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父のお弁当

私の家には、高校生になったら自分の弁当は自分で作るというルールがあった。
それは母の、「大人になって料理が出来ないと困るから」という意図の下に施行された。

高校に上がってからの最初の1年間は毎日自分で作っていた。
「作った」といっても母が炊いておいてくれたご飯と、母が買っておいてくれた冷凍食品を詰めるだけ。

これが何の意味も成さなかった事は現在の私の家事力が物語っている。

実はこのルール、姉と私のみに課せられていた。
兄は高校を卒業するまで、母に作ってもらっていたのだ。
前述した母の意図というのは、正しくは「‘‘女子’’は大人になって料理が出来ないと困るから」であった。

大人になってからこの話題を母に持ちかけると、
「時代錯誤な考え方だったよね。」
と言って笑う。

当時はブーブー文句を垂れたが、不器用な母の優しさであった事が今となっては分かる。
いや、それは私の希望的観測かもしれない。単に一人息子である兄が特段可愛かった為に贔屓していただけかもしれない。真相は知らないままで良い。

兄と私の年齢は2歳差なので、兄が高校を卒業した年、私は高校2年生になった。
母は長年の仕事を終えたと暖簾を下ろしてしまい、父の弁当諸共作るのを辞めた。
父からすれば青天の霹靂である。
しかし母から特別、お弁当屋さん閉業のお知らせがあった訳でもないので父がそれに対して何か言及することもなく、私が新学期を迎えると共に父も自分の弁当を自分で作る流れとなった。

新学期が始まると父は私より早く起きて何やら火を使って調理をしていた。
私は朝が苦手だ。「朝の一分、夜の一時間」という造諺を生み出すくらいに。1分1秒でも長く眠っていたいので、温かいご飯と共に弁当箱に詰めておくだけで昼には自然解凍されているという企業様様様な商品を使って弁当を作っていた。慣れれば2分で弁当作りは完了する。

冷凍食品を詰めただけの私の弁当を横目に、
「玉子焼きくらい焼いていけばいいのに。」
と父が言った。
父にとっての玉子焼きは私にとっての蟹乗せ天津飯なのだ。朝から作るものではない。

そんな中、私はある作戦を決行する。
「父ちゃん。お昼ご飯の時ね、みんな親が作った手の込んだお弁当持ってきてるからさ、私自分の弁当出すの恥ずかしくて隠しながら食べてるんだよね…。(儚げな笑み)」

実際そんな事実は一切無かった。
私含む私の友達は皆、成長期だったのか2時間目にはお腹が鳴るタイプだったのでお昼ご飯の時間を示すのチャイムと共に包みを開いて弁当を貪る勢いだった。他人の弁当なんぞに目をくれる遑は無かった。

そんな事とは知らず父は、
「んじゃあ、るいのも作ってやろうか。」
と、まんまと策にはまってくれた。

その日から私が高校を卒業するまでの2年間、毎朝父がお弁当を作ってくれた。

「またるいを甘やかして!」
母にそう言われても父は、
「自分の分を少し多く作るだけだから特別世話をしてやってる感覚は無い。」
と私を甘やかした。

父が入れてくれるココナッツオイルで焼いた卵焼きが大好きだった。
それを伝えた日からはほぼ毎日ココナッツオイルの玉子焼きが入っていた。
父は私が好きだと言ったものを一生覚えている。

蓋を開けたら一面紅生姜畑の日もあった。
生姜焼きの上に肉と同等かそれ以上の量の紅生姜がトッピングされていた。勿論紅生姜も私の好物の一つだ。
それを見た友達が、
「るいの父ちゃんの弁当豪快でいいなぁ。」
と言った。
私が作っていた頃は目もくれなかったのに、父が作るようになってからはよくコメントをくれるようになった。

周りの友達は全員、母親に弁当を作ってもらっていて、父親に作ってもらっていたのは私だけだった。だから、と言うのは変かもしれないが私の弁当は周りの子に比べて繊細さはあまりなく、レディーのランチというよりかは所謂‘‘男メシ’’といった感じであった。
しかしそれが周りと一線を画していて、羨ましがられる事も多かったので、少し誇らしかった。

この話を書いていて思い出したのだが、高校を卒業してから会社員をしていた1年間も、父がお弁当を作ってくれていた。すっかり忘れていた。申し訳ない。

会社員になってすぐの18歳の春、自分がもう子供じゃないという事実を受け入れられず、会社に行きたくないと食卓で駄々を捏ね、父にこっぴどく叱られた日があった。

その次の日、重い気持ちのままリビングに足を運ぶと何やらテーブルに丸い包みが置いてあった。
お昼の時間に包みを開けると大きなおにぎりが一つ入っていた。
通称「爆弾おにぎり」だ。読んで字の如く、おにぎりの爆弾である。
それは直径が約15cm程で、中に昆布やキュウリのQちゃんなど、茶色多めの具が数種類入っていて、全型の海苔2枚で包んだ爆弾だ。父が酔っ払って上機嫌になるとよく作るのだが、その日はお昼ご飯にそれを作ってくれた。

父からLINEが入っていた。

「昨日、キツい事言っちゃったから仲直りの印😅💣
瑠衣はよく頑張ってるよ❗️」

父の文章の作り方は巷で何かと話題になる‘‘おじさん構文’’そのものなのだが、そこから伝わってくる愛を感じて涙が止まらなかった。おじさん構文で泣いた初めての人類かもしれない。
父はLINEで私の名前を入力する際、必ず漢字表記にするのも何か特別な思入れを感じて胸が熱くなる。上手く言語化する事は出来ないが、この人は私の父親なのだと感じる。




父が作ってくれた高校生活最後のお弁当

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