにしている。便乗して自分用にも買ったりしている(むしろ彼女に選んだのと同じの欲しくなるので買う時すらある)

時々「無理して読まなくてもいいよ」「取っとかなくてブックオフとかに売ってもいいんだからね」と念を押すことを忘れずに。

私はワインが好きなので、彼女からのプレゼントは大歓迎。いやワインでなくてもきっとなんでも嬉しい。でも彼女は私がワインを好きなのを知っていて毎年イロイロなワインを選んでくれる。
ラベルも可愛かったり、アートだったり。

友厳選のワインを嗜んだ後に、たまに自分で買ったワインを呑むと格段に「軽い味」に感じてしまう。

きっと結構「よい」ワイン選んでくれているのだな・・・と毎回ワインも嬉しいし、その選んでくれている「きもち」も嬉しく思う。

そんな感じに、きっと彼女も「きもち」を受け取ってくれているのであろうか。

そうだと嬉しいなと、また来年も懲りずに本を選ぶのを今から楽しみにしている。

これは弟とかぶった本(さすがに友には贈ってない)

さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨