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月の村に打ち上げられたクジラ

ニュースで「迷いクジラ」が話題になるたびに思い出すことがある。

太平洋に浮かぶ小さな島。
この世に「楽園」があるとしたら、
こんな感じだろうな、と思わせるような「平和な島」での出来事。

ほとんどの島民はキリスト教徒で、それが村のコミュニティになっていた。
毎年11月に入ると、恒例のクリスマスイベントの準備が始まる。

クリスマスといっても、常夏の島なので、みんな
年がら年中、朝から晩まで薄い衣服で過ごすことができた。
島には一人、
浮浪者のような、
ホームレスのような、
何かの達人のような、
世捨て人のような
雰囲気を持った男の人がいた。
時には一部の人からイジメを受けていたかもしれない。
宮澤賢治のいう「デクノボー」の生き方と僕の目には映った。

名前はATSUOさん。

見た目50歳位。
小柄でやせ型、髪は薄く無精ひげ、
真っ黒に日焼けしていて、
いつも薄手のTシャツとパンツ姿で、
いつもニコニコ。
インドの聖者を彷彿とさせるような人だった。

むかし幼い頃は、頭が良く「神童」と呼ばれていたが、
進学のためにグァム島か、アメリカ本土へ留学した後、
気がふれて島へ帰ってきたのだと言われていた。


そんなある日、「ATSUOさんが斬られた」という噂が流れた。

クリスマスイベントの準備に浮かれ始めた11月某日、
深夜に酒に酔った小学生が暴れて、
そこに偶然居合わせたATSUOさんに襲い掛かり、
ブッシュナイフで重傷を負ったというのだった。

はじめは正直、嘘の情報だと思っていた。
こんな穏やかな島でそんなことが起こるなんて。

嘘の情報でないことはすぐに分かった。
ATSUOさんの入院先からの情報があったから。

入院中の情報は、容体が変わるたびに流れてきた。
小康状態を保っている期間が長かったけれど、
ヤバイ状態になったこともあった。
そんな状態のまま2ヶ月余りが過ぎていった。

そして2月初め、亡くなった。
亡くなった日の翌日は、風の強い一日だった。

そして、亡くなった日の翌々朝、
ATSUOさんの家の前の海岸に
小さなクジラが打ち上げられた。

村の役に立てなかったATSUOさんが、
最期のお礼に置き土産として村のみんなにクジラをプレゼントしたかのような出来事だった。

クジラの背中に乗って、天に昇っていくATSUOさんの姿が見えたような気がした。

僕のホストファーザーは、
海岸にクジラが打ち上げられたの30年ぶりだと言い、
おすそ分けのクジラ肉を喜んだ。

亡くなると、大体2日後には葬式が行われるのが通例だったけれど、
身寄りがあるような人ではなかったので、
葬式はどうするのか?と、他人事ながら勝手に心配したが、
要らぬ心配だった。


ATSUOさんの住まいはマレム村にあって、
僕もマレム村にホームステイしていた。
ちなみに「マレム」は現地語で「月」の意味。


帰国してから20年以上経っているが、
ニュースで迷いクジラのことが話題になると、いつもこの出来事のことを思い出す。
2000年2月に、マレム村の海岸に打ち上げられたクジラのこと。

当時は、青年海外協力隊の農業隊員としてミクロネシア連邦のコスラエ州に派遣されていた。
2024年2月19日

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